trophy slideshow-left slideshow-right chevron-right chevron-light chevron-light play play-outline external-arrow pointer hodinkee-shop hodinkee-shop share-arrow share show-more-arrow watch101-hotspot instagram nav dropdown-arrow full-article-view read-more-arrow close close email facebook h image-centric-view newletter-icon pinterest search-light search thumbnail-view twitter view-image checkmark triangle-down chevron-right-circle chevron-right-circle-white lock shop live events conversation watch plus plus-circle camera comments download x heart comment default-watch-avatar overflow check-circle right-white right-black comment-bubble instagram speech-bubble shopping-bag

時計製造における"世界記録"の裏事情

"あなたはその言葉を使い続けています。けれども、あなたが思っているような意味ではないと思いますよ“- イニゴ・モントーヤ『プリンセス・ブライド・ストーリー』より

トップ画像は、2019年に水深の世界記録を樹立した“オメガ・ウルトラ・ディープ”。この時計は、潜水艇「リミッティング・ファクター」で水深1万928メートルまで潜り、トリエステでのロレックス ディープシーの記録を打ち破った。わずか12mの差だが、世界記録であることに違いはない。

レオニダス王がスパルタを愛したように、時計ブランドが愛して止まないものがふたつある。それは、記念日と世界記録だ(3番めは“史上初”だろう。私はいつも、時計メーカーが素数にあたる年の記念日だけを祝ってくれればと思っている。“私たちマニュファクチュールの創業から37年目を祝して…”とか。これができるのは多分、H.モーザーくらいだと思うが)。 記念日はたいてい簡単なもので、限定モデルを1~2本リリースしたり、「過去の栄光」と「輝かしい未来」を祝うマーケティングキャンペーンを打ったりするものだ。

From 1986, ref. 25643 by Audemars Piguet

1986年に発表されたオーデマ ピゲのRef.25643は、初の量産型トゥールビヨンであり、初の量産型自動巻きトゥールビヨン、世界で最もフラットなトゥールビヨンという栄誉を数十年間も保ったモデルだ。

 世界記録の話に入る前に、“史上初”の扱いについてひと言。"史上初"というのは地雷原のようなものだ。時計製造の問題点は、多くの場合、非常にゆっくりと物事が進む分野であるということだ。神が小さな青りんごを作ったように、あることを最初に切り拓いたブランドであると大々的に宣伝しても、その半年後には、誰かが50年前の同じものをジュウ渓谷にある祖父の代のタンスの引き出しから引っ張り出してきて、あと戻りしなければならない(少なくとも、そのことについては黙って、“史上初”はなかったことにしなければならない)可能性があるからだ。

 世界記録はさらに厄介だ。世界最薄記録の時計を見れば、この言葉がどれほど曖昧なものであるかが理解できるだろう。

 まず、超薄型ムーブメント、それも世界最薄記録を保持するムーブメントを、結果として世界最薄記録を達成していない時計ケースに搭載することがあり得る。例えば、オーデマ ピゲのCal.2120/21は、2120(デイト表示なし)が発売された1967年以来、世界最薄のセンターローター式自動巻きムーブメントを名乗っているが、このムーブメントは、時計史上最薄記録や、そのカテゴリーでの世界最薄記録を保持していない多くの時計ケースにも採用されているのが実情だ。

 さらに、最薄ムーブメントの世界記録も一枚岩ではない。センターローターの自動巻きムーブメントではCal.2120/21が世界最薄記録保持機だが、マイクロローター(ローターがムーブメント地板と同じレイヤーに収まっている形態)のムーブメントでは、ブルガリによるBVL 138 フィニッシモのキャリバーが2.23mmで世界最薄記録を保持する。さらに、ペリフェラルローターの自動巻きムーブメントの土俵にも世界記録が存在する。

Bulgari caliber BVL 138 Finissimo, 36.60mm x 2.23mm

ブルガリ製Cal.BVL 138 フィニッシモ、36.60mm×2.23mm。この薄さを実現するために、通常よりもやや大きめの直径を持つ。

 そして、手巻きムーブメントの世界最薄記録という問題がある。シンプルな機構と複雑機構の両方に世界記録がある。ブルガリは複雑時計においても、世界最薄のトゥールビヨン(ケースとムーブメント両方)や世界最薄のミニッツリピーター(同)などの世界記録を保有している。しかし、何を絶対的な世界記録とすることがどれほど難しいかを知るために、リピーターの世界記録を例に見てみよう。

