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In-Depth ホイヤー 初代カレラを解説

20世紀で最も重要なクロノグラフの1つを深く掘り下げてみた。きっと気に入っていただけるのではないかと思う。

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ベン・クライマーが、2013年の夏に投稿した、ロレックス 初代デイトナを解説(ダブルスイス アンダーライン デイトナとは?)は、既に多くの読者のお気に入り記事となっている。クリスティーズの "Lesson One" デイトナオークションで、初期のデイトナ(1963年モデル)が3000万円越えの値段で落札されたが、50周年(本稿が公開された2013年当時)を迎えたもう1つの伝説的なクロノグラフ、(タグ)ホイヤー カレラの由来や詳細を掘り下げずに、2013年を終えるのは間違っていると我々は考えている。 

※本稿は2013年12月にHODINKEE US版で公開された記事の翻訳です。

初代ロレックス デイトナとホイヤー カレラのファーストシリーズ。


カレラとデイトナ

 1963年モデルのカレラとデイトナには、意外にも共通点がある。まずは、どちらもシンガー社製のダイヤルを用いており、ムーブメントはバルジュー社製であるという点だ(ロレックスは、バルジュー72に微調整を加えてはいるが)。また、両モデルの、アワーマーカー、スネイル仕上げの積算計、そして積算計の数字のデザインが全く同じであることにも気がつくだろう。この時期のオメガ スピードマスターのダイヤルもシンガー社製で、同じフォントの数字が使われている。

 ロレックスが、マットな外観と、アウターベゼルをもつ伝統的なスティールケースを選択したのに対し、ホイヤーは、角張ったケースにダイヤモンド研磨を使用することでより明るい外観をもたらし、アウターベゼルを用いなかった。両社共に、自社のDNAに忠実であり、手巻きのデイトナは、1930年代にまでルーツを辿れるスティールケースを採用した一方、1960年代のカレラに見られる大胆な面取りが施されたラグは、明らかに1940年代のホイヤー・クロノグラフの血統を受け継いでいた。

ラグの面取りに注目すると、1945年頃のトリプル カレンダー クロノグラフから、1954年頃のアバクロンビー&フィッチのために作ったシーファーラー、そして、後期のカレラまでの進化が分かる。

 上の写真から、1945年頃のトリプルカレンダー クロノグラフ、1954年頃のアバクロンビー&フィッチ シーファーラー、バルジューのためのに作られた特別なカレラのプロトタイプなど、ホイヤーの進化を見ることができる。

OnTheDash.com より抜粋。

 実は、3レジスターのスティール製カレラは、ホイヤーによって作られた最初のRef.2447ではなかった。1946年のカタログに描かれているように(上記の写真)、ホイヤーは1940年代からRef.2447を製造してきた。他の初期の2447クロノグラフもここで見ることができる。

カレラの原点

 カレラという名前は、メキシコで開催された伝説的な(そして時に命の危険を伴う)カーレースである、カレラ・パナメリカーナ・メヒコに由来する。また、ホイヤーとのつながりは、ジャック・ホイヤーがフロリダで開催されたセブリング12時間レースに参加した、1962年3月にまで遡る。彼は、事業を手放そうとしていた叔父から会社を買収し、指揮を執りはじめたばかりだった。ジャックは、 ホイヤーがレースのタイムキーパーとしてストップウォッチと計時機器を貸し出したことを感謝され、クラブ・オブ・アメリカから、セブリングに招待されたのだ。

 彼はフェラーリが好きで、結局、フェラーリのピットに常駐することになった。当時、注目されていたフェラーリのドライバーは、メキシコの若きロドリゲス兄弟だった。実は、レースを見越して、その週のスポーツ・イラストレイテッド誌の表紙を飾っていたのは、まだ20歳のリカルドだった。

 ジャックは兄弟の両親と話を始めたが、彼らは息子達が1954年に終了したメキシコ横断レース、カレラ・パナメリカーナに出場する年齢を下回っていることに感謝を表した。というのも、過去5年間で27人の選手と観客が死亡し、現代のスポーツ界で最も危険なイベントの1つであったからだ。

 一方で、ジャックは、カレラ(スペイン語で「レース」や「キャリア」を意味し、世界の多くの人が発音しやすい)という名前に惹かれ、その年の暮れに「ホイヤー」を商標登録することにした。そして、彼にはその名前に合う時計が必要となった。

