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Photos by Tiffany Wade
少なくとも私の心のなかでは、1970年代ほど象徴的な時代はない。実験的なもの、服装がイケてるもの、鮮やかな色彩のものなど、あらゆるもののベンチマークとなった10年間だったからだ。
しかし、ポリエステルでできたレジャースーツや厚底シューズ、サンクンリビング、そしてボブ・マッキー(Bob Mackie)の衣装を着たシェール(参考までに、私は70年代のシェールへとスピリチュアル的に導かれているので、これは個人的なものだ)といった陳腐な見せかけを越えて、デザイン界の端々では革命が起きていた。グラフィックデザイン、インダストリアルデザイン、インテリアデザインだけでなく、建築やファッションなどすべて、色と形が爆発的に変化をしたのである。
その10年は解放の時代(漂流の60年代)と過剰の時代(非常に派手な80年代)に挟まれた年代だ。市民の苦難と極度の経済不況に陥ったにもかかわらず、どうにか表現の自由を維持していたカウンターカルチャー(既成文化や体制を否定し、敵対するような文化のこと)が主導した、中興の10年である。
1970年代は、50年代と60年代で安定していたルックに対する美的の激しい変動の振り子とでも言うべきか。そしてそれは時計学におけるデザインも例外ではなかった。
もちろんパテック フィリップの1970年代的デザインストーリーは、クォーツショックに対する作用反作用であることは間違いない。新しいテクノロジーに直面して、スイスのブランドは実験的になるしかなかったのだ。Cal.ベータ21(これについては後述する) にもかかわらず、“クォーツを手首につけることに抵抗があったようだ”と、ジャーナリストで作家のニコラス・フォークス(Nicholas Foulkes)が著書の『パテック フィリップ 正史(原題:Patek Philippe: The Authorized Biography)』で述べている。“この嗜好は正式な方針ではなく、むしろ無意識のうちの、暗黙の文化的スタンスだった”。
アーティストであり時計コレクターでもある、Talking Watches出演者のフィリ・トレダノ氏に、彼のコレクション である1970年代(自称)の“大胆にデザインされたパテック フィリップウォッチ”について話を聞き、またショックに直面したパテックで何が起きたのかを、デザインの観点から詳しく探ってもらった。そして逆境を前にしながらも、なぜパテックはこれまでで最も革新的でエレガントなデザインを生み出せたのだろうかについても。
「これらの時計は小さな俳句のように、完璧な文章なのです」と興奮したように話すトレダノ氏。「その文章のすべての単語が完璧です。句読点のひとつひとつの位置もパーフェクトなのです」。テーブルの上から最初に手に取った時計は、Ref.3588/2だ。1974年製、WG製の35mm自動巻きカラトラバで、ダイヤルとメッシュブレスレットにシェブロン(ヘリンボーン)パターンが刻まれている。ダイヤルからブレスレットまでの連続したパターンは、トレダノ氏自らが“コンティニュアスコンセプト(Continuous Concept)”と名付けたものであり、この手法はヴィンテージのピアジェでも施されているのを見たことがある。これは時計の全体的な本質を彫刻的なオブジェに変えて、流動的でありながらも全体を一体化させる技法だ。それは連続させた上でのパターンであり、実際の時計がこの宝石のような主導的なデザインに関与することを排除するものではない。ケースはブレスレットに溶け込んでいるが、文字盤に描かれたブレゲの数字は、深く伝統的な時計技術へのおどけた賛辞として巧妙に機能し、これが歴史ある時計ブランドであることを思い出させる。トレダノ氏は「これはおそらくパテック史上最もパンクロックであり、言うなればパテックのシド・ヴィシャスですね」と笑った。
クォーツショックのあいだ、パテックは職人技を称えるブランドとしてのアイデンティティに磨きをかけて、Patek Philippe. Hand Crafted(パテック フィリップは手作業)や、A Tribute To That Wondrous Tool: The Human Hand.(人間の手という不思議なツールへの賛辞)といったスローガンを掲げた、キャンペーンを展開した。そしてエリプスが60年代の終わりにつくられたにもかかわらず、それは1970年代のパテックのシンボルとして定着していた。時計としてだけでなく、ジュエリー、カフスボタン、ライターなど、さまざまなアイテムが自由な実験の証として示されていた。パリの金細工師であったジョルジュ・ランファン(Georges L'Enfant)は、金色の組紐でエリプスを吊り下げた星座をモチーフにしたペンダントをつくり、18金無垢のホワイトとイエローのエリプスシェイプを持つライターには、ギヨシェ彫りとエナメル装飾を施している。エリプスはシンプルなデザインを特徴としながらも、クラフツマンシップを表現するためのキャンバスでもあったのだ。
