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Four Revolutions Part 4:スマートウォッチの簡潔な歴史

我々は未来に生きているのか、それともとても奇妙な過去に生きているのか、どちらなのだろう?


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※本記事は2017年12月に US版で公開された記事の翻訳です。掲載されている相場も執筆当時のものです。

 この記事は現代の時計業界を作り上げた、過去40年間のなかで起こった4つの革命を紹介するシリーズの第4部である。これまでの記事では、ジョー・トンプソンによるシリーズの紹介と、“クォーツ革命の簡潔な歴史(大きな4革命の第一部)”“ファッションウォッチ革命の簡潔な歴史”、そして“機械式時計革命の簡潔な歴史”を前編後編の2部構成でお届けした。そして今回が最終回となる。

1997年11月、私は“Calling Dick Tracy: Your Watch is Nearly Ready(ディック・トレイシーが使っていた時計がもうすぐ完成する)”というコラムを執筆した(時計業界誌であるアメリカのタイム誌に掲載されたものだ)。クォーツウォッチの革命から30年近くが経過した今。私は当時、“クォーツのおもしろさを改めて実感させてくれる、洗練された新時代のクォーツウォッチが誕生している”と言っていた。

 当時の私の目に留まったのは、セイコーの腕時計型コンピュータであるメッセージウォッチと、日本電信電話株式会社(NTT)が開発した、電話ウォッチのプロトタイプだった。これは日本でのちにWristomo(リストモ)という製品として広まるようになる。私は「“新型クォーツ”のトレンドは、あまり注目されていない」と書いている。続けて、「しかしこの新技術はあまり報じられていないものの、重要な内容であると予感している。私の推測ではクォーツ時代がもたらす、第4の大きな市場転換の始まりを示唆するようなものだと思うからだ。最初の3つの転換期は、いずれも時計市場を劇的に変化させる大規模な革命だった。新技術の流れが第4の革命に発展するかどうかはわからないが、その可能性は十分にある」とも書いていた。

かつて人気を博していた、ぺブル社のスマートウォッチ。(Photo: Courtesy Amazon)

 18年の歳月が過ぎたが、私が何年も前に予感していた第4の革命がついに到来したようだ。スマートウォッチ(インターネットに接続可能な時計)ではない。彼らは少なくとも14年前から存在していた。そうではなく、私が言っているのは、2年前のApple Watchからすでに革命が始まっているということだ。もしスマートウォッチが最先端技術というニッチなカテゴリーから、時計業界のミドルマーケットに上り詰めて定着しているとしたら、2015年のApple Watchはスマートウォッチ革命のセイコーアストロン、つまり、ゲームチェンジャーウォッチとなる。

 誰もがそうなると思っていたわけではない。2013年のぺブルウォッチから始まった、最先端のスマートウォッチの波は失敗に終わっている。また実際に、ほんの1年前まではスマートウォッチというカテゴリー全体が幕を閉じるだろうという憶測もあった。2016年12月5日のバラエティ誌の見出しには、“Let’s Face It: Smartwatches Are Dead(スマートウォッチは死んだという現実を直視しよう)”と断言したものもある。その1週間後、ビジネスインサイダーも“Wearables Are Dead(ウェアラブルは終了した)”と題している。

 スマートウォッチの低迷が続いていたなか、このようなネガティブな話題も実際にあった(ペブル社のスマートウォッチ事業破綻によりフィットビットが買収したこと、Apple Watchの第3四半期の販売不振、そしてモトローラのスマートウォッチ計画の保留など)。そんななかApple社が9月に、セルラー機能(Wi-Fiのない場所でも通信が可能な機能)を備えた、シリーズ 3モデルを発表したことで、少なくともApple社に関しては、消費者心理が逆方向に揺らいでいるように思われた(全面的に支持をしたベン・クライマーによるこの時計のレビューはこちらからご覧いただきたい)。