 ブルガリ オクト フィニッシモ ミニッツリピーターのムーブメントBVL362の厚さはわずか3.12mmで、オクト フィニッシモが登場するまでは世界最薄のリピータームーブメントだったヴァシュロン・コンスタンタンのパトリモニー コンテンポラリーミニッツリピーターCal.1731の3.90mmより0.78mmだけ薄い。さらに厄介なのは、ヴァシュロンのRef. 4261(製造年:1943年~1951年、36本製造)は厚さ3.10mm仕様のムーブメントを搭載していた。さらに、1981年にはジェラルド・ジェンタがケースを含めて厚さ2.72mmのミニッツリピーターを発表しているのだから、なおさらである。この時計のムーブメントの寸法を調べたことはないが、2.72mmよりも薄いことは間違いないだろう。

 では、“世界最薄のミニッツリピーター”の称号を得るにふさわしいのは、どの時計だろうか。実際に生産中なのは2機種だけなので、“歴代世界記録 ”と “現在生産されている時計の世界記録 ”を区別する必要がある。また、ジェンタのミニッツリピーターは、あまりの薄さに信頼性に問題があったと言われているが、4つのムーブメントのなかでは確かに最も薄いムーブメントだった。

Vacheron Constantin ultra-thin repeater ref. 4261

ヴァシュロン・コンスタンタン エクストラフラット  ミニッツリピーター Ref.4261

Vacheron Constantin ultra-thin repeater ref. 4261

ヴァシュロンはRef.4261に12リーニュと13リーニュ両方のキャリバーを搭載した。温度補正付きバイメタル切りテンプにも注目。

 しかし、信頼性の低いムーブメントを世界記録としてカウントすべきだろうか? “史上最薄の手巻き式ミニッツリピーター腕時計で、実際にそれなりに信頼性が高いムーブメント”と“史上最薄の手巻きリピーター腕時計だが、動作が不安定なムーブメント”とに分ける必要があるのだろうか? そしてもちろん、“最薄ムーブメント”と“ケースや風防を含む時計全体が最薄”の比較もある。ある時点で、ワイルドターキーをフォーフィンガー分だけきれいなゼリーの瓶に注ぎ、「どうせこんなもの買えないんだから、どうでももいいじゃないか」と思い直して、一杯やったあと、G-SHOCKのウィンドウショッピングに出かけようとなるのが関の山である。

 最後に、時刻表示のみの手巻きムーブメントの世界最薄記録について考えてみよう。ここでは、ローターの種類が異なることはなく、明確な結果が得られると思われるが、それは間違いだ。

 私はジャガー・ルクルト製Cal.849が大好きだ。かつて、同社はスティールケースのマスター・ウルトラスリムを展開しており、2015年から2016年にかけて、マスター・ウルトラスリム スケルトンにそのムーブメントを使っていた。私が知る限りでは2020年発表の超薄型腕時計“キングスマン”に使ったのが最後だ。そして、ヴァシュロン・コンスタンタンは、Cal.1003として、ヒストリーク・エクストラフラット
  1955(ピンクゴールド製)に今でも使用しており、そのバージョンは1.64mmとさらに薄く仕上げられている。

Vacheron Constantin Les Historiques Ultra-Fine 1955

ヴァシュロン・コンスタンタン ヒストリーク・エクストラフラット 1955

Vacheron caliber 1003, derived from the Jaeger-LeCoultre cal. 849.

ジャガー・ルクルト製Cal.849から派生した、ヴァシュロン仕様のCal.1003。

 さて、これもかなり薄いのだが、さらに薄いものがある。ピアジェは極薄ムーブメントの開発に長い歴史を持つメーカーであり(厚さ2mmと2.3mmのクラシックなCal.9Pと12Pを含む)、おそらくこのゲームに参加するために、厚さわずか2mmのアルティプラノ アルティメート・コンセプトを発表した。これは、全体の厚みが4.13mmのヴァシュロン製エクストラフラット 1955よりもはるかに薄い(まぁ、2mmの差を「はるか」と呼べるかどうかは別として)。

 しかし、ここで問題となるのは、アルティプラノには独立したムーブメントが搭載されていないことだ。その代わり、時計のケース自体がムーブメントのプレートになっている。ということは、“ムーブメント”の厚みは2mm? それとも、風防、ベゼル、ケース、針の高さを差し引いた厚みが2mmなのだろうか?

Piaget Altiplano Ultimate Concept watch.

