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Talking Watches 世界有数の時計コレクター ジョン・ゴールドバーガーが語るヴィンテージコレクション Part.2

伝説的なコレクターであり研究者である彼が、至高のムーブメントを持つヴィンテージウォッチを12本携えて帰ってきた。おそらく、これほどの逸品の数々にお目にかかることは二度とないだろう。

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ジュネーブで過ごしたある1週間は、これまで何百回となく過ごしたなかでも印象に残っている。2013年、デジタルメディアのジャーナリストとして初の、唯一のアメリカ人として、当時最も若い審査員として私は初めてジュネーブ時計グランプリに参加することになった。その同じ週、若き日のオーレル・バックス(Aurel Bacs)氏が、「デイトナ レッスン・ワン」というテーマ別の時計オークションを初めて開催することになった。デイトナが初めて100万ドルを突破したのをはじめ、ロレックスの時計の驚くべき結果を初めて目にすることになる(オイスターソットだ。あれがクールだった頃を覚えているだろうか?) 余談だが、この記事のタイトルは「50本の時計が売れ、50もの記録を打ち立てた」だった。そう、あの頃は人を有頂天にさせるような出来事が続いた。

もう二度と見ることのできない12本のヴィンテージウォッチをとくとご覧あれ。

 また、この日は私が自宅ではなくジュネーブで過ごした、数えきれないほどの誕生日のうちの最初の日となった。そのときジュネーブ・フリーポート(ジュネーブ保税港と倉庫)を初めて訪れた(アルフレッド・パラミコの“プレシャスタイム”コレクションを見るためで、本当に心が洗われるような思いがした)。そして最後に、時計コレクターには比較的知られていない、背の高い、粋なイタリア人コレクターとTalking Watchesの撮影を週末予定していた。その人物とはジョン・ゴールドバーガー(John Goldberger)氏である。撮影は私の誕生日に、クリスティーズオークションが開催されていたホテル・デ・ベルグに隣接するカフェで行われた。その動画は数週間後に公開されたのだが、時計収集の世界はまったく変わってしまった。

ジョン・ゴールドバーガー氏は、40年以上にわたって時計とその物語を収集してきた。

 ジョン・ゴールドバーガー氏のような人物と初めて会ったときの感動はそうそう忘れられるものではない。その動画に映っていた時計とは? まず、ユニークピースのブレゲ 永久カレンダーである。我らがトニー・トレイナ(Tony Traina)のお気に入りである。そして、聖杯ともいうべきロレックスのRef.4113を含む3種類のスプリットセコンドクロノグラフだ(彼が裏蓋をどうやって開けたかは言うまでもない)。唯一無二の存在ともいうべきホワイトゴールドのRef.6265。それから、あのロンジン! あのセクターダイヤルのRef.570だ! あのクソカッコいいヨットマスター! 私のような人間にとって、これ以上のものはなかった。特に当時は、Instagramによって特別なものが特別でなくなったという実感がまだなかった時代だ。それから10年近く経った今、再びこの機会を得られるとは。これは期待できること間違いなしだ。もし、あなたが何らかの理由で“Talking Watches 有数のコレクター ジョン・ゴールドバーガー世界に数本しかないヴィンテージを公開”をご覧になっていないなら、この先に進む前にぜひご視聴いただきたい。


オーデマ ピゲ、パテック フィリップ、カルティエからなるグランドコンプリケーション懐中時計のトリオ

 ゴールドバーガー氏は、熱烈なヴィンテージ愛好家だ。彼の一挙手一投足が、時計のありし日の姿を一般の人々にさりげなく教えようとしているように感じられる。最初のTalking Watchesでは、ユニバーサル・ジュネーブ、キャプト、ミネルバ、ロレックスを紹介したが、どれも大型で、同じエボーシュ(あるいはベースキャリバー)をベースにしたスプリットセコンド機構を採用していた。これは当時一般的な手段だった。これは、上記のような“量産”ブランドだけでなく、オーデマ ピゲ、カルティエ、パテック フィリップといった世界最高峰の“オートオルロジュリー”に列するメーカーでも同じだった。ゴールドバーガー氏は、現在も時計製造の頂点に立つこれら3つの素晴らしいブランドから、スプリットセコンド、ミニッツリピーター、永久カレンダーを備えた3つのグランドコンプリケーション懐中時計を紹介しているが、これらはすべて同じジャガー・ルクルト製キャリバーを使用している。

