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Buying, Selling, & Collecting 1週間を経た今もなお頭から離れない、エベレストに関連するロレックス腕時計3選

エベレストに関連するロレックスウォッチが、ひとつのオークションシーズンに1本だけでなく3本も登場するとなれば、注目しないわけにはいかないだろう。3本すべてについて、そのストーリーを紹介しよう。

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ロレックスの最大の功績のひとつ、それは彼らに尋ねれば喜んで語ってくれるが、エベレストに関するものだ。テンジン・ノルゲイ(Tenzing Norgay)とエドモンド・ヒラリー(Edmund Hillary)卿が人類初のエベレスト登頂に成功したとき、どちらの腕にもロレックスがつけられていなかったことを示す証拠があるようだが(それはスミス社の時計だった。残念)、そんなことは問題ではない。ロレックスは彼らの荷物のどこかにしまい込まれてちゃんとそこにあったのだ。いずれにしてもロレックスは、1930年代から遠征隊にスポンサーとして時計を提供しており、高高度におけるその信頼性はすでに確立している。

 エベレストに登ったロレックス時計というもの自体がひとつの研究分野となりつつあり、今回のオークションシーズンではその教科書に新たな3本が追加された。そしてそれらはすべて高値で落札された。では、それらの時計、その旅路、そしてそれらがロレックスにとってどのような意味をもつのかを見ていこう。

“ユルク・マルメット(Jürg Marmet)”のロレックス Ref.6298
Rolex Everest Explorer Marmet 6298

先週末に28万9800スイスフラン(約4289万円)で落札されたユルク・マルメット(Jürg Marmet)のロレックス。Image: Courtesy of Janosch Abel

 まず最初は今回のオークションのなかでも最高値がついた時計、率直にいって、今回のオークションシーズン全体でもベストな部類に入る時計だ。オークションハウスがよく言いたがる“歴史的に重要”だからという理由だけでなく、この時計は外観もすこぶるいいのだ。それではまずストーリーから始めていこう。というのも、通常であれば特に際立つところのないこのエクスプローラー以前のRef.6298を、2万9800スイスフラン(約4289万円)という値のつくスティール塊に変えた理由がそこにあるからだ。

 このロレックスは、ユルク・マルメット(Jürg Marmet)というスイス人エンジニアが所有していたもので、彼は若い頃に登山にもかなりのめり込んでいた。1953年、マルメットはカナダのバフィン島(地図で探すなら上のほうだ)遠征隊に参加したのだが、たまたまロレックスがスポンサーを務めていたため、ケースバックに“バフィンランド(BAFFINLAND)”と刻印されたこの時計を手に入れることになった。マルメットにとってバフィン島への遠征は単なる始まりに過ぎず、1956年に彼はエベレスト山頂を目指すスイス遠征隊に選ばれた。これはノルゲイとヒラリーが人類初制覇を成功させた3年後のことで、スイス遠征隊がついに到達を果たした瞬間だった(スイス遠征隊は1952年にも試みているが、山頂まではわずかに至らなかった。その話は後ほど改めて)。

Rolex Everest pre-Explorer 6298

マルメットのRef.6298のケースバック。彼の名前とともに“バフィンランド 1953(BAFFINLAND 1953)”の文字がエングレービングされている。Image: Courtesy of Janosch Abel

 このときスイス遠征隊が成功を遂げ、マルメットはノルゲイとヒラリーに次ぐ3人目のエベレスト登頂者となった。さらにおまけとして遠征隊は、エベレストへ向かう途中に世界第4位の標高を誇るローツェにも人類初の登頂を果たしている。上でも述べたように、ある特定の時計が登頂時にその人物の腕に実際にはめられていたかどうかは延々と続きそうな議論にもなり得るが、この時計がバフィン島からローツェ、そしてエベレストに至るまでの過酷な試練をマルメットとともに乗り越えていった事実に議論する余地はない。

 クリスティーズによると、このRef.6298はマルメットの家族が出品したもので、すこぶる見事で信頼できる品に見える。ダイヤルは誰の目にも好ましい経年劣化を帯びた温かみのあるサンドカラーで、その他の部分には擦り傷や打痕があるようだ。そしてそのコンディションの悪さとオリジナルの来歴とが合わさったとき、外見上は地味な時刻表示のみの36mmのロレックスにしかみえない時計としてはおそらく最高額となる、ビッグな結果が得られるのだ。