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カレラのデザイン

カレラ Ref. 2447 S、シリアル53788。写真提供: Shaun Wainstein。

 時計に興味がない人々の多くは、高級時計は1つの工場で作られているというイメージをもっている。しかし、これは基本的に間違いだ。ムーブメントがある会社で作られ、ダイヤルと針は別の会社から、風防も別の会社から、ストラップはまた別で、ケースはさらにまた別の会社、というように、違ったところで生産されていることがよくある。このような分業体制によるスイス時計の伝統な製造は、黎明期にまで遡る。

 当時のホイヤー社は小規模な会社であったため、部品の調達は外部のサプライヤーに頼っていた。サプライヤーから供給された部品を組み立てて時計を製造するという仕組みだ。そのため、ジャック・ホイヤーの主な仕事は、時計部品のサプライヤーと常に親密な関係を保つことであり、新技術の開発や動向を把握することだった。1962年(もしくは1963年)、彼は時計の風防メーカーが新しい発明をしたことを知った。それはケースに対して角度のついたスティール製のテンションリングが、防水性を高めるというものだった。ジャックは、このテンションリングを塗装し、5分の1秒を表示するためにそれを使用することを思いつく。これは、よりシンプルでクリーンな印象のダイヤルを生み出すことを可能にし、凹んだクロノグラフ積算計と組み合わせることで、時計に新たな立体的構造を加えた。

インナーベゼルを兼ねたテンションリング。

 ジャックは、チューリッヒにあるスイス連邦工科大学で、ダイヤルの視認性に関する講義を受けた後、視認性にこだわるようになった。そして、彼はクロノグラフによく見られる、不要な目盛りを嫌うようにもなった。1930年代から1940年代にかけて、一般的に使用されたクロノグラフの目盛りは、戦時中に大砲の距離を計測するためのテレメーターだったが、彼は講義で学んだ理論を生かし、バトンマーカーを用いたクリーンな印象のクロノグラフダイヤルを作りたいと考えた。逸話によると、彼はもともとダイヤルに目盛りが全くないものを望んでいたとも言われているが、市場のニーズに応え、さまざまなトラックがオプションとして追加されることになった。また、彼は外側に目盛りを付けるデザインを嫌ったため、供給主のシンガー社は単純に、以前のホイヤーのクロノグラフダイヤルに付いていた目盛りと同じ数字と色(例:赤のタコメーター目盛りと青のデシメーター目盛り)を再利用した。

初代カレラのダイヤルをクローズアップ。

 ジャックのクリーンなクロノグラフへの憧れは、講義だけではなく、モダンデザインと建築への憧れからもきたものだ。彼は建築家オスカー・ニーマイヤーの大ファンで、若い頃にはニーマイヤーの作品を見るためにブラジリア(ブラジルの首都)を訪れたこともあった。学生時代、彼はお金を貯めてイームズのラウンジチェアを購入したのだが、寮の部屋にはちょっと場違いな感じがしたと語っている。

 さて、彼はダイヤルのレイアウトと風防の組み合わせを決めたが、まだケースが必要だった。だが、有名なケースメーカーであるピケレ社が、長くて大胆なダイヤモンドポリッシュ仕上げのラグをもつケースを見せたとき、ジャックはそのデザインが最も腑に落ちたらしい。このケースは、1940年代のホイヤーのクロノグラフからの明確な進化を示している、と。こうして、彼はすぐに風防やテンションリングと同様に、ケースの独占ライセンスをピケレ社と交渉した。

1963のYachting magazineの広告

 時は満ちた ―1963年、カレラの発表である。Google Booksには、1963年のBritish Clock and Watch Manufacturers' Association Horological Journal (英国時計製造業者協会 時計学雑誌)第105巻 [N.A.G. Press、1963年]に掲載された、カレラの発表記事の抜粋が掲載されており、さらに検索してみると、1963年の出版物には、カレラの広告が多数掲載されていることが分かる。「Yachting Magazine」の7月1日号に掲載されたカレラの価格は、89.5ドルと記載されていた。

ジャック・ホイヤー、ニューヨークで行われたカレラ50周年記念イベントにて。

 タグ・ホイヤーが2013年に、カレラの50周年を迎えたとき、何人かのホイヤーのコレクターは当惑した。なぜなら、1995年に、1964年のカレラのレプリカが発表されていたからだ。我々の推測としては、当時のタグ・ホイヤーは、古いモデルを辿る際、カタログに頼っていた可能性があり、この場合、カレラは1964年のカタログに初めて登場したということだ。そこで、タグ・ホイヤーは2004年に、40周年記念モデルのカレラを発表したのではないかと考えられる。その後、タグ・ホイヤーは初代カレラの誕生日の認識を修正し、ニューヨークを含む、世界の主要都市でカレラの50周年を祝うイベントを開催した。