これはAPのトリプルコンプリケーションの初期モデルで、1925年頃のホワイトゴールド製。ブレゲ数字なのはもちろん、ホワイトゴールド製なのも珍しい。

 オーデマ ピゲはホワイトゴールドのケースにアラビア数字が特徴だ。HODINKEEの熱狂的ファンならば、私がホワイトゴールドで初期のAPのグランドコンプリケーションを紹介したのはこれが初めてではないことを覚えているだろう。2014年にAPのアーカイブに入ったときの記事で見ることができる。そして実は同じ年、ほかでもないジャン-クロード・ビバー氏が所有する別のAPのグランドコンプリケーション懐中時計を紹介してくれたのだが、彼の時計は1世代あとの個体であった。ゴールドバーガー氏の持つ個体は美しく、3つのなかで最も音が良いという。

パテック フィリップのグランドコンプリケーション懐中時計で唯一、ブラックダイヤルとエナメルのムーンフェイズディスクを備えている。

 このパテック フィリップはイエローゴールド製ケースで、アメリカの実業家ドナルド・ギルモア(Donald Gilmore)のために製作された個体だ。アメリカのギュベリンで販売され、ブラックダイヤルを持つ唯一のモデルとして知られている。実際、この時計は当時の広告に掲載され、そのうちのひとつはHODINKEEオフィスの私の壁に長いあいだ飾られている。そして今、ここにもまたひとつ。

 この時計は、“コートのポケットにグリニッジ天文台を”の宣伝文句(このような広告)で紹介され、現存するブラックダイヤルの時計がひとつだけであることが確認されているため、パテックのグランドコンプリケーションとしては神話のようなものだ。また、これはパテック フィリップであることも忘れてはならない。しかもミニッツリピーター付きである。さらにスプリットセコンドだ。極めつけは永久カレンダー。1937年製だ。20世紀の時計製造における全能の“実質的な最終兵器”であるグレイヴス・スーパーコンプリケーションが、そのわずか5年前の1932年に発表されたことを考えると、このふたつの時計が同じ職人の手によって作られたことは間違いないだろう。

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 この時計のもうひとつの魅力は、ドナルド・S・ギルモアというアメリカの偉大な実業家の系譜をたどることができる点だ。この時計には、裏蓋の内側に彼と彼の妻(彼女は彼の義姉でもあった)のサインが裏蓋の内側に実際に記されている。ギルモアは、偉大な自動車コレクターであり、メカニカルなものをこよなく愛し、また、ウォルト・ディズニー(Walt Disney)というアメリカの偉大な指導者と親交のあった人物である。ゴールドバーガー氏は数年前、“中西部の名家から”この時計が送られてきたとき、その出所、品質、複雑機構、ブラックダイヤルに引かれただけでなく、このようなパテックのグランドコンプリケーションで、彫刻されているのが通例のムーンフェイズがエナメルディスク製である個体を初めて見たからであった。これはジョン・ゴールドバーガー氏のようなコレクターが所有すべき時計だ。

この1930年代のカルティエのグランドコンプリケーションに見られる、まるで1990年代のものであるかのようなガラス張りのケースは、カルティエのデザインが歴史的にいかに進歩的であったかを示している。

 最後に、ホワイトメタルのAPやブラックダイヤルのパテックのグランドコンプリケーションは決して否定できないが、このカルティエはただただ素晴らしいというほかない。同じキャリバーで、スケルトン、完全なシースルーケース。それも1931年製! これこそ、妄想でおかしくなったと思わせるような時計のひとつだ。オープンスタイルのケースバックが本格的に普及したのは、早くても1980年代後半から90年代前半、それもパテックのRef.3970をはじめとするコンプリケーションウォッチがほとんどだったからだ。一見して、この時計がヴィンテージムーブメントを使いながら、80年代か90年代にカルティエのケースに収められたものだと思っても、誰も怒らないだろう。しかし、そうではなかった。パテックやAPに搭載されているルクルトのエボーシュを、ヨーロピアン・ウォッチ・カンパニーのもとで完全スケルトン加工にしたものである。そして、複雑なキャリバーに施された素晴らしい手仕事を見ることができるよう、“ガラス張り”ケースを採用している。それも1931年の作品だ!


