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Editorial ダイバーズウォッチはなぜこれほどまでに人気なのか、異常なまでの過熱ぶりを論考する

浅はかなマーケティングに踊らされたか、深い普遍的価値があるのか? 裁定は読者に委ねよう。

本記事は2019年11月に執筆された本国版の翻訳です。

私が先週ジュネーブに滞在した折に、4日連続で雨が降り続いたので、いろいろな疑問について考える時間ができた。地域柄、時計や時計製造について思い浮かんできたが、そのなかで、なぜダイバーズウォッチが圧倒的な人気を誇っているのかを考えてみた(雨が降っていたので、無意識のうちに水にまつわる考えになったのかもしれない)。

 明確な答えとして一般的にダイビング用の時計は、そうではない時計よりも耐久性や信頼性が高いということだが、考えれば考えるほど、ダイビングをしない日常生活において、他のカテゴリーの時計よりも一般的な意味で優れているとは思えなかったのだ。

 実際、よくよく考えてみると、ダイバーズウォッチは、非常に特殊な用途を目的とした、かなりニッチな種類の時計以外の何ものでもないように思われた。いわば正真正銘のダイバーズウォッチとして認められるためには、ISO6425規格(これはアフガニスタンからジンバブエまで165の加盟国を擁し、ジュネーブを本拠地とする国際標準化機構が策定したもの)に列挙された、いくつかの具体的な要件を満たさなければならない。これだけ多くの国が加盟しているということは、ダイバーズウォッチと呼ばれるタイムピースは、基本的な機能が全世界でほぼ共通しているということを表す(全ダイバーズウォッチに個体検査を課すことは、デファクト〈事実上〉でもデジュール〈規定上〉でも不可能だが、私が調べた限り、ほとんどの主要メーカーはダイバーズウォッチと銘打つ時計に、程度の差こそあれ個体検査を行っている)。

 この基準では、一連の防水検査を含む複数のテストをパスすることや、暗闇のなかで25cm離れた場所からでも時刻を読み取ることができることや、真のダイバーズウォッチには欠かせない逆回転防止ベゼルを備えていることなど、デザイン上の要件も規定されている。ダイバーズウォッチの神髄ともいうべき特徴である経過時間測定のための回転ベゼルは、ロレックス サブマリーナーやブランパン フィフティ ファゾムスがデビューした1950年代前半まで遡ることができる。

ブランパン フィフティ ファゾムス 1950年代中期

 このことは、ダイバーズウォッチの圧倒的な人気の背景には、少なくとも視覚的な類似性が関係しているのではないかというヒントを与えてくれる。普段から時計の世界に身を置いていない人(それが普通だが)にとっては、多くのダイバーズウォッチは、ギョッとするほど見分けがつかず、一見しても何の違いもないことが多いだろう。自分の好みを表現するという点では間違いなく選択肢が比較的狭いといえるのではないか。

 ダイバーズウォッチのデザインの均質性は、ブランドに他のダイバーズウォッチとは異なる独自のデザインによる差別化を模索させているものの、その成功例は非常に稀だ。ダイバーズウォッチは、機能的に優れているかどうかという、最も根本的なレベルで評価されている。自社のダイバーズウォッチを他のメーカーと差別化を図りたくとも、その努力はすぐに限界点に達してしまう。つまり装飾を施した際に、ダイバーズウォッチを模した時計のように見えてしまうのだ。この症候群的な極端な例は、子供(あるいは、そのまま年を取った大人)が描いたレーシングカーや軍用車両の絵のような時計を生み出すことに似ている。巨大なサイズのタイヤを追加したり、まったく関連性のない5種類の口径の銃を発射する砲塔まで、あらゆる機能を備えながら相互の機能が破綻しているというだけでなく、恐らく走行もままならない車両のような時計になってしまうというわけだ(私も子供の頃、その類の絵を描いたものだ)。

 このようにして、ISO 6425の規定を満たしていても、無駄がなく、純粋に機能的な安全装備としてのダイバーズウォッチの真の精神を表現していないような“ダイバーズウォッチもどき”がしばしば世に送り出されてしまうのだ。いわゆる本物も、決定的に個性的なデザインのダイバーズウォッチを手に入れることもできるが、両方を手に入れることはできない。少なくとも、どちらか一方をある程度妥協しない限り、両方を手に入れようとすることはできないのだ。

 2つめのポイントは、その用途からダイバーズウォッチは、どちらかというと分厚くなりがちだ。日常的な装いに取り込みにくいのである。ジェームズ・ボンドがサブマリーナーをタキシードに合わせているのを力説しても、「この婦人は大仰なことばかり言うと私は思う(『ハムレット』の一節)」といった白けた状況を生み出してしまうものだ。実際のところ、ダイバーズウォッチは、ポロシャツやカーキ以上のフォーマルな服装とはあまり相性がよくない。ビジネスの装いでは、つける人と時計次第で若干の不快感〜まったく不適切、と印象に振れ幅が生じるが、セミフォーマル(タキシード)やフォーマル(ホワイトタイや燕尾服)な装いとの組み合わせに至っては、私なら絶対に避けるだろう。もちろん、装いのスタイルに絶対的なルールはほとんどないが、作家ハーマン・メルヴィルが小説『白鯨』に書いたように、クールにやれば何でも許されるが、そのために賭けに出るほどのことではないのだ。

ロレックス ディープシー Ref.1665“グレート・ホワイト”(1997-1983年)