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不本意な革命

スマートウォッチをスマートフォンのように普及させるようなキラーアプリがまだ何であるかはわからない。

 スマートウォッチ市場に課題があるのは事実だ。例えばデザイン上の制約、短いバッテリーの寿命、キラーアプリ(特別に人気の高いコンテンツ)がないこと、フィットネスや医療以外のアプリに対するユーザーの関心が低い、フィットネストラッカーとの競合などだ。これまでのFour Revolutionsシリーズでは、1970年代のクォーツウォッチ革命、1980年代のファッションウォッチ革命、1990年代の機械式時計のルネサンスによって、時計の世界が劇的に変化したことをお届けした。ただスマートウォッチは、いまだそのような変化を遂げていない。

1990年代前半のセイコー レセプター コミュニケーターウォッチ。 (Photo: Via eBay)

 スマートウォッチとそのさきがけであるリストコンピュータは、不本意ながらといった革命だった。この数年、彼らは波に乗りやってきて大きな波紋を広げては、姿を消していった。2003年、当時完全無欠な企業だったマイクロソフトが腕時計用のSmart Personal Object Technology(SPOT)で市場に参入するも、それでもスマートウォッチの流れを作ることはできなかった。

 来たる2015年まで、1970年代のセイコー、1980年代のスウォッチ、1990年代のロレックス デイトナのようにヒットしたスマートウォッチはあっただろうか。しばらくしてスマートウォッチとは何だろうと思うようになるほど、時計の歴史に大きな足跡を残すのだろうか? はたまた技術マニア向けのニッチなガジェットに留まるのか。それとも、ただ単に長く続いているだけのおもしろいエンターテインメント的な余興なのだろうか?

 だがApple社はそのすべてを変えた。時計市場に対するApple社がもたらした効果は絶大である。革命は今まさに、そのモンスターヒットウォッチを手に入れた。調査会社International Data Corp.(IDC)によると、2014年のスマートウォッチの世界販売台数は420万台だったそう。そしてApple シリーズ0(一部ではこう呼ばれている)が発売された2015年には売り上げが1940万台まで増加している。Apple社はそのうちの1160万台を占めていたと、IDCは推計している。

Apple社は、スマートウォッチ分野で急速に成功したことを大々的に宣言していた。

 今年(2017年)9月にApple シリーズ 3を発表した際CEOのティム・クック氏が、わずか2年でApple社の売上高はロレックスを抜いて世界一の時計メーカーになり、年間売上高は60億ドル(日本円で約6729億6000万円)に達したと、こう自慢していたのは有名な話である。その一方では、アメリカのミドルレンジの時計市場に大打撃を与えてしまっている。詳しくは、アップル登場後のフォッシルの運命を描いた記事を見ていただきたい。

 クォーツウォッチ時代の第4の革命が、現在も進行中であることは間違いないようだ。以下からは、1982年に同カテゴリーのパイオニアを取材した人物が、そこに至るまでの長い道のりを部分的に簡単に紹介したものである。その後に登場した多くのリストデバイスと同様、これらの時計もまた荒々しくも先進的なものだったが、決して革命とはならなかった。


ちっちゃなテレビ

1982年に発売したセイコー テレビウォッチ。 (Photo: Courtesy The Computer Museum)

 それがセイコー テレビウォッチだ。このモデルは1982年に日本で、翌年にアメリカで発売された初めてテレビを内蔵した時計であり、当時時計業界のなかで異端児的存在だった。VHFとUHFの82チャンネルが受信できるほか、ステレオFMラジオの役割も持っていた。ついでにクォーツクロノグラフの時計でもあった。価格は495ドル(日本円で約12万3000円)で、テレビは単3電池2本使用で約5時間駆動した。

 このテレビウォッチをめぐる騒動は大きく、世界中で大きな話題となった。1983年の映画『007/オクトパシー』でロジャー・ムーア演じるジェームズ・ボンドが着用していたのが、セイコーのテレビウォッチである。その後、映画『ドラグネット』でもトム・ハンクスの腕に巻かれていた。

 この衝撃は報道陣に向けてセイコーが48の質問と回答を記した特別なブリーフィングペーパーを配布するほどである。48の質問のなかには、これを見た瞬間に私が疑問視していた質問は含まれていなかった。こんなもの本当に欲しがる人はいるのだろうか?