1929年のプラチナ製カルティエ パリ タンク サントレとプラチナ製ブレスレットの組み合わせ

1920年代のプラチナ製サントレとプラチナ製ブレスレットの組み合わせは、カルティエの最高峰だ。分かりきったことだが。

 このまま話を初期のカルティエの作品で進めるのも、ゴールドバーガー氏は、カルティエの重要な腕時計を世界でも有数のコレクションに持つことで知られているからだ。私がカルティエといえば、クラッシュではなく、大型のプラチナ製のデコラティブなサントレ、理想をいえばプラチナ製のブレスレットを思い浮かべる(カニエ・ウェスト、そしてInstagramで時計の歴史を知った気になっている人たちにはすまないが)。そして、その理想形がここにある。1970年代以前の本物のカルティエを集めるのがいかに難しいか、私は幾度となく書いてきた。そして、このような時計を見かけたことがあると思うかもしれないが、そうではない。実際、これはこの時代のオリジナルのプラチナ製サントレで、オリジナルのブレスレットが確認されている2本のうちの1本だ。まさに王のための時計であり、それが王のもとにあるというのは、なんともふさわしいことではないか。


1972年製 カルティエ ロンドン WG “ペブル” ユニークピース

1972年製、WGケースにグレーダイヤルという“おそらくユニークピース”のカルティエ ペブル。

 この動画は、カルティエがペブルを復刻すると知る前に撮影したものだが、ゴールドバーガーと私は何年もこの時計について話してきた。実際、前回ジュネーブのGPHGの審査員として彼と一緒に座ったとき、彼は1927年製のタンクをつけていたが、ポケットにペブルを忍ばせて私に見せてくれたのだ。しかし、当時私たちは “ベースボールウォッチ“と呼んでいた。その数カ月後、幸運にもカルティエのアーカイブに立ち入ることを許され、オリジナルの“ペブル”を見ることができた。オリジナルは6本しか作られなかったと聞いたが、最近オークションで見たものからすると、その数字が正確かどうかは定かでない。しかし、私が実際に見たカルティエ ロンドンのオリジナルペブル(5本)のなかで、WGの個体はこの1本だけだ。そして、グレイッシュブルーのダイヤルのことは話しただろうか? 誰にでもわかるように言うと、この150本のモダンなペブルを見ることは“通常よりも遥かに難しい”。1972年のカルティエ ロンドン ペブルのオリジナルを見るのは、“それよりもさらに一層難しい”だろう。では、これは? WG製のユニークピースのカルティエ ロンドン ペブルだって? その次が何であろうと、もうどうでもいい。正気の沙汰とは思えない。


カルティエ ロンドン マキシ オーバル ユニークピース、WG、グレーダイヤル

この時計が去年モナコのオークションに出品された時、彼が他の誰かに買わせると本当に思っただろうか?