初期カレラの識別法

カレラ 2447N

 では、どうすれば、最古のカレラ(「初代カレラ」と呼ばれることもある)を見分けられるのだろうか? いくつかの特徴に注目すれば良い。

1. シリアルナンバー:6時位置にあるラグの間に刻まれたシリアルナンバーは、カレラがどのくらい初期のものかを見分ける、最も簡単な方法かもしれない。最も古いカレラとして知られているのは53781だ。この記事で描かれているRef. 2447 N(Nは「ノワール」、つまりブラックダイヤルを意味する)は、2012年初頭にeBayで発見されたものである。また、驚くべきことに、シリアルナンバー53785の2447 Sと53788の2447 S(下の写真)も発見されている。さらに、これら初期のカレラは後継モデルよりも大きいシリアルナンバーをもっている。3レジスターのカレラは、12時間までカウントできる積算計を搭載していることから「カレラ12」と呼ばれていた。

 54XXX番台のシリアルナンバーから、最も初期の2レジスターのカレラ(Ref.3647)があり、シリアルナンバー54510が最も古いとされている。バルジュー92ムーブメントが搭載されており、当時のホイヤーのカタログや広告では、分積算計が45分であることから、カレラ45モデルと呼ばれていた。3647 カレラは、2447 カレラよりもかなり安価で、前者が69.5ドルに対し、後者は89.5ドルだった。

 1963年と1964年のどちらに製造された時計かを見分けるのは難しい。ジャック・ホイヤーによると、スイスの高級時計メーカーの多くがそうであったように、以前はシリアルナンバーと時計の詳細を記録した資料を所有していたそうなのだが、それはどこかの時点で紛失してしまったそうだ。つまり、現在、スイスのどこかの埋立地に存在している可能性がある。これらの記録があれば、コレクターは時計をより正確に鑑定することができるため、残念だ。いつか出てくることを期待したい。

初期のSwissオンリーダイヤル。

2. SWISSオンリー:初期のカレラは、ダイヤルに "SWISS "と書かれているだけで、トリチウムを示す "T "の文字はない。夜光はまだトリチウムであったと考えるコレクターもいれば、これらのカレラ(および初期のオータヴィア)はラジウム夜光を使用していたのではないかと考えるコレクターもいる。確かなことを言うには、ガイガーカウンターともう少し詳細な分析が必要だが、いずれにしても、トリチウム夜光を使用していた可能性が高く、マーキングシステムはまだ統一されていなかった。

後の T-Swiss ダイヤル。  Arno Haslingerの本より抜粋。

 1964年のホイヤーのカタログには、さまざまなカレラが掲載されているが、その全てにSWISSが付いており、Tはない。しかし、著名なカレラコレクターで、専門家のマーク・モス氏によると、初期カレラの中には、トリチウムの輸入規制をいち早く導入していた、いくつかの輸出市場向けのものには、SWISSの上にTが付いているものがある可能性があるという。時計界には、よく知られたルールにも、例外が存在するようだ。

ホイヤー カレラのロゴとバトンマーカー。

3. ダイヤルマーカー:ダイヤルには、デイトナと同様に、薄い斜角のついたバトンマーカーが見られる。タキメーター、デシマルメーター、パルスメーターを備えたカレラには、ダイヤル外周にあるナンバリングに対応するために、わずかに小さめのバトンマーカーが付いている。また、ダイヤル中央部の小さめの面積に対応するため、針が短くなっている。

4. 統一されたダイヤルカラー:初期カレラのダイヤルには、1963年のデイトナのような対照的な色の積算計がない。これは、ジャック・ホイヤーによる意図的な選択であったようだ。当時、オータヴィアのダイヤルには対照的なレジスター(黒地に白)があり、ホイヤーは1967年頃から対照的なカラーのダイヤルをカレラに導入した。

