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世界はもっと多様な時計師を求めている

周縁化地域では、時計製造技術を学ぶ上での障壁に直面することがよくある。アメリカ初の時計製造組合では、新たに2つの奨学金制度を設け、学びの機会を増やそうと努めている。

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時計愛好家やコレクターは長い間、より多くの能力ある時計職人が必要だと嘆いてきた。我々はメンテナンスのために時計を送り、長い待ち時間がある場合に、特にこの必要性を痛感する。

 時計業界の中には、こういった問題に目を向ける人々がいる。新たな場所で次世代の時計職人を発掘することは、この分野で大いに必要とされる才能と新たな創造的な視点を加えるために必要な手段だ。アメリカで最も古い時計製造組合であるニューヨーク時計協会は、時計製造を学びたい人のための経済的支援を行おうとしている。

“ベンジャミン・バネカー; 測量家・発明家・宇宙飛行士” マキシム・ゼルビンダーによる壁画(写真;キャロル・M・ハイスミス)。

 HSNY  (ニューヨーク時計協会 )は、高まる会員の要望を受け、このほど新たに2つの奨学金制度を発表した。それは時計製造を学ぶ黒人学生のためのベンジャミン・バネカー奨学金と、ユダヤ人学生のためのオスカー・ウォルダン奨学金だ。それぞれのコミュニティの中から、アメリカ国内の時計製造学校に合格した学生もしくはフルタイムで時計製造を学んでいる学生を対象に、最高5000ドルまでの奨学金が与えられる。

 HODINKEEは先日、奨学金制度の功労者である2人の業界リーダー、アルディス・ホッジ氏とアンドリュー・ウォルダン氏に話を聞いた。ホッジ氏は俳優にして時計製作者・時計デザイナーであり、2020年7月からニューヨーク時計協会の評議員を務めている。最近では、HODINKEE マガジン Vol.7に寄稿もした。ウォルダン氏は、ウォルダン・ウォッチズのCEOであり、時計ブランド、ウォルダン・インターナショナルの創始者で、ホロコーストの生存者だった故オスカー・ウォルダン氏の息子でもある。

 以下に、ホッジ氏とウォルダン氏が、奨学金制度を飾る2人の背後にある物語を語ってくれる - そして、新しい教育の機会が、時計に必要な多様性をどのようにもたらすかを説明してくれる。

アルディス・ホッジ氏(写真提供:マーク・マン)。

アルディス・ホッジ氏談:

 「1731年に生まれたベンジャミン・バネカーは多くの仕事をしました。 彼は独学で時計師となり、アメリカで最古の振り子時計の1つを開発し、それは火事で焼失するまで正確な時間を刻んでいたそうです。また、作家兼出版業者でもあり、年鑑を出版していました。さらには科学者であり、数学者であり、農家であり、天文学者でもあったのです。私の考えでは、彼は、自分の可能性を最大限に発揮した体現者だったと思います。黒人であることが人間以下の存在と考えられ、 知性すらないと思われていた奴隷制度の時代にあっては、驚くべき功績だったと思います」  

 「残念ながら、私の経験からこのようなことは、今日でも少なくない人々が黒人に対する見方として、当てはまるように思います。しかし、バネカー氏は自分に向けられた馬鹿げた思い込みを全て反証しました」

 「バネカー氏は、生涯に彼に仕えることを余儀なくされた若い女性との間にできた子供たちも含む600人の黒人を奴隷にしたトーマス・ジェファーソンに宛てた手紙まで書いています。ジェファーソンに、黒人を劣ったものとして見る理論やイデオロギーを払拭するように訴えました。そして、人種差別や奴隷化との戦いの味方になるようにと懇願したのです。私は心から、全ての人にバネカー氏について知ってもらいたいと思いますし、トーマス・ジェファーソンに宛てた手紙を読んでもらいたいと思います。バネカー氏は素晴らしい人物であり、可能な限りの賞賛に値すると思うのです」

アンドリュー・ウォルダン氏。

アンドリュー・ウォルダン氏談:

 「オスカー・ウォルダンは私の父であり、彼は時計づくりに命を救われました。ポーランドで生まれた父は、ブッヘンヴァルト強制収容所にいたユダヤ人で、そこで同じ境遇の時計職人のマネクと出会ったのです」

 「マネクは父を時計づくりの弟子として受け入れ、部品の見分け方といった基本的なことから、時計とは何か、仕組みや時計を分解して元に戻す方法といったことまで、時計づくりについて知る全てのことを父に教えてくれました。それ以前、父が時計や時計づくりに携わった唯一の経験は、子供の頃に懐中時計を見つけて分解したことくらいでした。 父が幼い頃から時計に対する好奇心を持っていたことが伝わってきて、この話がずっと好きでした」

 「この見習い経験は、まさに時計づくりの入門講座とも言うべき特訓で、衛兵のために時計を修理する知識をもっていたことが父を守ったという事実によって、さらに強化されました。父を貴重なスキルをもった人間にしてくれたのです。戦後、父はニュージャージーに住んでいた唯一の生き残りである遠縁の親族を探すため、難民としてニューヨークにやってきました。