“ノーマン・ギュンター・ダイレンフルト(Norman Günther Dyhrenfurth)”のロレックス Ref.6098
‘Norman Günther Dyhrenfurth Everest Rolex

ダイレンフルトのRef.6098は、1952年のスイス隊エベレスト遠征の際に与えられたもので、先週末にフィリップスで15万1200スイスフラン(約2238万円)の値がついた

 次は、フィリップスで15万1200スイスフラン(約2238万円)の値がついたこちらのRef.6098だ。このロレックスは、ノーマン・ギュンター・ダイレンフルト(Norman Günter Dyhrenfurth)という人物が所有していたもので、彼は1952年にエベレスト登頂を目指すスイス遠征隊に参加し、山頂までわずか1000メートルほどのところまで行ったのだがそこで断念し、翌年の登頂への道を切り開くにとどまった(翌年、テンジン・ノルゲイとエドモンド・ヒラリーによる英国遠征隊が登頂を果たすことになる)。結局のところ、ロレックスがベース基地を負担し、多くのスイス遠征隊やイギリス遠征隊のスポンサーを務め、遠征後に返却することを前提として登山家ひとりひとりに時計を提供したのだ。1952年のスイス遠征隊はメンバー全員がジュネーブ出身であった。ロレックスとしては、地元の遠征隊に登頂を果たして欲しい気持ちがより強かったに違いない。ダイレンフルトを含む遠征隊は、遠征後に時計をロレックスに返却しなければならないはずだった。しかしなんとしたことか、彼はそれを忘れてしまうのだ。そして70年後、それがこの時計について語るべきストーリーとなる。

‘Norman Günther Dyhrenfurth Everest pre-Explorer Rolex

ダイレンフルトのロレックスのケースバックには、“B6”という謎のエングレービングが入っている。

 フィリップスによると、ダイレンフルトは2017年の亡くなる数カ月前、この時計を人に譲り、その人物が今回出品したのだという。そうした来歴に加えて、この時計そのものにも興味深い点がある。ケースバックに“B6”と彫られているだけで、ラグからラグのあいだにはシリアルナンバーすらないのだ(これは、今週クリスティーズで落札されたこのステンレススティール製デイデイトのことを思い浮かべてしまう。それにもシリアルナンバーが入っていないのだが、そうしたレアなSSデイデイトは、ロレックスの時計職人に与えられたものなのだろうと憶測されることが多い)。フィリップスは“B6”という刻印が何を意味するのかという考察を載せていないが、これは、これまで見たエベレスト関連のほかの時計に似ているような気もする。1953年のノルゲイとヒラリーの遠征隊が使用した時計のいくつかには、登山家の名前とともに“H12”や“H6”などが刻印されていた(しかしそれらの時計にはシリアルナンバーも入っていた)。とすると、B6はダイレンフルトの遠征につけられたものなのだろうか?

 ほかのエベレスト関連の時計とは異なり、この時計のケースバックには登山家の名も遠征隊名も彫られていない。通常ならその遠征のために刻印されるはずのものだ。それ以外の点では、この時計はベイヤー時計博物館で見たヒラリーのロレックスに非常に似ている。

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 では、なぜダイレンフルトのロレックスはマルメットの半分ほどの落札額にしかならなかったのか? もちろん、マルメットが山頂を制覇したのに対し、ダイレンフルトはあと1歩で果たせなかったというだけの理由ではないだろう(ちなみにダイレンフルトは1963年、アメリカ初のエベレスト遠征隊を率いて最終的に登頂を果たしている)。マルメットの時計はその状態に嘘偽りがなく、来歴も直接家族からというストレートなものであることなどが挙げられるが、それに加え、ダイレンフルトのロレックスにまつわる、興味深くも答えが出ていないこうした疑問にも関係がありそうだ。