 その答えはノーだ。この時計を身につけるには、実験台かのような配線が必要だった。手首に乗せた時計の上部にはプラグがついており、それが、ポケットに入れて持ち歩くウォークマンほどの大きさのテレビ・ラジオ受信機につながる配線と接続されていたのだ。さらに受信機には、放送を聞くためのヘッドフォンも配線されていた。

テレビウォッチを実際に使った様子。

 ユーザーの使い勝手は、この時計の得意とするところではない。しかしいちばんひどかったのは、1.2インチ(約30.5mm)という画面の大きさだ。あんなに小さなスクリーンで何かを見たいと思う人がいるなんて、ばかげているように思えた。ただセイコーにとって小さな画面は、このモデルの最も重要な特徴だっただろう。セイコーのデジタル情報機器における画期的なLVD(Liquid Crystal Video Display)技術を実演したのである。

 48番まである説明会資料、41番目の驚くべき答えの説明がつくだろう。“もっと大きなスクリーンで作れないか?”と。

 アンサー:“技術的には可能でしょう。ただし1.2インチというサイズは、テレビウォッチとして最も適切な大きさだと考えています”。セイコーの技術者にとっては小さい方が都合がよかった。なぜなら、その眩しいほどに新しいアクティブマトリクスLVDディスプレイが、のちにセイコーの時計以外の多くの電子製品に搭載されることになったからである。

 テレビウォッチが私に教えてくれたのは、これは時計ではなく、手首につける腕時計のために最初に作られた、コネクテッドウォッチというジャンルの教えだったのだ。時間やタイミングは関係ない。これは高度な技術を切手サイズにまで小型化し、手首にフィットできるようにする技術力を持っていることを示すためだった。そしてふたつ目の教えは、ほとんどの場合人間の手首の大きさの関係で、スクリーンが小さすぎて使い物にならないことである。

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コンピュータとその他

 当時のセイコーはクォーツウォッチ革命のヒーローであり、紛れもなく世界トップの時計会社だった。またエプソンブランドとして時計以外の電子製品にも手を広げつつあった。テレビウォッチを発売したのと同年、世界初の片手で持ち運べるコンピュータを開発し、最先端技術を駆使したハイフンウォッチという新境地を模索し始めている。1984年、コンピュータウォッチのRC-1000 リスト ターミナルを発明。1994年、セイコーが好景気に沸く通信分野にポケベルウォッチと呼ばれたメッセージウォッチで参入を果たす。この時計はポケベルより手ごろで使い勝手もよく、さらに留守番電話や情報サービス(ニュース、スポーツ、株式、天気、宝くじの当選番号など)機能を備えていた。そのうえコロラド州の原子時計を用いて、1日36回、時刻を更新して知らせてもくれた。80ドル(日本円で約8000円)の料金に、それと月々かかる8.95ドル(日本円で約800円)だけで、これだけのことができたのだ。

セイコーのリスト ターミナル、RC-1000。(Photo: Via WatchUSeek

 同年、タイメックスからコンピュータから情報をダウンロードできる初の腕時計、データリンク(130ドル、日本円で約1万3000円)が発売された。マイクロソフト社と共同開発のもと生み出されたこの時計はワイヤレス光学スキャンシステムを使って、マイクロソフト社のソフトウェアから情報(スケジュール、誕生日、電話番号など)を受信するものだった。ローンチ後、マイクロソフト会長のビル・ゲイツ氏が、その仕組みを実演した。PCのスクリーンに時計をかざすとバーコードの線が点滅する。時計がバーコードから情報を“読みとった”あと、ゲイツはボタンを押すだけでその情報を時計に呼び出している。時計にはおよそ70通のメッセージを保存することができた。