 最後に、耐久性と優れた堅牢性の問題が存在する。機械式時計を本質的に必要とする人がいないのが確かなのと同様にダイバーズウォッチ、ひいてはそれが標榜する一連の特徴を必要とする人がいないという事実が立ちはだかる。ヘリウムエスケープメントバルブが搭載された時計が飽和潜水ダイバーの腕に装着される可能性は、チャーリー・ブラウンの愛犬スヌーピーがウェストミンスター・ケネルクラブ・ドッグショーでブルーリボンを獲得する可能性と同じくらい低いと事情通は鼻で笑うが、実際、数百mの防水性能や逆回転防止ベゼル(回転ベゼルを誤作動させて起こる最悪の事態は、洗濯物を乾燥機から出すのが数分遅れる程度だ)などについても同じだ。

 そうなると、ダイバーズウォッチには人気の理由が何かしらあるはずだという考えはどこかに消え、なぜ誰もが、重くて比較的高価で、日常生活ではほとんど役に立たない機能を満載した、汎用性が比較的低い時計を欲しがるのだろうか、と疑問に思うようになる。一体全体なぜダイバーズウォッチは飛ぶように売れるのだろう? また、なぜ新興メーカーの半数が、ダイバーズウォッチが成功する確率を他の汎用性に優れたカテゴリよりも高いと見込んでいるのだろうか?

 この疑問に対する答えはいくつか考えられる。1つめは、ダイバーズウォッチのメーカーは、黎明期からダイバーとそうでない人の両方にメリットがあると宣伝していたということ。それは、現在より1950年代の消費者の心に響いた。ケースの製造精度、密閉技術やガスケットの改良により、手を洗う前に時計を外すことが推奨されていた時代はとうの昔に終わり、セイコー5以上の機械式時計であれば、水しぶきや短時間水に浸かる程度であれば、耐えることができるようになった(私の最初の機械式時計であるセイコー5は数年間、毎年夏に海中で使用していた。たまたまシーズンが終わったあと、趣味で時計作りを始めたため、軽率ながら興味本位で時計の裏蓋を外し、浸水の痕跡がないか調べた。リューズチューブの内側にうっすらと腐食が見られたが、他には何ら問題はなかった)。しかし、今では昔ほどではないかもしれないが、一般的にダイバーズウォッチは非ダイバーズウォッチに比べ、かなり実用的かつ現実的な選択肢であると考える習慣が、現代まで綿々と刷り込まれているのかもしれない。

どれほど深く潜れるか?

ダイバーズウォッチの水深表示の信頼性について知りたい? それなら「時計の防水表示を正しく理解するための2つのISO標準規格の物語」をご覧いただきたい。

 2つめの答えは、他の時計と同様に、ダイバーズウォッチも私たちについて何かを語っているということ。ダイバーズウォッチは、不必要なものを排除した肩幅の広いデザインで、袖をまくり、ネクタイを緩め、会議室の椅子の背もたれに(紺色の)ジャケットをかけてシワを気にせずにきているのと同じように、信頼感があり、仕事に打ち込む雰囲気を醸し出している。一日の大半をデスクの椅子に座ったまま過ごしているかもしれないが、職場の外では、大胆ではないにしても、肉体に自信があり、例えば8月の蒸し暑い午後にスタテン島のフェリーから飛び込んで、誤って海中に落ちた愛する人のプードルを救助する場面(実際に起こりうる)に耐えられる時計を必要とする人物であることを象徴するのだ。薄くて控えめな(誇張されていない?)時計は、持ち主の冷静な判断力や洗練された感覚を物語るかもしれないが、ほとんどのダイバーズウォッチ愛好家にとっては、これらは二の次となる要素だろう。彼らは、すべての条件が同じであれば、トーマス・クラウンよりも、リアルな世界のジェームズ・ボンドのように思われたいのだ(前者の映画『華麗なる賭け』の主人公をご存じない方のために説明すると、スティーブ・マックイーンは、様々な場面で、パテック フィリップの金無垢の懐中時計、同じく金無垢のジャガー・ルクルト メモボックス、そしてカルティエ タンクを身に着けている)。

 しかし、3つめの、そしておそらく最も重要な答えは、「ダイバーズウォッチは私たちに何かを語りかけている」ということだと思う。HODINKEEで最も著名なダイバーズウォッチの専門家であるベテランダイバーのジェイソン・ヒートンが、シチズン アクアランドの記事「伝説の誕生、黄金時代の終焉」のなかで語っているように、ダイバーズウォッチは機能面では何十年も前に陳腐化した存在なのだ(彼はまた、ダイビング中にダイブコンピュータが故障し、予備機としてダイバーズウォッチを持っていて救われたことが一度ならずあったと述べているが、その根本的事実は変わらない)。しかし、機械式時計が明らかに誰にも必要とされていないものでありながら、長年にわたって注目を集めるために目新しさを追求してきた時代にあって、ダイバーズウォッチの純粋さとシンプルさは、かつてないほど魅力的に映っている。

 ダイバーズウォッチの最も古典的な形態は、デザインされたものではなく、特定の目的のためにシンプルかつ純粋に作られたものであり、その純粋さは、ダイビングや日常生活における妥当性をはるかに超えるものだ。つまり、ダイバーズウォッチには他のカテゴリの時計にはない必然性を感じさせ、本物こそが醸し出す風格があるのだ。多少なりとも気ままな、あるいは主観的な好みに訴えるデザインの時計が溢れるなかで、ダイバーズウォッチには、あるべき姿が感じられるのだ。最高のダイバーズウォッチが持つ、地に足の着いた安心感、つまり基本的機能に恣意性や主観性がないことが、このカテゴリに属する時計の永続的な魅力の最も重要な理由だと考えられるのだ。