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In-Depth ブレゲとリージョン・オブ・オーナー美術館による展覧会「ブレゲ:時計製作の芸術と革新」の詳細(膨大な画像と共に)

時計製造の歴史の中で最も独創的な頭脳が生み出した物理的、機械的なモニュメントを目の当りにする一生に一度のチャンスであると大絶賛された、ブレゲの遺産を巡る素晴らしき展覧会の全貌。

※本記事は2015年9月に執筆された本国版の翻訳です。 

2015年9月19日は、私が久しぶりに思い浮かべることができる、最もエキサイティングな時計イベントの一つでも言うべき展覧会のオープニングの日だった。 モントレ・ブレゲとリージョン・オブ・オーナー美術館(サンフランシスコ美術館の一つ)が提携し、「ブレゲ:時計製作の芸術と革新」を開催、ブレゲ自身の最盛期から息子のアントワーヌ-ルイの時代まで、ブレゲ初期の幅広い時代を網羅した80以上の時計、置時計、器具が展示された。 

 本展は、リージョン・オブ・オーナー美術館のヨーロッパ装飾美術・彫刻担当学芸員マーティン・チャップマン氏と、パリのヴァンドーム広場にあるブレゲブティックに併設されるブレゲ美術館の学芸員エマニュエル・ブレゲ氏が共同で企画・制作を行った(多くの写真で体感できるブレゲ美術館への入館はこちらから)。本展の作品は、ブレゲ美術館の所蔵品をはじめ、フリック・コレクション美術館など他の機関の所蔵品などを結集したものだ。

アブラアン–ルイ・ブレゲの肖像画。

 この展示は、機械式時計学に興味のある者であれば、全ての人が絶対に見るべきものであり、その歴史をどれだけ知っているか、知らないかに関わらず、信じられないような体験ができることを保証しよう。ブレゲは、ヨーロッパにおける機械式時計の歴史の中でも特に重要な局面を担った。それは、本物の高精度な時計が初めて携帯できるようになった時期であり、また、正確な時計が科学的英知のしっかりとした基盤の上に成立し始めた時期でもある。才能ある弟子にのみ、その秘密を伝える徒弟制度は、時計学を応用科学として扱う数学的・技術的に根拠のある書籍に取って代わられつつあった。同時に、ブレゲは史上最高の時計デザイナーの一人でもあり、現代における最初の本格派と呼ばれている。それ以前の時計デザインの多くは、時計製造という文脈の中で確立された装飾的なイディオムを使用していたというより、それ自体デザインを追求したものではなかった。しかし、ブレゲの業績は、時計製造に特化したデザイン言語を発明した点で際立っていた。彼に先立って、時計製造そのものを装飾芸術の一つとして捉え、これほどまでに徹底的に考え抜かれた完全なビジョンを打ち立てた人物は存在しなかったのだ。ブレゲは技術革新者として知られているが、同時に時計製造の道具性を尊重すると共に、これまでにないエレガントさを時計製造に与え、それ以前はほとんど実現されていなかった、首尾一貫した時計製造のデザイン哲学をも発明したのだった。

 2016年1月10日まで開催された展覧会の見どころを少しだけご紹介しよう。 

ブレゲ No.1/8/82, “ペルペチュアル”ウォッチ。

 これはブレゲNo.1/8/82のムーブメントだ。自動巻き機構を備えたブレゲの時計として知られる最古のものであるだけでなく、現存するブレゲの中でも最も古いものであるという点で、重要な意味をもっている。時計を身に着けている人の動きを利用した自動巻き時計を製作するという課題は、1770年から80年の間に非常に大きな課題となっていたが、それよりもずっと前の時代から時計職人たちは有効なシステムを考え出そうとしていたという証拠が残されている(デザインの起源がドイツであることを示唆する証拠もいくつか存在する - 1952年には、シャピュイとジャケは「... 19世紀中頃、ブレゲ社の社長であった故エドワード・ブラウンは、ニュルンベルクの時計職人が“ペルペチュアルウォッチ”を発明したことに言及しましたが、それ以上の詳細についてはありませんでした」と記している(1800年代後半、ブレゲの最後の子孫が家業を継ぐ意思がないと判断した後、イギリス人のエドワード・ブラウンがモントレ・ブレゲを買収した)。

 ブレゲは、自動巻き時計の実験を最初に行ったわけではないが、実用的なシステムを発明し、改良した最初の人物であると広く評価されている。また、他の全ての発明と同様、彼は生涯を通じて“ペルペチュアル”システム(彼が自動巻き時計に使っていた言葉で、時計初心者はしばしばパーペチュアルカレンダーと混同してしまうことがある点に留意)を改良するための実験を続けた。1782年のブレゲのナンバリングシステムは、単に時計が完成した日付を使用していた:したがって、No.1/8/82は1782年8月1日に完成したことになる。

