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“Ciao ragazzi!(こんにちはみなさん!)”
フレンドリーだったのが、中央の席に座るサンドロ・フラティーニ(Sandro Fratini)氏。フラティーニ氏は世界でも有数のコレクターとして知られ(トップ3に入るとある人物が教えてくれた)、数年前にはクリスティーズから“My Time”という優れた本を出版している。彼は私の腕や肩のあたりをしっかり手で掴んで歩きながら、話をしていた。
春に行われるモナコ・レジェンド・グループのオークションの下見と取材、そしてそれを楽しむためのモナコ旅行から帰ってきたばかりだが、そのイタリア語のフレーズがまだ耳に残っている。プレビュー初日から今まで行ったことのあるオークション会場とは違う雰囲気を放っていた。イタリア、フランス、ジュネーブ、ドバイ、アメリカ、日本、セルビアなど、さまざまな国から集まってきた人たち。表向きの理由はオークションのためだったが、そこにはともに時間を過ごす理由ができたことに興奮した友人たちの同窓会のようにも見えた。
今まで見たこともないような、素晴らしい時計を偶然にも持っている友人たち。
パテックの5074Rは、何度見ても飽きないだろう? これは今回は後編で紹介する予定の、ジョバンニ・ボナンノ(Giovanni Bonanno)氏が着用していたものだ。
2日かけて行われたプレビューと2日間にわたるオークション(カタログに掲載された点数は261ロット)で、私にとっても再会した仲間にとっても、時計を見たり、話をしたりする時間がたっぷりとあった。このオークションでみんながどんな時計を買ったのか、どんなものを買おうとしているのか、これはいいもの、これはお買い得、そしてこれはお金を出して買う価値があると思ったものをいろいろと聞かせてもらった。しかし、たとえ何も持たずに帰ったとしても、すでに手首には何かすごいものがついている可能性は高い。私は自分の仕事以上に素晴らしい時計を見て、おもしろい会話をしたような気持になっている。そんなわけで、今回は2回に分けてPhoto Reportをお届けしていこう。
ダヴィデ・パルメジャーニ(Davide Parmegiani氏/中央)、サンドロ・フラティーニ氏(右)、そしてジョン・ゴールドバーガー(John Goldberger)氏らとともに。
その中心にいたのは、電話を取り次ぐ役目のダヴィデ・パルメジャーニ氏であり、共同議長のクロード・コーエン(Claude Cohen)氏は槌を振るった。しかしパルメジャーニ氏がいなければ、モナコのル・メリディアンホテル(入札参加者の多くが宿泊したホテル)の会議室に、このような気心の知れた仲間たちが集まる雰囲気は生まれなかっただろう。200人近くがいる会場のなか、私はまだパルメジャーニ氏から時計を買っていない10人のうちのひとりだったと思うが、彼が築いたビジネスではなく友情という感覚を見て、それを変えたいと思わせた。
彼と彼のチーム、そしてとても大切な彼の家族の全員が“モナコ・レジェンド・グループ”と、パルメジャーニ氏の世界という雰囲気をアクティブに育てている。彼らはオークションのみならず、金~日曜の夜には3つの(大規模な)招待制ディナーと、さらに日曜のセッションの合間には巨大なビュッフェランチを用意して、世界の最も重要なコレクターやディーラーを必ず招待するのだそうだ。これらの場所はリラックスしておしゃべりをしたり、友人の時計を見たり、場合によってはいくつかの時計を購入したり交換したりするのに最適な場所となるのだ。
時計の世界、特にヴィンテージの世界とは私が大切にしている仲間意識といものがあり、リラックスした雰囲気がある。ヴィンテージは細かい事柄がたくさんあって、些細なことでつまづいてしまうこともあるため、友人や信頼できる販売店など、周囲に強力な仲間が必要になる。ダヴィデ・パルメジャーニ氏は、このような週末を演出できる唯一の人物だと思う。今回のオークションで最も高額なロットだったパテック 2523/1 ワールドタイマーを334万6000ドル(日本円で約4億4785万円)で落札したコレクターと、3番目に高額だったハンジャルのサインが入ったホワイトゴールド製パテック ノーチラス Ref.3700を184万ドル(日本円で約2億4630万円)で購入した、彼の友人に話を聞いてみた。それぞれのロットが近づいてきたとき、会場の後ろのほうでお互いを励まし合っているのを見るのが楽しかった。