 スウォッチは前年、スウォッチアクセスというモデルで“スマート”ウォッチ市場に参入している。この時計は会場の入り口に設置された端末に時計を向けるだけで、簡単にイベントにアクセスできるようにするものだった。時計に内蔵されたマイクロチップはチケットの価値を時計に保存するようプログラムされていた。

セイコーインスツルのリストコンピュータをさらに進化させたのが、このラピュータだ。

 1998年、セイコーのもうひとつの(セイコーエプソンとの)製造部門であるSII(セイコーインスツル)が、グループで最新かつ最高のコンピュータウォッチを発売した。ウェアラブルコンピュータ、ラピュータ プロは、見た目は腕時計のようで、手首に巻いて身につけることができたが、セイコーはこれを腕時計とは呼ばなかった。ラピュータは“ウェアラブルリスト型のコンピュータ周辺機器”であると、セイコーは述べている。これは“世界初のウェアラブル型パーソナルコンピュータ”だった(セイコーはタイメックスのデータリンクをコンピュータというより時計と捉えていたようだ)。ラピュータは液晶画面と3.6MHzのプロセッサを搭載し、コンピュータと接続するクレイドル(パソコンとの接続、バッテリーの充電に使われるドック)が付属していた。腕時計型の周辺機器は、パソコンからデータをダウンロードしたり、コンピュータゲームをプレイすることも可能だった。円換算で約290ドル(日本円で約3万8000円)と約365ドル(日本円で約4万8000円)の2モデルを販売していたようだ。

 次なる未開拓の領域は、腕時計型の携帯電話である。腕時計の開発は、時計メーカーから電子、コンピュータ、そして通信メーカーに移行し始めた。2000年に腕時計型携帯電話を最初に発売したのは、韓国のサムスン電子からで、デジタルウォッチと無線通信端末の機能をあわせ持つウォッチフォン SPH-WP10というモデルを展開した。連続通話時間は90分である。1997年に試作された日本のNTTドコモの腕時計型携帯電話、リストモは、2003年にようやく3万7000円で発売している。この電話時計によってディック・トレイシーの漫画の世界観が現実のものとなったのである。しかしどちらの携帯電話時計もヒットしなかった。実際、初期の手首用ガジェットはどれもヒットしていない。新時代を迎えた人々が手首につけたいと思うのは時計だけだったようである。


オン・ザ・スポット(SPOT)

2003年にラスベガスで開催されたCES(コンシューマー・エレクトロニクス・ショー)にて、最新のスマートウォッチを紹介するビル・ゲイツ氏。(Photo: Via Extreme Tech

 2003年1月、ラスベガスで開催されたコンシューマー・エレクトロニクス・ショーにビル・ゲイツ氏が戻ってきた。今回はマイクロソフトが作ったニュース、天気、スポーツのスコア、株価、テキストメッセージ、星座占いなどを、FM電波のワイヤレスネットワーク配信する新時代のスマート腕時計(マイクロソフトはスマートウォッチと呼んでいた)のプロトタイプを用意していた。

 マイクロソフトはシチズン、フォッシル、スント、スウォッチの時計メーカー4社と提携し、マイクロソフトの新しいSPOTソフトウェアを搭載した時計を開発した。マイクロソフトはいわゆる、“スマートオブジェクト ”と呼ばれる新しい時代の最初のプロダクトとして腕時計を選んだ。その新しいソフトウェアは手首に巻く腕時計をインターネットデバイスに変身させて、インターネットコンテンツを受信し、表示させるものだった。

 当時、“Microsoft Ushers In 'Smart Watch' Era(マイクロソフト、“スマートウォッチ”時代の到来を告げる)”という見出しの記事で、「マイクロソフトが職場に革命をもたらした技術を、家庭にも広げる戦略の一環として、この新技術の開発に数十億ドルを投じたと言われている。コンピュータ業界のアナリストは、PC業界が成熟して売上が鈍化していくなか、マイクロソフトは自社の技術を新しい製品や市場に拡大しようとしていると指摘している。そう、時計などを」と伝えている。