ブレゲ No.4973。

ブレゲ No.4973のムーブメント。

 ここでは、ブレゲNo.4973のダイヤルとムーブメントをご覧いただこう。この時計はブレゲが亡くなった1823年から8年後の1831年に完成したものだが、実に先進的なデザインとなっている。二重香箱、繊細なテンプを保護するためのブレゲの“pare-chute(パラシュート)”耐震機構、スプリット式のバイメタル温度補正テンプ、そして巻上げ錘には2つのバンパースプリングが使用されている。しかし、おそらく最も注目すべき点は、巻上げ錘が実際に地板にセットされていることで、時計の薄型化を可能にしていることだ -1世紀後のマイクロローター自動巻き機構の出現を予感させる特徴だ。

 時計製造における“キーレス”機構とは、時計のリューズを使って巻き上げや時刻合わせが可能であることを意味する。今では当たり前のこととなっているが、ある時期においてはかなり大きなイノベーションであった。時計製造初期の歴史では、何十年もの間、巻き上げと時刻合わせの両方が鍵を使って行われていたが、それにはリスクが存在した(シャーロック・ホームズの物語『四つの署名(The Sign of Four)』では、夜に時計を巻こうとして震えていた酔っ払いの手がムーブメントのカバーに付けた傷から、ホームズはワトソンの兄が酒飲みであったことを推理している)。

ブレゲ No.180, 指輪型アラーム時計。

 時計学における全ての重要な技術革新と同様、誰が最初に発明したかについては盛んに議論がされているが、ブレゲが開発競争の非常に早い時期に存在していたことは確かである。例えば、1836年に製作された指輪型のリングウォッチは、実に驚くべき時計だ。これにより小型化という信じられないような偉業を成し遂げた。リングウォッチは非常に希少であり、その理由は言うまでもないが、製作が非常に難しく、結果として非常に高価なものとなった:初期の注目すべき例としては、1764年ジョン・アーノルド製作によるイギリス国王ジョージ3世のためのハーフクォーターリピーターを搭載したリングウォッチがある。イギリス王室は500ポンド(訳注:当時の金貨にして約4kg相当)もの莫大な費用を支払った。このリングウォッチは直径2.5cmしかないが、その中にはスモールセコンドを備えたルビー製シリンダー脱進機と、アラームが設定されている時間に時計背面にある小さな針が着用者の指を刺すという非常にユニークなアラーム機構が搭載されている。

 このリングウォッチは1836年にデミドフ伯爵より注文を受けたもので、右側に時刻表示のための巻上げと時刻合わせ用のリューズ、左側にアラーム用の第2のリューズが備えられた(現代の高級時計ブランドのデザイン会議でこれを提案したら、どんな反応をするか想像できるだろう)。しかし、これはキーレス機構を備えた初めての作品ではない。その時計、キーレス機構を初めて備えたNo.4952は1830年に販売され、アーカイブの説明によると、リューズでの巻き上げと時刻合わせの両方の操作が可能で、時刻設定モードはブレスレットにセットされた金のネジを押すことで操作可能だということだ。これは1845年のパテック フィリップの特許を15年も遡るが、パテックのキーレス時計は、ケース内のスイッチ機構ではなく、リューズを引き抜くことで時刻設定モードに切り替わるという点で大きく異なる。

 ブレゲは様々なクラスの時計を製造していたが、真の時計愛好家にとっては、彼の“ガルド・タン(Garde-Temps, 訳注:精度追求そのものに関心をもつ顧客向けの超高級時計)”級の時計に特別な魅力を感じるようだ。その名が示すように、これらの時計は特に精度を重視して製作されたもので、基本的に携帯可能な測定機器と考えてよい。ブレゲは特に科学全般や時間計測に関心を寄せる顧客向けに多大な労力を費やしてこの時計を製作した。この特別な時計はガルド・タン・トゥールビヨンであり、徹底して伝統的な時計製造法を応用した精度の飽くなき追求を好む愛好家にとって、これは当時の作品としては最高峰といえるだろう。

 No.1176はポーランドの貴族、スタニスラス・ポトツキ伯爵のために製作され、1809年にサンクト・ペテルブルクのブレゲ代理店経由で販売された。 ポトツキは国際的な政治家、軍人、外交官、芸術パトロンであり:2014年に行われたNo.1176のオークションで、彼の経歴が下記のようにクリスティーズのロットノートに掲載されている:

 「ポーランドの貴族、政治家、作家、収集家、芸術の後援者であるスタニスラスは、彼の国の啓蒙主義時代を最も象徴する人物の一人であった。ポーランドの古い貴族の一員であり、ユースタチ・ポトツキ将軍の息子であるスタニスラスは、ワルシャワの貴族学院で教育を受けた後、ウィラノフで文学と芸術を学んだ」