記念として贈呈された“レイモン・ランベール(Raymond Lambert)”のRef.6298
Everest Rolex Raymond Lambert

1952年のスイス隊エベレスト遠征の参加後にレイモン・ランベール(Raymond Lambert)に贈られたRef.6298は、フィリップスで6万9300スイスフラン(約1026万円)という落札額だった

 さて、いよいよ最後の1本。ダイレンフルトと同じく1952年のスイス遠征隊に加わっていた、レイモン・ランベールに記念贈呈されたロレックスだ。実は、ランベールはノルゲイとともに、当時の最高度記録となる地点まで到達しながらも山頂まであと1歩というところで断念したふたりだった。間違いなく、彼らが翌年のイギリス遠征隊の山頂までの遠征ルートを切り開いたのだ。

 1年後に登頂を果たしたヒラリーは、次のように振り返った。「信じられないほど侘しい光景だ。1年前に1952年のスイス遠征隊のテンジンとランベールが立てたテントの骨組みは壊れ果てているが、そこで彼らは食べる物も飲む物もなく、寝袋もないまま極めて居心地の悪い一夜を過ごしたのだ。なんて屈強なペアだったのだろう。だがおそらく、あまり計画的ではなかったのだ」(実のところ、季節風も吹いていたし、実質的に彼らはその地点を酸素なしで登っていたのだ)。ヒラリーはさらにノルゲイとランベールはその頃には主にチーズと融けた雪くらいしか口にするものがなく、水分補給も十分ではなかったと思われると述べている。

Everest Lambert Rolex 6298 Explorer

ランベールのロレックスのケースバックに刻まれた刻印。

 ダイレンフルトとは異なり、ランベールは遠征後にロレックスを返却したようだ。その返礼としてロレックスは、その記念の時計をランベールに贈呈した。フィリップスも指摘しているように、この時計はどこかの時点でロレックスが修理したものと思われる。ケースが作られたのは1953年頃と推定されるが(シリアルナンバーから)、ケースバックには1967と刻印されており、これはその年にこの時計が修理に出されたのであろうことを物語っている。そしてロレックスはおそらくダイヤルを修理し、新しいケースバックにつけ替えたのだ(そして元のケースバックにあった“EXPEDITION SUISSE À L'EVEREST 1952 – RAYMOND LAMBERT〈1952年スイス隊エベレスト遠征-レイモン・ランベール〉”のエングレービングを、再び彫り込んだのだ)。

 この修理で時計の当初の状態がいくらか損なわれたこと、そして、エベレスト遠征のあとにランベールに贈られたというわかりやすい事実とが相まって、フィリップスでこの時計が“たった”6万9300スイスフラン(約1026万円)で落札されたのだというのは間違いない。興味深いことに、ランベールがエベレストにつけていったオリジナルの時計は“ロレックスのコレクションのなかにある”とフィリップスは述べているのだ。

エベレストコレクションを集める
Rolex Everest Swiss Expedition 1952

左からアーネスト・ライス(Ernest Reiss)、ジョン・ブジオ(Jean Buzio)、グスタフ・グロス(Gustave Gross)、ガブリエル・シュバレー(Gabriel Chevalley)、レイモン・ランベール、アーサー・スポール(Arthur Spoehl)、テンジン・ノルゲイ、ノーマン・ダイレンフルト。写真:ATP/RDB/ウルスタインビルド ゲッティイメージズより。

Image: Courtesy of Phillips

 ランベールのオリジナルの時計のように、ロレックスがこうした時計のひとつやふたつを自社コレクションに加えるのも意外なことではないだろう。マルメットやダイレンフルトのものであれば特にだ。ロレックスが先週も含め、これまでも現在も、自社の歴史的な時計に入札していることは我々も知っている。

 最後に、こうしたエベレストロレックスのストーリーが今でも発掘の最中にあることは注目に値する。コレクターたちは、ランベールのロレックスについてはこれまでに見ていたし、そして最近ある研究家が、1953年のヒラリーとノルゲイの遠征隊に加わっていた科学者、グリフィス・ピュー(Griffith Pugh)のオイスターパーペチュアルを発掘した。歴史的に非常に重要なロレックスウォッチがまだいくつか存在し、発見されるのを待っているのだと考えると胸が躍る。

写真は特筆がない限り、すべて各オークションハウスによる提供。