世界がクォーツに一本化されていくなか、パテックは高品質な機械式ムーブメントの生産を続けるという別の方向へと進んだ。「競合他社よりも、薄くて精度の高い機械式時計を生み出す競争になりました。それがエレガントさを決定づけたのです」と、パテック フィリップの専門家であり、コレクタビリティ(The Collectability)の創設者であるジョン・リアドン(John Reardon)氏は説明した。「ウルトラシン(超薄型)というフレーズは、その時期あらゆる時計メーカーを通じて何度も目にしました」。確かにメッシュブレスレットの使用もその一環であった。
この時代のケースやブレスレットといったパーツは外注されることが多かった。これはこの時代の多くの時計が、ブランド間で驚くほど似通っていたという事実を示している。私はオーデマ ピゲやヴァシュロン・コンスタンタンとは対照的に、70年代のパテックに熱いエールを送るトレダノ氏に、この分野には愛好家に対するブランドの洗脳がほんの少しでもあるのではないかと尋ねた。
「70年代のパテックの作品を見ると」と前置きをし、「誰がショーを指揮していたとしても、トップダウンで非常に明確な指揮系統があったように思えます。潔い考えでした。委員会のホストなしで介されるビジョンです」。トレダノ氏が愛用するRef.3729/1Gのケースは、アトリエ・レウニ(Atelier Réunis)によるものだ。アトリエ・レウニとは、ブランドのインハウスデザイナーであるジャン=ピエール・フラッティーニ(Jean-Pierre Frattini)が考案した、オリジナルのエリプスシェイプとデザインを、パテックの仕様に合わせて初めて実現したケースメーカーである。1975年にパテックはアトリエ・レウニを正式に買収し、彼らはRef.3970、ノーチラス、カラトラバ Ref.3919など、今日に至るまでのパテックの最も重要なケース製造を担当したが、2000年初頭まではほかの時計メーカーへの供給も続けていた。
Ref.3729/1 Gが真の70年代製の製品であると分類されるのは、一体型のケースとブレスレットを別にすれば、極めて彫刻的なそのデザインにある。オニキスダイヤルの純粋さとシンプルさは、金属細工が主要な構造要素になっているが、すべてが調和のとれたユニットとして機能している。私たちは時計をひとつのピース、ひとつのフォルムとして見ているのだ。
Ref.3729/1Gのステップベゼルと、ブレスレットの“トゥバガス(Tubagaz)”デザインは、当時の人気家具のデザインを思い起こさせる。また爬虫類のようなブレスレットは、デセデの有名な“ノンストップ”と呼ばれるモジュール式ソファのデザインにも似ている。あるいは、もう少し手に取りやすいコンパクトなトーゴソファか。そのどちらも複数のライン、あるいは私が椎骨のように考えているものだ。Ref.3729のブレスレットの触感は、デザイナー兼エンジニアの故ブルーノ・ムナーリ(Bruno Munari)が“便利なものは官能的なものと結婚している”と分類したかのように、一種のセクシーさを時計に吹き込んでいるようである。この年代のデザインは、全体性に到達しようとする試みが多かった。“物には全体性があるが、アート、建築、デザインにも全体性がある。それはすべて同じ視覚言語の一部なのだ”と、高い評価を得ているムナーリの大著、『Design As Art』 のなかで書かれている。
Ref.3733/1Gは同様のデザイン性を想起させるが、今回は長方形とラピスダイヤルを採用し、ケースからブレスレットまで連続性を持たせている。70年代のパテックが重視していたのはシェイプ、質感、そして重量感であったのは明確だ。「このブレスレットはミスリルです」と冗談を放つトレダノ氏。しかしある意味、彼のコレクションにあるメッシュとチューブ状のフォルムのどちらにも、神秘的な性質があることには同意できる。ある種の万華鏡のような効果、あるいは蛇皮や樹皮といった有機的なテクスチャーやフォルムをエミュレーションした、時計の幻覚のような感覚だ。