2003年にラスベガスで開催されたCESで、フォッシルのスマートウォッチを装着したビル・ゲイツ氏の別ショット。(Photo: Courtesy Microsoft)

 なぜ時計なのか? 「私たちは常にSPOTの技術で作られたデバイスの最初のカテゴリーが腕時計になると、ずっと考えていました」。マイクロソフトのロジャー・グルジャニ(Roger Gulrajani)氏は、声明のなかでこう説明した。「私たちは製品カテゴリーとデバイスを調査し、そしてこの技術が最も役立つカテゴリーはどこなのか発見しました。時計メーカーとの最初の打ち合わせで、時計業界には周期的に自己改革をする必要があること、時計製造における大きな革命とマーケットのチャンスはテクノロジーと関係があることがわかったのです。私たちは時計メーカーと一緒になって、新しいアプリケーションのシナリオを作ることで、人々の時計の使い方に変化をもたらすチャンスがあると信じていました」

 それはまさに変化だった。装着した人は、パソコンでマイクロソフトのSPOTデバイスのサイトにアクセスし、欲しい情報やサービスを選んでいた。マイクロソフトが開発した、スマートオブジェクトにWebベースのコンテンツを送信するための新技術、DirectBandを介して、腕時計に情報が送信された。宣伝効果は絶大だったという。ゲイツはCESの基調演説で、「SPOTは時計のあるべき姿の次の進化です」と語っている。さらにフォッシルの技術担当兼副社長はこう言った。「約30年前にクォーツムーブメントが発明されて以来、最も大きな発展と開発を遂げました」

 それは本当か? 当時書いたコラム(タイトルは“手首にコンピュータが欲しいなら叫んで!”)で、私はスマートウォッチに勘ぐった意見を述べている。「なぜマイクロソフトはコンピュータの時計でこんなに騒いでいるのか? それは人々が手首にコンピュータを巻くことを望んでいるからだろうか? もちろんそんなことはない。セイコーは1990年代にそれを証明しているからだ。セイコー ラピュータ、セイコー メッセージウォッチを覚えているだろうか? そしてこれは今、何本目になるのだろう?」

2004年10月20日、スウォッチ パパラッチの発表会に出席した、ニック・ハイエック氏、女優のミーシャ・バートン氏、そしてビル・ゲイツ氏。

 いいえと私は続けた。「マイクロソフトはコンピュータウォッチに新しいSPOT技術を搭載していることをアピールしている。マイクロソフトはSPOTの技術を冷蔵庫のマグネットといったあらゆる消費者向け製品に搭載し、我々が渇望する、相互に関連し合う完璧な世界を実現する予定なのだ」。腕時計の話にとどまらない。

 実際、ビル・ゲイツの新発想の腕時計を人々は欲しがらなかった。この時計は大爆死した。2005年、マイクロソフトはMSN DirectBandのサービスを終了した。「完全に失敗でしたね」と、スウォッチグループのCEOであるニック・ハイエック氏は、のちに私にこう語っている。彼はマイクロソフトのSPOT技術発表のために、スウォッチ パパラッチ ウォッチを特別に開発したのである。パパラッチの価格は150ドル(日本円で約1万7000円)で、これにMSNダイレクトのサービス利用料が加わる。「完全にマイクロソフトのソフトウェアに依存していました」とハイエック氏は言う。「そしてマイクロソフトがこの時計をこれ以上開発することに興味がないと判断したとき、私たちは10万個の時計を抱え込むことになったのです」。ハイエック氏は面食らったという。そしてスウォッチグループはマイクロソフトを訴え、マイクロソフトはスウォッチに1400万ドル(日本円で約15億4294万円)の損害賠償を支払っている。この経験はやがて明らかになるように、ハイエック氏にスマートウォッチに関する教訓を与えた。