 「エリス島に上陸した後、父はここ、ニューヨークで安定した仕事を探すことにしました。幸運にもローワー・マンハッタンにある小さなポーランド人の時計店で仕事を見つけることができましたが、ニューヨークでの移民としての最初の日々は大変なものでした。彼にとって学業は常にとても重要なものだったので、仕事を終えた後、夜間学校に直行して学ぶこともしばしばでした。そのため、ニュージャージーの親戚の家に帰るのが遅すぎて、ジョージ・ワシントン橋の下で寝泊まりをしなければならないこともしょっちゅうでした」

オスカー・ウォルダン氏。

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アルディス・ホッジ氏談:

 「なぜ時計の世界で黒人が不足しているのかについては、私の個人的な考えでは、私たちが時計界のインフラの重要な、あるいは必要な一部であるとして認識されていないからだと考えます。黒人の消費者や時計師、販売員、時計メーカーなどを示す潜在的な認知は、ほとんど存在しません。黒人アスリートを起用したキャンペーンがたまにあることを除いては、メディアや広告にもほとんど登場せず、工場で働いているチームの写真が掲載されている場合も、その存在が示されることはありません。ベンジャミン・バネカー奨学金が設立されるまで、私自身、特に私や私の文化に時計の世界への誘いとして語りかけるような取り組みは見たことがありませんでした。私はこの分野で10年以上働いているのに、です」

 「黒人のイノベーターや労働者、消費者に対する見解を形成する上で、体系化された人種差別が果たしてきた役割について私が言及しないなら怠慢と言われるでしょう。なぜなら、 それが、全ての疑問に対しても大きな役割を果たしていると思うからです。文化をどのように含めるか、あるいは除外するかを決定するような集団において、内部で、あるいは他と連携して、話し合われるべきテーマなのです。“なぜ黒人の消費者についてもっと深く考えないのか?”と。私たちは、人種差別の烙印(あからさまなものと、私たちが意識しているかもしれない微小な侮辱の両方)が、黒人コミュニティに関する私たちの見解、ひいては私たちの努力を、決定づけることを許しているのでしょうか?」

 「それを変えるためには、まず時計業界が変化を求めていることを認識し、そして自分たちの工場や経営陣が自分たちを支える消費者市場を反映したものになるように望むことから始まると思います。認知され注目されれば、黒人や褐色の若者が自分たちに関心が払われているのを知り、自然とこの世界と関わりたいと思うようになるでしょう。彼らのイノベーションへのモチベーションは、既にそこにあるからです(多くの若い黒人や有色人種の科学者、エンジニア、医師などで証明されているように、私たちは彼らの才能が様々な分野で輝いているのを目にしています)。自分を見ていない業界や環境を認識しようとしないのは自然なことです」

 「バネカー奨学金は、黒人や褐色の若者たちを直接知ることによって、彼ら、つまり若く聡明な才能を認識し、彼ら自身が自覚する能力を認めることによって、その助けになると信じています。多くの子供たちは、自分が何者でり、何を達成したいかを自覚していますが、彼らがゴールにたどり着くためには、特別な助けが必要なのです。それが私たちがHSNYで目指していることです。 私たちは情熱があることを知っていて、その情熱を少しでも明るく灯したいと思っています。最終的には、人々が自分の可能性を広げ、人生で成し遂げたいことを達成するために、最高の自分に出会うことができるように支援することです。

 「ベンジャミン・バネカー奨学金は、HSNYの理事会が指定した寄付金で賄われています。この基金は、HSNYの個人会員、後援者、スポンサーの皆様の寛大なご支援により可能となりました。応募者と受給者に期待されているのは、良いと思うことはなんでもしてほしいということです。多くの応募者を検討し、多くの奨学金を授与できることを楽しみにしています」

アンドリュー・ウォルダン氏談:

 「この奨学金は、父のレガシー、信じられないようなストーリー、そして勤勉さと教育への確かなコミットメントに敬意を表すものです。私たちは、様々なバックグラウンドをもつ人々に時計づくりにもっと投資してもらい、新たな機会があることを知ってもらい、そして昔から少し秘密主義で参入が難しいとされてきたこの業界についてもっと学んでもらいたいと思っているのです」

 「時計づくりに関するある種の固定観念が、歓迎されない排他的な雰囲気をさらに助長しています。例えば、ユダヤ人の時計職人たちが業界で必ずしも過小評価されているとは思いませんが、彼らの功績がそれに相応しい形で語られることは少ないと思います。時計づくりというと、スイスやドイツを思い浮かべるでしょう。でも、この業界にはユダヤ系の人たちがたくさんいるのです。私は幸運にもユダヤ系の父の友人である素晴らしい時計職人と何人も出会うことができました。父のレガシーを称えるこの奨学金が、時計業界の多様性を促進するだけでなく、既に時計業界で活躍しているユダヤ系時計職人の知名度を高め、関心を集め、その功績を称えることの助けになればと願っています」

ベンジャミン・バネカー/オスカー・ウォルダン奨学金の詳細については、HSNYのサイトをご覧ください。