ピアジェ アルティプラノ アルティメート・コンセプト

 オーデマ ピゲは、初の量産自動巻きトゥールビヨンのRef.25643にこの手法を採用しているので、なにも新しいアプローチというわけではない ‐ 一般にCal.2870として知られている。1986年に発表されたこのモデルの厚みはわずか4.8mmで、ブルガリが2018年に厚さ3.95mmのペリフェラルローター搭載のオクト フィニッシモ トゥールビヨン オートマティックを発表するまで、何十年にもわたって世界最薄の自動巻きトゥールビヨンの称号を維持してきた。

 さて、世界最薄の手巻きムーブメントの対立候補といえば、他にふたつ挙げなければならない。ひとつは、1976年に発売され、ヴァシュロンやピアジェなど複数のブランドで採用された、今は亡きジャン・ラサール社のCal.1200だ。厚さはわずか1.2mmだったが、ここでもまた、信頼性の低さが問題となった。その上、あまりにも薄いため、修理のためにケースを開けると、ムーブメントに物理的な(心理的にも)ストレスがかかり、ムーブメントごと交換しなければならなかった。

Jaeger-LeCoultre "knife" pocket watch, early 1900s.

ジャガー・ルクルト製懐中時計“ナイフ” 1900年代初頭。

 もうひとつの候補は、もっと昔のものだ。これはジャガー・ルクルト製Cal.145で、厚さ1.38mmとCal.849のどの派生型よりも薄く、しかも1907年頃から1960年代までと、驚くほど長い期間製造されていた。これは懐中時計用のムーブメントだが、信頼性は高く、50年以上にわたってJLCのムーブメントカタログに掲載されており、現在生産されているムーブメントと比較しても、複雑機構、シンプル機構、手巻き、自動巻きを問わず、最も薄いムーブメントである。

Jaeger-LeCoultre caliber 145, only 1.38mm thick.

ジャガー・ルクルト製Cal.145、厚さわずか1.38mm。

 そしてまた、本当に限界に迫るならば、ヴァシュロンのRef.10726が挙げねばなるまい。Ref.10726も“ナイフ”タイプの懐中時計で、ムーブメントの厚さはわずか0.90mmだ。しかし、Cal.145とは異なり、これは限界を超えてしまったようで(笑)、3個しか製造されなかった。

ヴァシュロンのRef. 10726、見ただけで切れそうなほどシャープである。

 このように、一面的な世界記録ではなく、さまざまな基準で複数の候補が挙がる。まとめると、現在生産中の手巻きムーブメントの最薄【JLC Cal.849】;Cal.849系派生型のなかで最薄【VC Cal.1003】;伝統的なムーブメント構造を持つ手巻きムーブメントで最薄【再びVC Cal.1003が挙がる】;その特異な構造から最薄ムーブメントの候補になるかどうかは別として、手巻き式時計として最薄【アルティプラノ アルティメート・コンセプト】;史上最薄の手巻きムーブメントだが、信頼性が低い【ラサール社製 Cal.1200】;伝統的な構造を持つ最薄の手巻きムーブメントで、何十年も製造されており、信頼性も高かったが、懐中時計用ムーブメントなので比較対象になるか微妙な存在【JLC Cal.145】-伝統的な構造で最薄の手巻きムーブメントで、懐中時計用ムーブメントなので比較対象になるか微妙な存在で、おそらく中期的にも実用性が低かった【VC Ref.10726】。

 もうおわかりだと思うが、時計製造における世界記録は、ブランドや時計ライター、時計愛好家によって、言ってみればかなりの幅がある ‐ 防水性能、高振動クロノグラフ、高振動脱進機など、他の世界記録も同様にピンと来ないことがあるが、それはデザイン、エンジニアリング、構造の実用上の限界値に近づくにつれ、信頼性、実用性、装着性の限界にも干渉し始めるという単純な理由からである。

 確かに、技術的にはふたつの独立した輪列を持つ36万振動/時のクロノグラフを作ることはできるが、クロノグラフのパワーリザーブが1時間未満で、人間が知覚できないほど高い周波数を持ち、従来のクロノグラフの3倍(あるいは4~5倍)のコストがかかり、経過時間の実用的な測定や使用者の利便性を改善することがほとんどないとしたら、一体何の意味があるというのだろう?

ゼニス デファイ・ラボの脱進機、10万8000振動/15Hz。

 しかし、その一方で、世界記録に挑戦すること自体が飽くなき営みであるのも事実である。人は色々なことに挑戦するが、それは実用性を追求するためではなく、単に挑戦することへの好奇心からである。時計製造における“世界記録”には常に注意が必要であり、ときには膨大な但し書きが必要だが、それでも時計メーカーが世界記録を更新しようとすることは楽しいことだ。私が10万8000振動/時の脱進機を搭載した時計を買うことはないかもしれないが、そのときは観客席から応援しよう。

Shop This Story

Hodinkee Shopは、ゼニス とオメガの正規代理店です。