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Appleの登場

2014年9月に、カリフォルニア州クパチーノで開催された発売前イベントで発表された初代Apple Watch。

 スマートフォンと連携できる腕時計の潮流を作ったのは、新興のスマートウォッチ企業であるペブル社だった。2012年、創業者のエリック・ミギコフスキー(Eric Migicovsky)氏は、ペブルスマートウォッチの生産資金を調達するべく、キックスターターでキャンペーンを開始した。10万ドル(日本円で約797万9000円)の資金調達を目標としていたが、最終的には1000万ドル以上(日本円で約7億9800万円)、8万5000個の時計の注文を受けることになった。第2弾のクラウドファンディングではさらに2000万ドル(日本円で約15億9600万円)を調達し、さらに10万個の時計の注文を獲得した。最初の時計が市場に出回ったのは2013年。その頃、12社のエレクトロニクス企業がスマートウォッチを開発しており、サムスン、ソニー、クアルコムが、2013年にスマートウォッチを発売している。2014年にはさらに多くの企業が参戦した。同年9月、Appleは2015年にスマートウォッチを発売することを発表している。

 その時、最初に犠牲になったのがペブル社だった。ミギコフスキー氏は昨年12月、同社を4000万ドル(日本円で約43億5160万円)でフィットビットに売却することを余儀なくされたのだ。ペブル社はAppleに対抗できなかった。同社は3年間で、300万台のスマートウォッチを販売したと報告されている。さらにIDCの推定によると、アップルは最初の9カ月間ですでに1160万台のスマートウォッチを販売している。

 もうひとつの犠牲者は、先述したようにフォッシルである。Appleは米国の時計市場のミドルレンジ、特にフォッシルがリーダーであるファッションウォッチ分野の売上に打撃を与えた(また百貨店での販売もその範疇が対象となっている)。Appleがフォッシルのビジネスに与える影響のひとつの指標に株価がある。Apple Watchがデビューした2015年4月、フォッシルの株価は83.75ドルで取引され、昨日の終値は7.75ドルだった。

 現在Appleとフィットビットが、スマートウォッチ市場で圧倒的な強さを誇っているとスマートウォッチの専門家は話す。もちろん、ほかのエレクトロニクスメーカーを中心に競合はたくさん存在する(サムスン、スント、LG、ガーミンなど)。しかし従来の伝統的な時計メーカーとの競争もある。

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ミドルマーケットでの戦い

フレデリック・コンスタントのオロロジカル スマートウォッチに、それと連携必須のMMT社が提供するiOSアプリ。

 アップルに最も脅かされている中価格帯(100ドルから800ドル程度、日本円で約1万円から9万円)の時計メーカーが反撃に出ている。スマートウォッチの多くには、よりデザイン性の高いAndroid WearのOS(オペレーティングシステム)を採用したものが多彩にある。その先頭を走るのが、ファッションブランドのフォッシル、モバード、そしてゲスだ。フォッシルとモバードのグループは、ポートフォリオのさまざまなブランド(ある特定の製品カテゴリーにおいて、企業が持つブランドおよびサブブランドを指す)で、いわゆる“ファッションファースト”なスマートウォッチを発売している(フォッシルグループは19のブランドでスマートウォッチを展開する予定であり、モバードは7つのブランドでスマートウォッチを追加している)。

 またスマートウォッチにAndroid Wearを採用しているのは、タグ・ホイヤー、モンブラン、ルイ・ヴィトンといった高級品市場において手頃な価格で競争しているスイスブランド(モバードも加える)である。スマートウォッチという高級品市場の一角を狙う彼らに加わったのが、フレデリック・コンスタントだ。

 スウォッチグループは、いずれスイスのスマートウォッチ市場に参戦すると予想されるだろう。しかしほかのOSには一切関わりたくないと考えている。ハイエック氏は、マイクロソフトのスウォッチ パパラッチ ウォッチ騒動からその教訓を学んでいる。それ以来スウォッチグループはスマートウォッチのカテゴリーを避け、代わりにスウォッチ独自の非接触式決済技術を搭載したスウォッチ・ベラミー(Swatch Bellamy、2015年)やスウォッチペイ(Swatch Pay、2017年)のように、いくつかの限定的なコネクト機能を持つ時計を提供してきた。これらはお店のカウンターで腕時計をスワイプすることで、商品代金を支払うことができるといったものだ。ハイエック氏が考えるOS問題の解決策とは、スウォッチグループが独自にそれを作ることにあった。スイス電子工学・マイクロナノテクノロジー・センター(CSEM)と提携して、スマートウォッチをインターネットに接続するためにOSを開発し、2018年末までに同OSを搭載した新しいスマートウォッチを投入するとしている。