 ゴールドバーガー氏は一貫した人物だ。彼は何年も前からユニークピースのWG製ペブルを所有しており、同じWGケースでグレーダイヤルのマキシ オーバルを手に入れる機会があったとき、迷わず選んだのである。この動画で彼が選んだ3本のカルティエのうち2本は、同じ生産拠点の同じ時代のものであり、それは60年代後半から70年代前半のロンドンであることは特筆すべきことだ。この時代、カルティエのニューヨーク、ロンドン、パリは、事実上、3つの異なる事業がほぼ独立して運営されていたことをご存じだろうか(あるいはご存じでないかもしれない)。この時代のカルティエ ロンドンは、最も美しく、大胆で、魅力的な作品を生み出す場所であったと考えられている。WGのこのふたつのユニークピースの個体を考えてみてほしい。もちろん、クラッシュも含めてだ。実はゴールドバーガー氏は現在、フランチェスカ=カルティエ・ブリケルと共同で、この時代のカルティエ ロンドンを紹介する本を来年出版するために執筆中だということだ。2021年刊行の『HODINKEE Magazine Vol.9』で取り上げたように、カルティエのコレクターとして本当に注目すべきものがあるとすれば、この場所、この時代のこれらのクリエーションだ。その理由をおわかりいただけるだろう。


1939年製 パテック フィリップ ワールドタイム Ref.1416

20世紀初頭のパテック ワールドタイムは、私にとってこれ以上ないほどロマンティックな時計だ。このRef.1415はその典型的な個体である。

 1930年代のパテック フィリップのコンプリケーションウォッチ? それが次の話題だ。このRef.1416はスモールワールドタイマーで、戦前のオートオルロジュリーのピークを示す顕著な個体である。もちろん、パテックのエボーシュの上にルイ・コティエベースのモジュールを使用しているが(詳細は後述)、この個体は限りなくミントコンディションに近い。しかも、この時計はアメリカの名家が所有していたもので、その名残が刻印されている。ケースバックには、リグレーフィールド(MLBシカゴ・カブスの本拠地球場)で聞き覚えのある“リグレー(Wrigley)”と刻印されている。この時計がオークションに出品された時のことをよく覚えている。というのも公表はされていなかったが、同じくリグレー家のユニバーサル・ジュネーブが出品されていたからだ。誰がそれを手に入れたか、ひとつ想像してみてほしい(笑)


ゴレイフィル&スタール ワールドタイム

ダイヤルにパテックとは表記されていないが、上のRef.1415と同じような機能がある。

 このゴレイ フィル&スタール(Golay Fils & Stahl)の腕時計は、冒頭のグランドコンプリケーションの懐中時計と同じように、上のRef.1415と多くの共通点がありながら、あらゆる点で劇的に異なるものだ。同じルイ・コティエのワールドタイムモジュールを搭載しているが、ベースとなるキャリバーはパテック製ではない。ケースはWG、ブレス、アールデコ調と変則的だ。ジュネーブで小売店をしていた頃のゴレイフィル&スタールの看板がまだレ・マン湖の上に残っているが、失われたブランドが実に美しいことをやっていた例といえるだろう。


1953年製 オメガ PG コンステレーション 七宝エナメルダイヤル

このスターン社製のエナメルダイヤルのオメガは、シンプルに素晴らしい。特にローズゴールドケースが。

 前回のジョン・ゴールドバーガー氏と時計を語る パート1では、私が最も美しいと思うオメガのひとつ、33.3セクターダイヤル クロノグラフを見せてくれたが、今日のオメガの姿から、多くの人が結びつけるのは難しいだろう(このような後々評価されるヒットモデルも同じような系統だが、そう、すでに生産終了している)。PGにエナメルダイヤルを持つ、驚くべきコンステレーションだ。このようなダイヤルの工芸は、ロレックス、オメガ、ユニバーサルなどでも散見されるが、主にパテックやヴァシュロンで見られるものであった。これはオメガのなかでも最も美しいもののひとつであり、エナメルコレクションは独自のカテゴリーといえるだろう。しかも、このエナメルで描かれるシーンは、天文台の塔とその上に輝く金色の星だ。この時計は、オメガが月に着陸する16年前に作られたものだが、彼らの目に星が宿っていたことは明らかだ。それから、これはYGではなくPGだ。そして極上のミントコンディションである。