これらの言及は、明らかにテクノロジーへの熱狂に対する避けられない反応であったことを表している。例えば、レンゾ・ピアノ(Renzo Piano)、リチャード・ロジャース(Richard Rogers)、チャンフランコ・フランキーニ(Gianfranco Franchini)によって1977年に設計されたポンピドゥー・センターは、まさに技術の勝利を物語る重要な表現だった(いつもスウォッチのジェリーフィッシュを思い出す。ちょっと話がそれた)。ポンピドゥーは、ガラスのトンネル内に設置された外部のエスカレーターや、鮮やかに色分けされてむき出しになったサービスシステムなど、これまで人々が隠そうとしていたすべてを見せびらかした建物だ。これはウォッチメイキングにおける美意識に対する今日までのアプローチや、オープンワーク、スケルトンダイヤルに焦点を当てたものと非常に似ている。しかしパテックは、腕時計に関していささか頑ななまでにテクノロジーを貫き、70年代にまったく新しいデザインコードを自ら切り開いた。「パテックが言いたかったのは、“我々に何ができるか考えてみても、透明なケースバックすら見えていない”ということでした」とトレダノ氏は説明した。
パテック フィリップがクォーツ技術を完璧に無視していたわけではない。実際、高精度のエレクトリック技術は、同ブランドが製造していた大型時計や卓上時計といった各種製品へ積極的に採用されていたからだ。そしてブランドは、1969年に発表されたベータ21(長いプロセスに関わった、21ものスイスの時計会社にちなんで名付けられた)の開発に貢献。これがパテックによるクォーツウォッチ進出のきっかけとなった。ベータ21はツーピースケースとして、これもアトリエ・レウニによって製造された。これはパテックの機械式時計が超薄型を追求していたのとは対照的に、異例とも言える扱いにくいサイズだった(なお1977年に発表され、注目を集めたCal.240が超薄型の規格だった)。
Ref.3603(下の写真)は、エリプスの形とクォーツムーブメントが交差したとてもおもしろいモデルだ。またRef.3597/2Gはより幅が広く、WG製で、 “チーズグレーター(チーズおろし器)”スタイルのブレスレットが特徴だ。正直なところ、私はトライポフォビア(集合体恐怖症)なのでこのブレスレットには手を出さなかった。理不尽な心配はさておき、クォーツムーブメントにもかかわらずこのリファレンスでは斬新なデザインが維持されていた。ベータ21はクォーツウォッチだが、ダイヤルはとてもアナログ的だった。LEDやLCDディスプレイなど、パテック フィリップにはレトロフューチャリスティックなものは見当たらない。
私はトレダノ氏のダイヤモンドスケーター、Ref.3506/2 Gを手に取った。そしてこれを手放したいと言っていた彼が、この時計を所有していたことにホッとしたと伝えた。これが最もエレガントだと思う。WGケースのサイドにバゲットダイヤモンドが2列に並んでいるという、現代の市場では絶対にリーズナブルな価格では見つけることができないものだ。これは私が完璧だと思っている時計だが、これよりもっと大胆で、存在感のあるものを求めてしまう可能性が高い。価値があるモノは、私たちがそれに価値を与えるからにほかならない。おそらくこの言葉自体、今日の時計のデザインと消費に対する私たちのアプローチを物語っているのかもしれない。
現在の時計市場は、コンテンツを目に見える形で誇示することに力を入れている。トレダノ氏は、今の時計デザインのフェーズを、“現代のロココ時代”と名付けた。それはさながら見下したような言葉ではあるが、私も同感である。独立時計メーカーが台頭し、リシャール・ミルやMB&Fなどのブランドが人気を博したことで、スケルトナイズ化、フローティングインダイヤル、そしてフライングトゥールビヨンなどが注目されているようである。ノーチラスは現代のパテック フィリップの本格的な入り口であったが、70年代のモダンで実験的なデザインの多くは(今日、一部の愛好家を除いて)、やや忘れ去られたように見える重要な時期であった。このデザインは実験的なものではあったが、特異なアイデア表現であることが多かった。少しでも気を取られるものはほとんどなかった。
「何かが狂っていたり、バランスを崩していたりするとすぐにわかります」とトレダノ氏。「私にとっては、これらの時計のすべてが美しく配慮されていると感じられるのです」
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