バーゼルワールド2015にて、タグ・ホイヤー、グーグル、インテルの3社は、“タグ・ホイヤー コネクテッド”ウォッチを実現する、パートナーシップを締結した。

 一方、日本ではカシオがスマートウォッチ市場に参入し、同じくAndroid Wearを採用した“プロトレック スマート アウトドア”をラインナップに加えている。カシオは特定のスポーツ(サイクリング、スキー、カヤック、釣り、トレッキングなど)に特化した機能を持つスマートウォッチに力を入れることで、ニッチな分野で優位に立つと考えている。

 また違うジャパンブランドでは、シチズンとセイコーは基本的にスマートウォッチに見切りをつけていることが注目されている。Appleが低価格のシチズン、ブローバ(シチズン時計のグループ会社)、セイコーの時計と競合していても、両者の時計大手はAppleの土俵に上がる気はないようで、スマートウォッチを別事業として捉えている。この動きは、1970年代にLEDデジタル技術を無視した代わりに、LCD液晶に集中した彼らの決断を彷彿とさせる。それは当時、非常に賢明な判断であったと証明されている。果たしてこの判断はどうころぶだろうか?

 「私たちはエレクトロニクスの会社ではありません」と、シチズン時計株式会社は言う。当時CEOを勤めていた戸倉敏夫氏は2015年に東京で私にこう語った。「私たちはAppleではありません。スマートウォッチ業界は、私たちが長年にわたって取り組んできた市場とは実は異なるのです」。ただ2012年からシチズンは、アップルiOSとAndroidにBluetooth対応した時計、“エコ・ドライブ プロキシミティ”を発売している。これはシチズンとしては唯一のコネクテッドジャンルへの参入となる。ただシチズンはプロキシミティをスマートウォッチと呼んでいない(一部の販売代理店では呼ばれている)。戸倉氏は、Bluetoothをエコ・ドライブウォッチの“サクラ”と表現した。「これが私たちのメインビジネスになることはありません」と同氏。現時点でシチズンはスマートウォッチを発表する予定はない。

2016年に発売した、サムスン Gear S3。

 またセイコーでは、それほど深くこの問題を考えていない。セイコー・コーポレーション・オブ・アメリカの会長であり、日本のセイコーホールディングの取締役である内藤昭男氏いわく、スマートウォッチというカテゴリーをどうするかについては社内で“熱い議論”が交わされたと語っている。今のところ、セイコーはこの市場に慎重な姿勢で臨んでいる。そしてセイコーグループは確かにスマートウォッチを製造している。日本ではエプソンやセイコーのブランドで数機種を発売しているが、国際市場においては皆無である。内藤氏は慎重派だ。「アップルやサムスンに対抗するべきではないと思います。すぐに共有品化できるような商品カテゴリーには参入すべきではありません。OSの開発についていかなければならない、あるいは世界中の数多くのスマートフォンとの互換性を確保しなければならないというリスクがあると思うのです」。とはいえ、セイコーはスマートウォッチの開発を監視し続けており、将来的にはこのゲームに参加する可能性もあるという。

 スマートウォッチ市場はこれからどこへ向かうのか? それは誰にもわからないことである。しかし(冒頭の)20年前のコラムで書いた、クォーツウォッチ時代の第4の革命について書いたことは、今でも的を得ていると思う。「新時代の消費者の想像力をかき立てることはできるだろうか? ほかの3つの波がそうであったように、新しい時計プロダクト、生産者、市場、顧客を生み出す力を呼び出すのだろうか?」

 我々はついにそれを見つけることになる。