ホイヤーのアーカイブにある、初期のRef.2447 N カレラのダイヤル。

ホイヤーのアーカイブにある、最も古い2447 S カレラのダイヤル。

 初代カレラのダイヤルは、マットブラックにホワイトの印字か、エッグシェルホワイトにブラックの印字だった。直射日光の下で見ると、初期のホワイトダイヤルはざらざらとした表面が輝いて見える。ホイヤーがこのようなシルバーのスターバーストダイヤルをもつカレラを作り始めたのは、おそらく1964年か1965年だった。決定的な記録がないため、100%の確証はないが、一時的にホワイトダイヤルに取って代わっていた可能性もある。
 また、この頃、2447 Nのダイヤルでは、「カレラ」と「ホイヤー」の印字が、ホワイトからシルバーに変更されていた。1年以上経過した後、ホイヤーはシルバーのスターバーストダイヤルの生産を中止し、完全にホワイトダイヤルの生産に戻ったが、それにはより短く、丈夫なアワーマーカーと異なる積算数字が配されていた。

右上の2つのダイヤル(左の438番の赤いタキメーターと、右の439番の青いデシマルメーター)のメタリックなエッジに注目して欲しい。ダイヤルナンバー446のパルスメーター目盛りもメタリックな仕上げが施されている。

 追加のトラックがある初期のカレラには、興味深い特徴があった。外周の目盛りが削られ、メタリックな外観のパイパンスタイルのダイヤルが作られていたのだ。これは非常に魅力的で、現存するものは非常に少ない。上にいくつかの例を紹介する。

ジェフ・スタイン氏によるフィッシャー 2447 Dの写真(ダイヤル外周にあるデシマルメーターのメタリックな外観に注目)。

 私の推測だと、シンガー社は金属製目盛りの生産を中止したのではないかと思う。余談だが、上記の1964年のカタログ画像にあるように、目盛り付きのカレラには、少し違ったレファレンスの名称が記載されている。例えば、上の時計はRef. 2447 Dで、Dはデシマルメーター目盛りを示している。

ケースバックのサイン。

ムーブメント上のサイン。

5. エド・ホイヤーサイン入り:ムーブメントのブリッジとケースバックに「Ed. ホイヤー」(エドワード・ホイヤー。会社の創設者であり、ジャック・ホイヤーの曽祖父の略)。その後しばらくして、ホイヤーはケースバックとムーブメントのブリッジに"Heuer-Leonidas"の文字を使用するようになった。これは、ホイヤー社がレオニダス社を買収し、1964年1月1日に施行された合併によるものだ。
 シリアルナンバー56795の多角形の裏蓋をもつカレラは、ブリッジにホイヤー-レオニダスの刻印があったが、裏蓋にはエド・ホイヤーの刻印があった。この時計は一度も修理を受けておらず、完全なオリジナルの状態だった(シカゴのエステートセールで発見された)ため、おそらく1964年に製造されたものと思われる。我々は、エド・ホイヤーの文字がブリッジに残っている少し後の時計を見たこともあるので、単にホイヤーが、在庫の部品を使い切っていた可能性も高いと思われる。ただ、生産記録がないため、正確なことは言えない。

ジェフ・スタインが撮影したシリアル56355の多角形の裏蓋をもつカレラ - OnTheDash.com

6. 切り欠きのある(後に多角形の)ケースバック:最も初期のカレラには、切り欠きのある裏蓋がある。これは、私たちが知る限り、537XX年から55XXX年までの全てのカレラに見られる。長い間、コレクターは初期のものは滑らかな多角形の裏蓋(技術的には12面をもつ十二角形だが、「ヘックスバック」と呼ばれることが多い)だと誤った認識をもっていた。しかし、私たちが見た最初の多角形ケースバックのカレラは、たまたまフィッシャー・サイエンティフィック社のデシマルモデルで、シリアルナンバーは56355だった。この会社は、研究室に技術的な機器を販売していた会社であり、多くのフィッシャーブランドのストップウォッチ(および、いくつかのフィッシャーウォッチ)がある。ジャック・ホイヤーは、科学者がフィッシャーから技術機器を購入するために、彼らの供給予算を使用し、時には注文にカレラの腕時計が含まれているだろうと冗談を言ったことがある。科学者はその後、カレラを腕から外すのを「忘れて」、自分のものにしてしまうのだ。

 コレクターのマーク・モス氏は、多角形の裏蓋を採用するのは、実際には意図していなかったと信じているが、たまたまホイヤーにちょうど良い余剰部品があり、それを使用することになったのかもしれないと考えている。

