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A Week On The Wrist A.ランゲ&ゾーネ オデュッセウスを1週間レビュー(動画解説付き)

1枚の写真は多くを語り、その時計と過ごす1週間は全てを語る。

A.ランゲ&ゾーネのオデュッセウスは、2019年10月にリリースされたが2020年4月にして、既にそれは大昔のことのように感じる。本機はランゲ初のオールスティールの時計であり、このモデル以前は貴金属製のクラシックなタイムピースのみを手掛けていた。

 もちろん、散発的にスティールモデルをリリースしているが、ごく限られた関係者の手に渡るのみだった-ランゲはその存在を発表しておらず、今日に至るまで、その生産数についての情報も公開していない(そうはいっても、ある程度の推定値はランゲ愛好家や収集家の間で共有されてはいるが)。

 ラグジュアリーウォッチメーカーにとって、スティールウォッチは昔から副業のようなものであった。大昔に私が初めてスイスを旅行し、時計の製造現場を訪れたとき、この業界に身を捧げていたある人物が私に言ったのは、“面白い話をしよう。僕が子供の頃、リムジンの後ろの座席に座る人間はゴールドのパテック フィリップを、その運転手はスティール製のロレックスを着けていたものさ。” 

 オーデマ ピゲ、パテック フィリップ、ヴァシュロン・コンスタンタンのような雲上時計メーカーにおいてはスティールが使われることはなくはなかったが、それでもごく稀であった。これらのメーカーは、スイス時計の最高峰として伝統的な価値を最大限発揮するよう望む、裕福な顧客のために時計を作ったのである。それは概して、素材に金、プラチナをふんだんに用いることを意味した。SSは実用主義者のための素材なのである-技術的な観点では評価されていたが、素材が持つ本質的価値によってのものではなく、一般に高級時計の心臓部を纏う素材として相応しくないと考えられていたのだ。

 そのパラダイムは1972年を境に変わった。スイス時計産業は当時クォーツ時計の普及で危機に瀕していた。1969年のクリスマス、セイコーがアストロンを発表して以降、アナログ/デジタルクォーツが続々と登場。LED表示のハミルトン パルサーもその中のひとつで、1970年にジョニー・カーソンがホストを務めるNBCの番組「トゥナイト・ショー」で初めてメディアに露出した。それでも1972年のバーゼルワールドでオーデマ ピゲは、ロイヤルオークを発表したのだが。

 そのデビューは皮肉に満ちたものであった-複雑なケースの形状はSSで成形することが難しかったことから、プロトタイプはホワイトゴールド製であった。オーデマ ピゲ・ミュージアムの元館長マルティン・ヴェアリ氏は当時を振り返り、“多くの人が展示ブースに入ってくるなり"よくやった!"と言ってくれましたが、外に出ると"彼らは6ヵ月ともたないだろう"と囁き合っていたものです。”

 悲観的な予想は根拠がないものだと証明され、1976年のパテック フィリップ ノーチラスの発表を契機に、ステンレスのラグジュアリースポーツウォッチは時計業界に一つの市場を作り出した。しかしながら、A.ランゲ&ゾーネが1994年に東西ドイツ統一後初のコレクションを発表したとき、ラグジュアリーウォッチのメーカー(と創業時からスイスのトップメーカーと互角に渡り合う気でいたランゲ)はもっぱら貴金属で時計ケースを作っていた。

 当時、レギュラーモデルでスティールモデルを展開することは、ラグジュアリー時計メーカーの戦略の対極をゆくことであったのだ。ランゲは革新的なデザインと独自に築き上げたハイエンドな仕上げに優位性を築きながらも、ラグジュアリー時計はあくまで貴金属でなければならないこという考えに固執した。

 しかし、20世紀も終わり21世紀になると、私はランゲが貴金属に固執するあまり、商機を逃しているのではないかと思い始めた。そうした長い葛藤の末、誕生したのがオデュッセウスである。

 古典に親しんできた人はピンとくるかもしれないが、ラテン語でユリシーズと発音するオデュッセウスは、トロイヤ戦争に従軍したギリシャの将軍で、20数年かけて帰還した伝説上の人物である(私はかねてから彼が故郷・イタキで夫人が待つのを知りながら、魔女キルケと1年間同棲したことは、彼のキャラクター上、汚点だと思っている)。オデュッセウスの開発は、20年もかからなかったが、数年にわたるものだった。

 クラシックで貴金属を用いるイメージの強いメーカーとしては異例であったというだけでなく、そのキャラクターを壊すことでもあった。開発チームは新境地を拓きながら、ランゲらしさを取り入れることに腐心したことが見て取れる-その本質は、見た瞬間にランゲと分かることなのだ-