パネライ マリーナ ミリターレ Ref.6152 “キャラメル”ダイヤル with エルメス製ストラップ

ゴールドバーガーはイタリア紳士のあるべき姿であり、パネライを代表すべき存在であるが、エルメスのストラップと合わせるとより一層魅力的である。

 ヴィンテージ パネライを収集することは地雷だらけの世界に身を投じるに等しいことだが、この世界に長く身を置く者にとっては、なくてはならないものだ。たとえば2015年にラルフ・ローレン氏と対談したとき、彼はこれをつけていた。ゴールドバーガー氏はこのRef.6152をずっと所有している。生粋のイタリア人である彼は、この時計にプライドを持っているのだ。彼が9年前にもTalking Watchesに持ち込んだもので、再訪する価値がある時計である。エルメスのストラップと合わせたって? おいおい、もう何もいうことはないさ。


1953年製 ロレックス ステンレススティール Ref.6062

ロレックスのSS オイスター Ref.6062を日常使いできるのはゴールドバーガー氏だけだ。

 やれやれ、何から話せばいいだろう? Ref.6062は、まさに完璧といえるかもしれない、希少な存在のひとつだ。私はSS製のRef.8171を所有しているが、同じ時計をより大きなスナップバックケースに収めたもので、とても気に入っている。しかし、Ref.6062には、多くの人の目をさらに引きつける何かがある。正直なところ、オイスターケースにロレックスの複雑機構(ムーンフェイズ付きトリプルカレンダー)を搭載している事実が大きいだろう。オイスターリューズ、スクリューバック、そしてデイトジャストやデイデイトに見られるようなおなじみのプロフィールを持ちながら、SS製で、しかも複雑機構を搭載しているのだ。ゴールドバーガー氏の個体は、香港のオークションでオリジナルオーナーから譲り受けたもので、期待に違わず、最高の1本といえるだろう。ゴールドバーガー氏がオイスターブレスレットにSS製のRef.6062をつけているって? 私の目には、これ以上クールなものはない。


1970年製 ゼニス WG エル・プリメロ

 10~12年前、私はメモボックスとその派生モデルに深く傾倒していた。2012年頃、ニューヨークでゴールドバーガー氏と会食したとき、彼が26番街のフリーマーケットで時計を買い漁っている話題に触れたが、そこは私自身何度も訪れては特段何も見つけられなかった場所でもあった(ゴールドバーガー氏はこのフリーマーケットで数十年前に若き日のアンディ・ウォーホルと出会い、何度も工房を訪れて親交を深めたのだが、それは余談である)。

 私は何か掘り出し物があったか聞いた。「ルクルトのメモボックスを見つけたんだ。WG製の」。「失礼ですが、聞き間違いでしょうか?」1950年代のJLC メモボックスのWG製だって? 私はそんなものがあるなんて聞いたことがなかったのだが、彼は私の住む街で素晴らしいコンディションのものを見つけたのだ(当然ではあるが)。その時、私はゴールドバーガー氏が、有名な時計を、人が思いもよらないような素材で見つけることに長けているどころか、天賦の才があることに気づいたのだ。前回のエピソードで紹介したWGのデイトナ Ref.6265(500万ドルで落札され、その全額を慈善事業に寄付!)を覚えているかもしれないが、件のメモボックスはまだ彼の手元にあると信じている。そして、こちらはWGのゼニス エル・プリメロは、同じくWG製のブレスレットだ。

 ゼニスがエル・プリメロを発表した当時、スイスの時計産業は活況を呈していなかったことを思い出してほしい。彼らは“イノベーション”を求めていたのだ。確かにエル・プリメロはそれを表していたが、“ラグジュアリー”という視点はなかった。したがって、金無垢のエル・プリメロというアイデア自体は、2022年には当たり前のように思えるかもしれないが、1969年当時は、広く市場に受け入れられるものではなかった。なにしろ、HODINKEEの発足の何年も前のことである。この特大サイズの一体型ブレスレットウォッチは、私が見たなかでは唯一のものだが、ゼニスのアーカイブの人々は、12本作られた記録があるとゴールドバーガー氏に語ったそうだ。もちろん、彼のコレクションにあるWGのメモボックスと並べて飾っても素敵だ。ゴールドバーガー氏が所有する数多くの時計のうち、この2本だけは本来存在しないはずのものだからだ。