落札したふたりと、それぞれの時計。ダヴィデ・パルメジャーニ氏がショーケースからノーチラスを取り出し、華麗にブレスレットからロットタグを引き剥がしたのをこの目で見た。お金を清算する前に、最後に時計を渡すようなオークションは世界中探してもないと思うのだが、彼はこの週末にかけてそれを何十回もやっていた。でも長い付き合いの友人らと一緒だと、そのよさがわかってもらえるのだ。
ノーチラスを購入した友人について、「彼とは15年来の付き合いで、時計がきっかけで知り合いました」と、今のワールドタイマーのオーナーは話してくれた。「彼が何を望んでいるのか、どんなときに特別な励ましが必要なのかを私はよく知っています。だが何がいいのか、お金を払う価値があるのかどうかもわかっています。ヴィンテージには注意が必要なのです。このようなものがあると知り、そこから何が正しいのか何が間違っているのかを知るには何十年もかかります。だからこそ、ダヴィデ(パルメジャーニ)を信頼しています。それは彼が誰よりも多くヴィンテージを見てきたからです」
新しい名前と顔がたくさんあったため、もしすべてが一致していなかったら、あらかじめ謝っておく。オークションに参加した方のなかには、当然ながらプライバシーにこだわる人も多くいるため、名前を意図的に伏せているかもしれないが、もし自身や自分の時計を発見して、そこに名前を記入して欲しいという方がいたら以下のコメント欄にコメントを残してほしい。そしてもしこれを読んでいるあなたが、 “次回は参加できるかな?”と思っているのであれば、その答えはイエスだ。少なくともオークションには参加できる。ニース行きの飛行機を予約してモナコまでタクシーで移動し、実際に時計を見て、いくつかのロットに入札することは大歓迎だ。
ただしこれは好みの問題にすぎない。それでは後編のレポートまで、Ciao ragazzi!
晴天のモナコ、そして4月22日~23日(前々日はプレビュー)で開催したル・メリディアンホテルへようこそ。
ロレックス ポール・ニューマン デイトナは、最初にプレビューで撮影した時計で、信じられないほどトロピカルな個体だ。モナコ・レジェンド・オークションは好調な滑り出しになるのは明らかだった。
ハンジャル好きがバレバレのコレクター。彼の活躍は、また後日紹介しよう。
美しいWGのカルティエ タンク ノルマル(パリの1978年製)と、イタリアの素晴らしいヴィンテージレザージャケットに身を包んだフランチェスカ・モンタナーリ氏。
Belgrade Vintage Watchesのディーラー兼オーナーであり、コレクターのスルジャン・ステヴィッチ(Srđan Stević)氏が着用しているのは、1945年製のパテック 1415 HU(ウール ユニヴェルセル)だ。カッコイイと思うかな? どうだろう…
…この文字盤のサインは、この時計がハバナのル・パレ・ロワイヤルで販売されていたことを示している。
時計はすべて週末中ずっと展示していたため、みんなが入札中も時計を見ることができた。
火曜の朝一番には多くのディーラーが訪れ、顧客用の時計を見たり、自身の時計を売りに来たりして、いい取引があれば自社で販売する可能性のあるものを調べていた。
たくさん見るのがいい。
ダヴィデ・パルメジャーニ氏の息子で、才能ある若い時計ディーラー兼コレクターであるアンドレア・パルメジャーニ(Andrea Parmegiani)氏。入札希望者をサポートしていた。
アンドレア氏はこの日、このゴールドのロレックス ヨットマスター Ref.16628を着用していたのだが、のちにプラチナ製ヨットマスターの記録的な売れ行きがあり電話をすることになる。ルビーとマザー・オブ・パールをあしらった文字盤を持つこのモデルは、プラチナの販売までは市場で最も高価なものだった。
ジョン・ゴールドバーガー氏と私が同じ場所にいるときは、必ずポートレートとリストショットを撮るのが決まりになっているのだ。