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プレス用写真と現実

 オデュッセウスがローンチされた2019年、我々はIn-Depthの記事の撮影のため、オフィスにサンプルを取り寄せることができた。数時間の間であったが、その時点で私は当初の印象を見直す必要に迫られた。プレス用の画像は、かなりソリッドな雰囲気に仕上げられていたが、デザイン要素の細かい点に至っては、はっきりしない点がいくつかあった。しかし、私にはまるで違った印象をもたらしたのだ。

 率直に言うと、実際に見るまでは仕上がりに不安をもっていた。私は長年A.ランゲ&ゾーネのファンだ。実際にその時計を目にするまで、Timezone.comやThePurists.comでレビュー記事を読み、ランゲがグランドセイコーと同様、深い思い入れを感じざるを得ないメーカーだと実感するに至った。

 これらのメーカーが作る時計は私には特別だ-その理由の一部は、数世紀の歴史を持つひと握りのグループ、つまり伝統的なスイス時計ではないことに加え、伝統的な時計製造の美点を損なうことなく、新たなデザイン言語を再発明しながら極めて高い品質で時計を作ることができるからである。私はオデュッセウスに成功して欲しかったが、写真を見て、そうならないことを恐れた。ランゲの広報を非難するわけではないが、写真がハンズオンに勝るユーザー体験とならないことは明らかなのである。

 実際に時計を目の当たりにすると、第一印象通りだった部分と、印象と異なる部分が出てきた。実際の印象は、写真とは大きく異なるものだった。そのときはまだ完全に確信はできなかったが、私は非常に興味を惹かれた。それはHODINKEE読者にとっても同じだったようだ。何よりも、その体験は時計とより長く過ごしてみたいという気持ちにさせた・・・そしてついにその機会に恵まれたのだ。

そして、再会

 本記事A Week On The Wristの執筆のためにオフィスへオデュッセウスを持ち帰ると、この時計に対する私の愛着は深まるばかりであった。手から伝わる品質の高さはまさにランゲに期待するものだ。時計ライター(の枠に収まらない)のウォルト・オデッツは、オンラインの時計レビューのジャンルにおいて、1990年後半から2000年台前半にかけてTimezone.comのほとんどの記事を手掛けたことで切り拓いた人物であるが、ランゲの時計がいかに自らの琴線に触れるかをこう書き記している-サクソニア1本はカラトラバ10本分の価値がある、と。私が2000年代初頭にランゲと初めて対面したとき、それに似た感覚を覚えた。しかしながら、その印象は、無意識にではあるが、希少性は貴金属が独占するという先入観に基づいたものだ-ロイヤルオークとノーチラスは別として。

 私の驚きを言い表すと次の通りだ。オデュッセウスは名伏しがたくも、確かな密度の高さを醸し出している-言い換えると、オデュッセウス自体、そしてひいては時計業界にとって、この世に形を持ち、普遍性のあるもの、すなわち記念碑的存在といえる確かな質の高さを醸し出しているのである。かつてはSSからそのようなことは期待できなかった。

 ノーチラスとロイヤル オーク両方に独特の存在感があるが、90年代の復活以降、ランゲの時計製造の一部であった厳粛かつ静謐な質感を、金かプラチナ製でないモデルから感じられるとは思ってもみなかったのだ。これがどういうわけか、私の手には、ランゲの貴金属製ウォッチからしか感じられないはずの、静かな自信に溢れた時計があったのだ。

 実際に腕に巻くことも、想像を超えた体験となった。一般に、ランゲの時計を身に着けることに、あからさまな官能性を覚えるものではない。もちろん、腕の上にある種の存在感を感じることは確かなのだが、あるがままの、時計そのものから誘惑を感じることはない。一方、オデュッセウスは美しく設計された調整可能なクラスプと柔軟性のある5連リンクブレスレットのおかげで、装着には官能性を感じるほど優れている。

 私が子供の頃、父がそれまで見たこともないような巨大な衣服を持っていたのを思い出した-それはロシア産の狼の皮のマントだった(どうやって父がそれを手に入れたのか、それを知るためならどんな代償をも払うのだが)。子供だった私の肩に父がそれをかけてくれたときの、圧倒的に贅沢な重厚感が思い出される-オデュッセウスのブレスレットはそれと似た感覚をもたらせてくれるのだ。実にぴったりとフィットし、抜群に心地良いこのブレスレットは、時計本体の重さに対するウェイトバランスが良いため、重量が腕の周回に均等に配分される。それはまるで蛇が巻きついているような感覚で、幼体のアナコンダが腕に巻きついている様を想像して欲しい。

文字盤の仕上げとその配色

 私のオーナーとしての経験上、ランゲは品質にバラつきがなく、それは他のブランドには見られない特徴だ。最もシンプルなサクソニア37mmから最上級のグランドコンプリケーションまで、手を抜いたと感じられるところは皆無だ。それどころか、ランゲの時計には、いつも思慮の深さを私に感じさせるのである;身に着けることに喜びを感じさせるように、徹底的に配慮されているのだ。

