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Photos by Mark Kauzlarich
私のフランス語はお話にならないと自覚しているが、フィリップ・デュフォー(Philippe Dufour)氏の言葉を耳にしたときは確かに理解できた。“ジュウ渓谷は魔法のようだ(The Vallée de Joux is magical)”と。
ジュネーブからクルマでおよそ1時間のル・サンティエにある、時計の歴史を紹介するジュウ渓谷時計センター博物館、“エスパス・オルロジェ(Espace Horloger)”のロビーに立つと、この言葉をよく理解できる。デュフォー氏は博物館のスタッフや、彼と同じように金曜午後の仕事の合間を縫って新しく改装された博物館のプレローンチに訪れた来館者と楽しく会話をしていた。私は一応、表向きは写真レポートのためにここを訪れたのだが、本当はその魔法と時計づくりへの愛に引かれてここに来たのだ。
渓谷の南側にはオーデマ ピゲやジャガー・ルクルトといった大手メーカーが、地理的にほど近い場所におもしろいくらい集結している。厳密にいうとル・サンティエとル・ブラッシュの町は、畑やピゲ・ドゥッシュやロリアンといった小さな村だけで隔たれているに過ぎず、実質的にはクルマで10分ほどの距離しかない。私のようなロマンチストはこれらのブランドの近さに、歴史的な思いを馳せずにはいられない。
ヴァシュロン・コンスタンタンやパテック フィリップもここに拠点を置いているし、コンプリケーションモジュールから各ブランドの時計に使用される宝石に至るまで、小さなメーカーも、かつてはもっと密接に連携していたはずなのだ。しかしマーケティングが発達してインハウス化が進み、自社生産に誇りを持つようになったことで、外部から見るとブランド間の仲間意識や親しみやすさがなくなっているように感じる。昔はそうだったのだが、渓谷で働く7500人(ほとんどが通勤者)の人たちが集まってくるような地元のバーや集会所は今はほとんどない。
ただしそれは、エスパス・オルロジェを除いてである。
ル・サンティエ駅(時計学校やブランパンのビル、ブルガリのビルなど、挙げるときりがない)からほど近い場所にある、小さいが活気にあふれた時計博物館は、かつてルクルト社の部品工房として使われていた建物内にある。この渓谷の歴史を間近で学ぶために、海外や地元のツアーグループが連日訪れる。さらにベルジョン社から寄贈された工具を使った時計製造の実演(過去にはデュフォー氏自身が指導したものもある)も頻繁に行われている。この博物館は近隣ブランドの歴史に関係なくブランドにとらわれず、ビッグブランドから今はもう忘れられてしまったブランドまで、時計製造の歴史において渓谷を重要なものにしているすべてのものを称えるために存在している。
デュフォー氏は「これらの企業が自分たちだけでは伝えられないことを、私たちが示して説明できるのですから、とても重要なことです」と話す。「1800年代には今のようなブランドはなかったためこの渓谷は特に重要です。キャリアをスタートさせた当初、私は現在のアンティコルムで5年間、コンプリケーションの懐中時計を修理していました。うわべだけのものはすべてイギリス製やドイツ製だったかもしれませんが、ミニッツリピーターのような複雑機構になると、見覚えのあるものがたくさん出てきて、それがこの地で生まれたものだとわかるのです」
「“複雑時計発祥の地”と呼ばれるゆえんです」と同氏。「また古くからあるブランドがあまりない理由もここにあります。誰もが、本当に誰もが時計の製造に取り組んでいましたが、すべての人が“ブランド”を確立していたわけではないのです。私の大きな夢のひとつは、過去にさかのぼって、これらの部品やモジュールをつくっていた家屋や農場に赴いてそれを見たり聞いたりすることです。きっと信じられないほどすごかったのでしょう。そしてエスパス・オルロジェのような博物館は、消えてしまったこれらの場所を思い出すのに重要な役割を担っているのです」
オーデマ ピゲとジャガー・ルクルトは、この渓谷にいまだ残るふたつの大きなブランドであり、それぞれが素晴らしい博物館を持ち、なかには博物館の資金とプログラムの両面を大手企業や独立系時計メーカー、経営者、関連企業などがサポートしている企業も多くある。まさに、ウォッチメイキングにおいて最も重要な場所のひとつである最後の共通の出会いの場であるかのようだ。
「私たちは自分がどこで生まれ、そして実際にこの地域とこの時計製造文化で何を背負っているのか、よく理解しているつもりです」と、とオーデマ ピゲのヘリテージ&ミュージアムディレクターであるセバスチャン・ヴィヴァス(Sebastian Vivas)氏は言う。「私たちは時計業界、そしてもちろんジュウ渓谷における主要な役者ですが、それは私たちだけではありませんし、そうであるかのように装うこともしたくありません」
「自分たちの博物館で会社の歴史を語り始めるとき、まずは地域やその背景から話し始めます」と言うヴィヴァス氏。「私たちを会社として存続させ、支援してくれた人々に敬意を表するためであり、それらはこことエスパス・オルロジェといった公共の博物館で見ることをできるようにしなければいけません」
それを証明するのがエスパス・オルロジェである。
オーデマ ピゲはエスパス・オルロジェの展示用に、自社のアーカイブから27本の時計を提供し、さらに個々のコレクターは博物館の永久コレクションに寄贈している。2階には工学と計時の起源をテーマにしたギデオン コレクションが設置されている。同館では近々、ジャガー・ルクルトとのコラボレーションを行い、レベルソの展覧会を新しく生まれ変わったスペースで発表する予定だという。さらにこれらを守るのが各ブランドが出資して導入した最先端のセキュリティである。
私は何かを発明したことはなく、先人からインスピレーションを得ただけに過ぎません。
– フィリップ・デュフォー - 歴史がなぜ重要なのかについて「エスパス・オルロジェは、時計製造のグローバルなビジョンを提供します」。こう話したのはジャガー・ルクルトのプロダクトマーケティング&ヘリテージディレクターであるマテュー・ソーレ氏(Matthieu Sauret)だ。「ジュウ渓谷で進化する多彩なブランドが遂げてきたさまざまなタイムピースの技術的・審美的な進化をすべて実証しているのです」
しかし私が思うこの空間の素晴らしさは家族や時計愛好家、そして時計職人が一緒になり、その歴史を共有するための共通の出会いの場であるということだ。そんな思いを胸にエスパス・オルロジェからのフォトレポートを楽しんでもらえたらと思う。
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