彼は、私がタンク ノルマルやカルティエのオリジナルブレスレットをどれほど愛しているかを知っている。これは1927年にパリで製造され、ニューヨークで販売されたイエローゴールドのタンク ノルマルとゴールドのブレスレットで、写真に収めるべく持参してもらった。
初日の最後は、スルジャン・ステヴィッチ氏と彼の最新作で締めくくった。1938年、ユーゴスラビア軍のために製作され、1939年に納品されたロンジン Ref.2326で、これはゴールドバーガー氏のロンジン本にも掲載しているものだ。ステヴィッチ氏はこの日、実際にゴールドバーガー氏から時計を購入した。この時計は陸軍士官学校を卒業する将校に贈答されたものだった。
ブラックの文字盤を備え、裏蓋にはカラジョルジェヴィチ王家が初めて使用した紋章がセカンドシリーズ風にエングレービングされていた。
ル・メリディアンにて、みんなおはよう。
プレビュー2日目、オークション会場の近くの建物内にはフィアット・ジョリータクシーがいた。アンドレア・パルメジャーニ氏が実際に4人乗りのフィアット・ジョリーでF1コースを走らせてくれたが、まるで飛び出してしまいそうな感じだった。
腕時計を探すなら、自分の朝食のテーブルがいちばん最適だ。そのテーブルには、スルジャン・ステヴィッチ氏が着用していたサーモンダイヤルの5050Gがあった。
ディーラーであるジェフ・ハリス(Jeff Harris)氏の腕には、豪華なステラダイヤルのロレックス デイデイトが巻かれていた。
そして、モナコ・レジェンド・グループのアダム・ビクター(Adam Victor)氏の手首には、美しくて大振りなパテック 1503が乗っていた。
その直後、アダム氏は潜在顧客のためにメモを取るべく仕事に没頭していた。
その近くにはヴィンテージのIWC インヂュニアもあった。
サンドロ・フラティーニ氏はその場でいち早く腕時計に目を向けた。世界最大規模のコレクションを持つ以上、やはり世の中にあるものには目を向けておきたいものだ。
なかでも注目を集めたのが、今回のオークションで最も大きなロットだったWG製パテック ノーチラス Ref.3700にジョン・ゴールドバーガー氏のコレクションであるハンジャルの2本だ。
そしてこちらの記事で紹介した、ロレックス元CEOのためにつくられたプラチナのロレックス ヨットマスター。
数少ないパテック Ref.1518は、いつどんなときでも常にある。
そして、ある意味同じデザインコードを使っているのがファンの多いバルチック MR-01だ。
ポール・ニューマンが何個かあるなかで、このヴィンテージのゴールドロレックス デイトナは、これだけで素晴らしい存在感を放っていた。
そしてもう少しモダンなものとして、フルパヴェダイヤルを持つロレックス “レインボー”デイトナ“エバーローズ”もあった。
続いても宝石がセットされた珍しいロレックスで、ブラック文字盤にダイヤがセットされていないラグという珍しいコンボのGMTマスターII SAも紹介しよう。
これらをすべて実現させる男、ダヴィデ・パルメジャーニ氏の登場だ。気さくなホストで、いつもみんなの様子をうかがいながら、楽しんでいるかどうか、時計のことについてなど聞いて回っていた。
Instagramで私をフォローしている人は、私が待ちきれずにすでに投稿したこの時計を見ていると思う。これはオーデマ ピゲのロイヤル オーク・パーペチュアルカレンダー・スケルトンで、プラチナにフルパヴェセッティングを施したユニークな逸品だ。「まさにモナコ・ウォッチですね」とダヴィデ氏は言う。
“モナコらしい”といえば、タファリ(Tafari)氏というディーラーに出会った。この日彼はオークションには参加していなかったが、オークションの看板を見て立ち寄ったそうで、そのとき宝石をセットしたロイヤル オーク オフショアを身に着けていた。
(宝石の)お口直しにこちらをどうぞ。チューダー サブマリーナー Ref.7924をMN社製で購入した彼。“チューダーコレクター ”こと、ロス・ポヴィー(Ross Povey)氏が7924を着用している。
会場のなかで最も興味深かった、若手コレクターのひとりであるダヴィデ・ロヴェッリ(Davide Rovelli)氏は、コレクターとして、またAltrの代表として会場に来ていた。Altrはブロックチェーンを利用して、時計やクルマなどの高級資産をトークン化し、それを投資として共同所有できるようにしたりする会社だ。またモナコ・レジェンド・グループの協力を得て、それらを担保化しているそうだ。