 オデュッセウスの文字盤、ダイヤルのレイアウト、針はランゲの典型的なデザインを引用しているが、恐らく最も蓄光塗料が使われたモデルとして当面君臨するだろう(以前からランゲは、ランゲ1 ルミナスとツァイトヴェルク ルミナスのような蓄光を独創的に採用するメーカーであった)。表現の明確さに対する真摯な姿勢が方針のひとつである時計ブランドとして、ランゲの時計は、簡単に素早く時間が読み取れるという基本的な役割を期待されているが、オデュッセウスもその例外ではない。

 むしろそれ以上に、オデュッセウスは多くの表情を、それも控え目に見せる。ノーチラスやロイヤル オークは強い印象を与えるべく若干意図しているところがある-もちろん、過度にではないが、明らかな誘惑である;それはまるで、五輪代表の体操選手が、フロアルーティンの最後に審判に送るスマイルのようなものである。

 オデュッセウスにも独自の愛想のようなものはあるが、それは時計全体から感じられるものとなっている。ダイヤルの仕上げ、ドイツ風フォント、秒針のオープンテール-これらは注意を引くために主張しすぎることはない。代わりに、それらは素晴らしいカントリーハウスのよく訓練されたスタッフ-当然のことながら、常に失敗せずに仕事を遂行できる-のように、必要と感じる場合にのみ、その日をより素晴らしいものにするために存在するのだ。

 この思想は時計の操作性にまで貫かれている。曜日と日付の調整のためのプッシュボタンは、プッシャーのように見えず、むしろブレスレットの延長線上のアクセントにすら見える。機能的であると同時に装飾的であるということは、オデュッセウスのささやかな愉悦ともいえる-それはまるでデコラティブな花瓶を回すと、隠し扉が開くのに似ている。オーナーは31日に満たない月の翌月初めまで待ち遠しく感じるほど、その機能は面白いのだ-永久カレンダーではない代わりの優れた代替機能というだけでなく、それ自体が操作する楽しさに満ちているのである。

 一度着用すると、ケースとブレスレットは貴族的な雰囲気を醸し出す。時計はすぐに日常に溶け込むのだが、自身の言動や立ち居振る舞いにこれまで以上に慎重になるような気持ちにさせられる。もちろん、ランゲの貴金属製ラウンドケースのクラシックな時計よりはずっと、時と場所を選ばない時計ではあるのだが、同時に、ランゲに備わっているクラシックな資質をもしっかりと受け継いでいるのである。実際、カジュアルに着用することができる時計ではあるが、計算された装いの中にこそ活きる時計だと私は思うのである。

 1週間は矢のように過ぎ去り、私が当初懸念した様々な要素は解消されたどころか、互いに調和しているようだった。もちろん、最も変化したのは時計そのものではなく、私のオデュッセウスに対する認識だ;私は当初、新しい視点で見ることができなかったのだが、恐らくランゲもそれを意図して設計したのだろう。私が感じていた最も大きな違和感のひとつは、スポーツウォッチにスモールセコンドを配したことだ-結局、スポーツウオッチの性格からして、もし秒針が必要だと判断するならば(初代ロイヤルオークは薄さとデザイン的な判断から省略した)、センターセコンドのレイアウトの方が視認性に優れるのだ。

 しかし、ランゲの時計としての文脈で見れば、オデュッセウスのスモールセコンドは功を奏したといえる。ランゲの時計たちにはおびただしいほどの魅力があるが、その魅力とはデザイン手法と高い組み立て品質の交配によって生み出されたイメージに深く根差したものなのである。もし彼らがオデュッセウスにその奇抜な魅力を取り込もうとしたならば、もっと簡単に脚光を浴びたであろうが、やはりそれでは没個性化してしまうのである。

キャリバー L 155.1 デイトマティック

 ムーブメントについてひと言。A.ランゲ&ゾーネは、多くの面で、ムーブメントで語られることの多いメーカーだ。長い年月にわたって、多くの比類ない機構を生み出してきただけでなく、多くの、実に多くの美しいムーブメントを世に送り出してきたのである。実際、調和した美をムーブメントの機構と仕上げに取り入れてきた点で、競合できるメーカーは数えるほどだろう。ランゲのオーナーとしての醍醐味は、時計を外して裏返してみると、そこには小さな宇宙が広がっている様子に密かにうっとりとできることだろう。