カレラ2447 Nに、ブラックのレザーレーシングストラップ。

7. 針:初期のカレラの針は、後のものに比べると細い。これは、初期のデイトナと似ていて、デイトナも後期のものに比べ、針が細かった。

無印のリューズとプッシャー

8. リューズ:後期のカレラには、ホイヤーの盾マークが付いたリューズがあったが、初期のものは何もデザインが施されていなかった(カレラ ダト45の時計を除いては、刻印付きのリューズはなかった)。初期のカレラのリューズは、後のものよりも少し大きく、巻き上げがしやすくなっている。上記のように、大きなリューズとプッシャーは、クロノグラフの操作を容易にすると、1963年のカレラの発表で謳われていた。

9. 薄いブラックストラップ:初期のカレラは全て、18mmの細いブラックストラップが使われていたようだ。ゲイ・フレアー社のライスビーズブレスレットはまだ発売されておらず、1965年頃になってカレラに装着された。しかし、後にこのブレスレットを購入して、初期のカレラに合わせている人もいるようだ。

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最後に

極初期のカレラ 2447N

 1960年代のカレラは、これまで製造されたクロノグラフの中で、最も洗練された美しいモデルの1つだ。このケースデザインは、現在のタグ・ホイヤーのカレラのラインナップにも受け継がれている(また、高級モデルを含むタグ・ホイヤーの最新モデルのいくつかでは、スケルトン形状のラグが使用されている)。カレラは、モナコに匹敵するタグ・ホイヤーの最も有名な時計の1つであり、そして、我々の率直な意見として、初期のカレラは、かなり過小評価されていると思う。

 この記事で紹介した2447 Nは、2012年初頭にeBayで3500ドル(約40万円)以下で落札されたものだ。

この記事で紹介した、53781のシリアルをもつ2447 NのeBayの荒い画像。

 1960年代の最も貴重なカレラは、バルジュー72ムーブメントを搭載し、「パンダ」ダイヤル(シルバーダイアルにブラックインダイヤル)またはブラックダイヤルにホワイトインダイヤルのいずれかを搭載したものだ。これらのモデルは、日常的に6000ドル(約65万円)から8000ドル(約85万円)台で販売されている(現在も上昇中)。現時点では、市場で初期のカレラにプレミアムが付くことはない。しかし、その主な理由は、ごく一部のコレクターにしか知られておらず、現存する例が非常に少ないことが理由だ。

後の 1960年代のカレラ。

 現存しているものは、フリーマーケットやガレージセールなどで見つけられるようで、時にはeBayでも見つけられる。例えば、OnTheDashの誰かが最近、ガレージセール似て、2ドルで買った珍しいオータヴィアを披露した。なぜこんなことが起こるかといえば、多くの人々は、ロレックスのようにホイヤーの名前を認識していないからであろう。

タグ・ホイヤーが1963年製と誤表示しているカレラ。

 ベン・クライマーは、初代デイトナに関するレビュー記事の最後で、ロレックスが公式サイトに載せている自社の時計年表に、後期のポール・ニューマン・デイトナではなく、初代デイトナを表示することを希望すると述べた。私は、タグ・ホイヤーにも同じような要望をもっている。タグ・ホイヤーは現在、ウェブサイトや販促資料に1963年モデルのカレラとして、シルバーのサンバーストダイヤルとスイスの上に「T」の文字をもつ、少し後のカレラ(おそらく1964年か1965年頃)を掲載している。理想を言えば、タグ・ホイヤーはそのイメージを1963年の初期の2447 N、またはSのものに変更して欲しい。

 しかし、ウェブサイトの画像はさておき、カレラが(タグ・)ホイヤーの歴史と、現代のクロノグラフ史において果たしてきた役割を誇張することは難しいだろう。我々は「アイコン」という言葉を簡単には使わないが、カレラはそれに他ならない。

Special Thanks

 ショーン・ウェインシュタイン、ニック・グリーン、ジェフ・スタインの各氏には、本稿に彼らの個人的な画像や時計を使用することを許可していただき、リサーチのためにさまざまな洞察をいただいたことを、特に感謝したい。また、鋭い洞察を提供してくれたマーク・モスにも、お礼を申し上げたい。

 また、ダイヤルの記録を確認する機会を提供してくださったタグ・ホイヤーと、カレラの起源についての個人的な知見をシェアしてくださったジャック・ホイヤーにも感謝したい。

 2013年のもう1つの大きなクロノグラフ記念日に関する詳細、ロレックス 初代デイトナを解説(ダブルスイス アンダーライン デイトナとは?)を、読むのもお忘れなく。