もうひとつの素晴らしくて偉大な1本は、パテック Ref.2497にちょっとした “ひと手間”を加えたものだ。
大きなオリジナルボックスクリスタルをよく見ると、曜日と月を見やすくするための“サイクロップス”がある。
さらにこれだけでは物足りないという彼は、ハウズマン社のサイン入りパテック 3448も常に身につけていた。
モナコでリシャール・ミルをあまり見かけなかったのは正直驚きだったが、このグループは特にダヴィデ・パルメジャーニ氏のハンドリングにより、ヴィンテージ寄りのロットになっている。その分、リシャール・ミルはどこにでもあるような存在にはならなく、かえってよかったかもしれない。
ダニエル・ボーン(Daniel Bourn)氏の手首に装着されているのを見て嬉しくなった時計、ダニエル・ロートの“パピヨン”ジャンプアワー。
LVMHが復活させたブランドといえば、ロベルト・カーソ(Roberto Caso)氏が着用していたジェラルド・ジェンタ グラン プチソヌリ パーペチュアルカレンダー(WGにマザー・オブ・パールダイヤル)だろう。時計は厚みがあるが、写真で見ていたよりも実物のほうがずっとよく着こなせそうだ。
もっとジェンタのデザインが欲しい? ではジャン・ポール・メニクッチ(Jean Paul Menicucci)氏が着用していたAPのロイヤル オーク“ジュビリー ”はいかがだろう。ずっと好きなもののひとつだ。
まだ欲しい? では、ギュブランのサイン入りノーチラスはどうだろうか。
それよりもっと? 本当に? さて、愛していないとは言わせないもうひとつのロイヤル オークだが、今回はイエローゴールド製でパーペチュアルカレンダー付きだ。
ヨーロッパの時計の見方は、自然光の下でタバコを吸いながら見ることだ。
時計についてわからないことがあれば、その場で時計技師に聞けばいい。文字盤をより詳しく見てもらうことができる。
私がこの会場のなかで、最も好きなセンスを持っていた人を紹介させてほしい。80年代に販売を開始したボローニャの紳士的なディーラー、クラウディオ・サルヴァティ(Claudio Salvati)氏そのひとだ。
彼が手首につけていた、このデイトナが好きだった。私は彼にそう伝えた。そうしたら彼はジャケットのポケットから何かを取り出し、ビニール破った。そして…
今まで本物を見たことがないパテックのRef.5020Gを見せてくれた。
なかに戻ると、サンドロ・フラティーニ氏が会合を開いていた。私はイタリア語が話せたらよかったと思いながら、そのテーブルに引き寄せられていった。イタリアのコレクションはすべて何十年にもわたる経験、感触、触感に基づくものだ。ルーペはもちろん出てきたが、たまにしか使われなかった。
サルヴァティ氏は、私が今言ったことの例外を証明した。
特に“イタリアのテーブル”では、ひとつの大きなグループであることを示している。
ヴィンテージの収集に関して、イタリア人は本当に天下無敵だ。特にこのパテック Ref.1579の文字盤とラグに注目してみてほしい。
そして、この特大のヴァシュロン・コンスタンタン チョコラトーネも。
東京からはるばる、私の新しい友人であり、パテックRef.96(そしてダブルサイン)の愛好家であるジョン・ナガヤマ氏が、このフレッチェロ社製プラチナ製パテックRef. 96、ダイヤモンドインデックスモデルを購入した。ミニッツトラックの内側にあるダイヤモンドのレイアウトは珍しい。
アンドレア氏&カルロッタ(Carlotta)氏のパルメジャーニ兄妹が協力して、落札希望者に時計を見せる姿はとても刺激的だった。カルロッタ氏は最近、家族のビジネスに参加したばかりでミラノを拠点に活動しているそうだ。
もちろんオークションには女性も積極的に参加しており、ツールウォッチからエレガントなものまで、さまざまな時計を競り落としていた。このように宝石をセットした素晴らしいカルティエセットのようなものを身につけている女性がたくさんいた印象だ。
この素晴らしいゴールドとシェイプケースを持つ、オメガ コンステレーション メガクォーツを身につけた、Mr.Aはいかがだろうか?