 Cal.L155.1デイトマティックはオデュッセウスのための専用設計であり、ランゲのハイエンドな仕上げの手段のためだけではなく、現代の機械式スポーツウォッチに相応しい堅牢性と利便性の追求を目的として開発された。ランゲのムーブメントらしい優美さも備えているが、見かけ倒しというわけでもない。当然、美しく仕上げられていないという意味ではなく-精度と長期安定性のために、フリースプラング可変慣性モーメントマスロット付きのテンワ、2万8800振動/時のハイビート、50時間のパワーリザーブを備えているのだから、緻密に設計されていないという意味でもない―その逆である。

 しかし、時計から得られる印象は、全体の仕上げに根差しているように思えた。昔、ランゲからダトグラフの貸出を受けたとき、5分おきに時計を外しては、裏側のムーブメントに恍惚としたことが思い出された(今でも史上最高に美しいクロノグラフムーブメントの候補だと思っている)。それに対し、オデュッセウスではムーブメントはやや裏方寄りの存在だ。もちろんこのオーケストラの欠かせないパートではあるのは、ムーブメントがランゲ製でなければ、時計がそれほど興味をそそるものでないと仮定すれば、明らかである。Cal.L155.1デイトマティックはプリマドンナというよりは脇役かもしれないが、時計全体のインパクトにとって不可欠な存在である。

ステンレススティールとラグジュアリー

 オデュッセウスは全貌を捉えるまでに時間のかかる時計である。1週間共に生活して、最近話題となっているラグジュアリースティールウォッチについて、考えを深めることができた(私にとっても、読者にとってもそうなることを願う)。

 私のように長年のランゲファンであれば、先入観という壁を飛び越える必要がある。人が期待したのは、実際の時計とはかなり異なっていたとは思う。私が長年にわたってランゲの収集家と話す中で聞かれた要望は、かなりシンプルなことだったからだ-ブレスレット付きのスティール製ダトグラフや粒状リンクブレスレット付きのSS製ラウンドウォッチといった類のものだ。もちろん、これらは商業的に成功するだろう(ランゲが金儲けをしたければ、ゴールドやプラチナモデルよりも安価なプライスでスティール製ダトグラフをリリースすれば良いだけだ。儲かりすぎて笑いが止まらないに違いない)。

 そうはせずに、彼らはもっと面白いことに賭けたのだ:時計のケース、ダイヤル、ブレスレットに新たなデザイン言語を取り入れ、それらの要素はひとつひとつが新しいものではないが、同じ時計に集約されたとき、全く新しいものとなるのだ。前述したように、ステンレススティールは、時計業界にとって歴史的にラグジュアリーと関連づけられた素材ではない。造形の複雑さや面取り、仕上げにおいてはラグジュアリーな雰囲気を与えることはある程度可能な素材ではある。

 しかしながら、オデュッセウスは多くのラグジュアリースポーツウォッチの代名詞でもある、あからさまな煌びやかさ、キラキラ反射する特徴を避け、素材としてのスティール独特の特徴である静謐な存在感を実現している。一方で、手に乗せるとツールのようにも感じられる-時刻を伝えるためにきちんと組み立てられ、完璧に設計された道具だ;それはまさにゲルマン魂を体現したものである。しかし、それはまた、明らかにそれ以上のものだ。

 腕時計は、時代遅れとなって棄てられたアナログ機械の概念を継承した稀有な存在である。時刻を計測する装置―腕時計、置き時計、それに類するもの―が作られ始めた頃、機能性と審美性の間に境界線はなかった。その当時の最高峰のムーブメントはハリソン作H4マリン・クロノメーターであり、純然たる芸術品と同じくらい贅沢なエングレービングが施されていたが、以降その概念は現代の時計業界におけるクラフツマンシップとして受け継がれている。
 オデュッセウスはこの概念を代表する意欲作なのだ。それは時計としての存在以前に機械であり、道具である。しかし、それはまた、実用性が美の追求と真っ向から対立するのではないことを示している-事実、オデュッセウスの存在そのものが、ある種の美しさを放っているように。

A.ランゲ&ゾーネ オデュッセウス:SSケース、40.5mm×11.1mm;120m防水、ねじ込み式リューズ、風防とケースバックにサファイヤクリスタル。リューズ側のケース側面に曜日とビッグデイト表示の一体化されたプッシャー機構。ダイヤル・複層ブラス製、蓄光塗料入りのゴールド製アプライドマーカー;針・蓄光塗料入りのホワイトゴールド製。ムーブメント・自社製新Cal.L155.1 DATOMATIC、片方向巻上式プラチナ製分銅付ローター。5姿勢精度調整;調整用偏心錘とビートエラー調整スワンネックを備えたフリースプラング式テンプ;手彫りエングレービングのバランスブリッジ。部品総数312点、内日付カレンダー機構に99点;ムーブメント径32.9mm×6.2mm。長さ微調整機構付きSS製ブレスレット。定価310万円(税抜)。詳細については、A.ランゲ&ゾーネオンラインまで。
 

撮影Tiffany Wade 動画&編集:Greyson Korhonen