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Found ロレックス ボネールに住むある水夫の家宝、サブマリーナー Ref.6536/1

この希少なオールド サブマリーナーは、決して箱入りのお姫様ではなかった。

本稿は2019年6月に執筆された本国版の翻訳です。

Photos: Gishani Ratnayake

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1950年代のボネールは今とはまるで違っていた。オランダ領アンティル諸島のほかの島々がジェットセッターの旅行や急成長する石油産業によって繁栄し始めたのに対し、ボネールはカリブ海南部に位置する人口の少ない荒涼とした駐留地であり続けていた。今となってはナンバープレートに“ダイバーズパラダイス”と記載されているこの島では、にわかに信じられないことだ。しかし当時から、来たるべき未来を予感させるものがあった。

 1951年に出版された著作『The Netherlands Antilles: The Islands And Their People』のなかで、著者のウィレム・ファン・デ・ポル(Willem van de Poll)は、島の“多くの入り江、そして……海底の地形”が、増え続ける“潜水ハンター”や“シンプルだが非常に高性能な潜水用具を装備した遊泳者”に大きなメリットをもたらすと記している。

1950年代のオランダ領アンティル諸島は別世界だった。Photo: Willem van de Poll

 ファン・デ・ポルが執筆した当時、スキューバダイビングは黎明期にあり、私たちの知るダイバーズウォッチが登場するのはまだ2、3年先のことだった。しかしそれからわずか数年後の1957年、カレル・ヴィッサー(Karel Visser)の曽祖父が自分の息子であるキースの20歳の誕生日にロレックスのサブマリーナー Ref.6536/1を贈った。ボネールで生まれ育った4代目のカレルは、エンジニアの訓練を受け、今では不動産開発業やレストラン経営で成功を収めている。彼は今、元の所有者である祖父から譲り受けたこの家宝の誇り高き所有者である。先日のボネールへのダイビング旅行で私は彼に会い、この素晴らしい時計の物語を知る機会があった。

 1957年当時、ボネールにはロレックスの小売店はなかった。そのため、オランダ生まれの漁師であったカレルの曽祖父は、隣接したキュラソー島の著名な宝飾店であるSpritzer & Fuhrmannでサブマリーナーを800オランダギルダー(当時の4人分の平均給与に相当)で購入した。「祖父は甘やかされて育ってきたんだ」とカレル・ヴィッサーは笑う。

 キースはボートビルダーとしてのキャリアをスタートさせ、ほとんどの時間を故郷の島を囲むターコイズブルーの海やその周辺に広がる自然のなかで過ごしていた。そのため頑丈で防水性が高く、当時は水深100mまで保証されていたロレックスのサブマリーナーは完璧な選択だった。

このサブマリーナーは、1955年から1959年のあいだに製造された希少な初期型のRef.6536/1である。

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 1962年、今や伝説となったアメリカ人のドン・スチュワート船長(Captain Don Stewart)がボネールに到着し、近代的なスポーツダイビング産業を確立した。その初期、彼はダイビングの遠征や器材の提供を行い、そして地元のボネール人たちには無償でトレーニングを実施していた。キースは、ドン船長の誘いに応じた地元民のひとりだった。彼は熱心なスポーツダイバーではなかったが、ボネールに住むということは、セーリングにスピアフィッシング、水泳、ダイビングをこなす水上生活者であることを意味する。そしてサブマリーナーは、そのすべてのシーンで彼の手首にあった。

 Ref.6536/1は、1955年から1959年のあいだにのみ販売されたサブマリーナーのなかでも特に希少なリファレンスのひとつである。ロレックスの初期のダイバーズウォッチであるこのモデルは、1962年に『007は殺しの番号(原題: Dr.No)』でショーン・コネリー(Sean Connery)がジェームズ・ボンドとして初めて着用したのちの“ビッグクラウン” Ref.6538へと受け継がれる薄型ケースを備えていた。もしかしたら今、コレクターや衒学者たちは、交換された針と風防、そして現代的なオイスターブレスレットに気づいておそらく舌打ちをしているかもしれない。しかしこの時計は、1957年の購入以来一家代々受け継がれてきたものであり、今手に入るものと同じくらい信頼がおける現役の実用時計である。だからこそ半世紀ものあいだ、この時計は修理とメンテナンスを受けてきたのだ。キース・ヴィッサーが修理業者に「針が光らなくなった」あるいは「風防が曇って時間が読めない」と不満を漏らす姿が想像できる。この時計は着用してその機能を発揮するために購入されたものであり、フェティシズムに浸ったり、利益を求めて所有したりするためのものではない。

今も現役の時計であるこのサブマリーナーは、定期的にメンテナンスを受け、長い年月のあいだに風防と針が交換され、新しいブレスレットが取り付けられた。

 カレル・ヴィッサー自身はちょっとした時計コレクターになっている。そのきっかけは、彼が大切にしている古い家宝のサブマリーナーを手に入れたことだったに違いない。私たちが会ったときに彼はスティール製のデイトナをつけていたし、GMTマスター IIやほかの時計もいくつか持っていた。しかし彼のRef.6536/1ほど貴重な時計はない。祖父との関係は長年にわたってこじれていたが、カレルがある古いボートの修復を手伝ったことをきっかけに親密になったという。祖父は厳格な人で、カレルに少額で何度も買い換えるよりも、“いいもの”を買うことの大切さを説いた。数年前に祖父が亡くなり、カレルがこの時計を所有することになったとき、彼は時計の鑑定と修理を依頼した。現在は銀行の貸し金庫に保管され、特別なときにしか出てこない。「この時計は絶対に売らないんだ」とカレルは私に言った。もし売ったら夜に祖父がカレルの部屋に入ってきて、寝ているあいだ彼の足を引っ張り、カレルを苦しめることになると祖父に言われたそうだ。

祖父の古いロレックスを身につけるカレル・ヴィッサー。

 1957年からロレックスのサブマリーナーは大きく変化しているが、メルセデスの針、見慣れたダイヤルの表記、細かな刻みの入ったベゼルなど、現在のサブマリーナーにも当時の美意識が色濃く残っていることに驚かされる。ボネールもまた大きく変わった。シーズン中はクルーズ船がダウンタウンの古いオランダ軍の砦を圧倒し、ダイバーが岩だらけの入り江から次の入り江へと移動するために、タンクや機材を積んだピックアップトラックが海岸沿いの道路にひっきりなしにやってくる。しかし、その美しさはほとんど変わっていない。ウィレム・ファン・デ・ポルは1951年にこう書いている。「近い将来、きっとボネールに魅力的な観光地が誕生することだろう!」。Mr.ファン・デ・ポル、ロレックスのダイバーズウォッチももしかしたら、いつの日かちょっとしたものになるかもしれない。