私が会場で見た唯一のランゲは大変素晴らしいものだった。だがもっとたくさんあったはずだ。
2日目以降のロス・ポヴィー氏はソーダライトのデイトナに、ベゼルのスケールも同系色にカスタマイズしたものを着用していた(見えないがクリアの裏蓋も完備している)。“ワクワク”する時計が好きだが、このちょっとした変化はパンチが効いていて素晴らしいと感じる。
Watchonistaの共同設立者である、アレクサンダー・フリードマン(Alexander Friedman)氏はオークションのためにジュネーブから(クルマの荷台にスキーを積んで)駆けつけていた。
もしかしたらこの週末のなかで、最もモダンな時計のひとつだったかもしれない。
モニカ・パルメジャーニ(Monica Parmegiani)氏(左)も、入札希望者や顧客などさまざまな人に声をかけながら、会場を仕切っていた。パルメジャーニ一家はオークションというプレッシャーもあるなか、週末をとおしてとても親切でホスピタリティに溢れていた。
それはパルメジャーニ家の家族だけではなく、コレクターの家族のためのものでもあった。
金曜日の夜の終わり、リラックスして楽しみに入る前にこのブレゲ トラディション トゥールビヨン フュゼ 7047を含む、いくつかの素晴らしい時計をご覧あれ。
アダム・ビクター氏が着用していた、嘘のようなウッドダイヤルロレックス オイスター クォーツ。
そして最後に素晴らしいブレゲ タイプ20 XXのヴィンテージクロノグラフだ。さあ、パーティのはじまりだ!
最初はホテルから歩いてすぐにあるモンテカルロのTwigaで、モナコ・レジェンド・グループが部屋を貸し切りにしていたため、そのディナーだけかと思っていた。長年交流のある関係から、人間関係などグループに分かれていき、各テーブルには名前がついていた。私のテーブルの名前はピアジェで、ディーラーや業界の人たちと一緒だった。
そして歌が始まった。歌は幸いにもプロの手によるものだった。まあ今思えば、コレクターの方々のカラオケも聞いてみたかったのだが。
そして、まさかキャバレーショーが開催されるとは思いもしなかった。
何が起こっているのかよくわからなかったが、イタリア人の何人かは身を乗り出して心からショーを楽しんでいたようだ。
それ以降の写真はなぜかほとんど…。私のハードディスクから消えたというか…。しかしゲストの誕生日祝いを含め、すべてが楽しく執り行われたということはお伝えしたい。
自分がそこにいたことを証明するために、自撮り写真を撮らなければならない。
そしてお酒を何杯か飲んだら、クルマを置いて歩いて帰る。それほど遠くないから大丈夫だ。それでは後編の第2弾で、また会おう。
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モナコ・レジェンド・オークションの詳細については、公式ウェブサイトをご覧ください。
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