 「1792年、彼は陸軍大将となり、1791年5月3日の護憲を大義名分とした1792年のロシア・ポーランド戦争に参加した。ポトツキ伯爵はさらに、白鷲勲章と聖スタニスラス勲章の爵位をもち、ポーランド・フリーメーソンのグレートマスターであった。芸術愛好家であり熱心なコレクターであった彼は、文学、科学、芸術の振興に財産を捧げ、自宅のウィラノフ宮殿に絵画、エトルリアの壷、彫刻の美しいコレクションを築き上げた」

ジャック=ルイ・ダヴィッドによるスタニスラウス・ポトツキ伯爵の肖像画

 「ポトツキがローマのアカデミーにいた時に出会った ジャック=ルイ・ダヴィッドが描いた馬術の肖像画はダヴィッドの代表作の一つとされている」

  No.1176は、あらゆる評価基準から見て注目すべき作品である。このモデルは4分トゥールビヨンで、3本のリムをもつバイメタル温度補正テンプ、フュゼ・チェーン機構を備え、さらにブレゲが発明したもう一つの注目すべき発明である“エシャップメント・ナチュール”、つまり“ナチュラル”脱進機を搭載する。HODINKEEでは、少し前にこの脱進機を現代の時計師たちがどのように評価しているのかを調べ、脱進機という名の技術的な由来についても記事「現代の時計職人がブレゲの最も偉大な発明の1つにどのように取り組んでいるか」の中で論評した。この時計は、ブレゲの最高傑作といえるだろう。この時計をサラブレッド化するための努力や費用が惜しみなく投入されていることは、素人の目から見ても明らかで、その時代の携帯用時計技術の頂点を極めている。その妥協を許さない姿勢が、驚くべき美しさを生み出し、その美しさは今もなお褪せることはない。 前述したように、この時計は2014年にクリスティーズで落札されたが、莫大な価格で落札された。ポトツキ伯爵はこの時計に4600フランを支払った;オークションの最終落札価格は92万9548ドルで、当時の為替レートで約9441万円だった。買い手は? ブレゲ美術館である。しかし、この価格は、ブレゲがこの時計のために100万ドル近くを支払わなければならなかったとしても、他の入札者がそれに近い価格で入札していた事実に注目してほしい。 

ブレゲ No.449, コンスタントフォース脱進機を搭載する置時計。

 最後に、ブレゲが、そして実際に誰も作ったことのない、非常に珍しいタイプの時計の中から3点紹介しよう。コンスタントフォース脱進機という言葉は、最近では広義に使われるきらいがある。 通常、この言葉を目にした場合、実際にはルモントワール・デガリテを指していることが多いが、このコンスタントフォース脱進機は、まさに“不変の力”を備えた装置、すなわち、定力装置なのだ。 この機構は螺旋状のバネで構成されており、輪列の歯車の1つ(多くの場合、4番車)にトルクを与え、主ゼンマイによって間隔的に巻き上げられる。基本的な考え方は、主ゼンマイの開放に伴うトルクの減少に起因する振動速度の不安定性を避けるため、可能な限り変動しないようテンプにエネルギーを供給することである(訳注:簡単に言えば、溜め込んだ一定の力を一定の間隔で放出すること)。これはこれで良い解決策だが、時計師や時計職人は典型的な完璧主義者である(あるいはそうあるはず)ため、時計メーカーはルモントワール・デガリテを改良してコンスタントフォース脱進機の実験を重ねてきた。

 テンプであれ振り子であれ、基本的な原理は同じで、振動のたびに振動子に常に全く同じ力を与える機構を指す。リージョン・オブ・オーナー美術館のブレゲ展には、現存するブレゲの定力脱進機時計の3つ全てが展示された。これらの時計の構造は非常に複雑だ。単純化すると(大げさに言えば)小さなバネ式のレバーがあり、このレバーは振り子が揺れるたびに主ゼンマイによってリセットされる。このレバーは、振り子が中心点にあるときに、振り子の先端にセットされたピンに極僅かな勢いを与える。これまで述べてきたように、この機構は非常に複雑で、ブレゲは4本しか製造していないことが知られているが、そのうちの1本は1960年代の火災で失われている。ブレゲのNo.1176が当時の携帯用時計の頂点を象徴するものであるならば、これらの置時計は時計製造の頂点を象徴していると言えるだろう。

 最後にもう一つ:展示会では、現存する中で最も希少な時計の一つが見られる。これはNo.1160として知られているモデルである。No.1160は、スウォッチグループの会長であった故ニコラス・G・ハイエックの監修のもと、No.160として知られていた時計(“マリー・アントワネット”といった方がピンとくるだろう)を現代に再現したものだ。マリー・アントワネットにまつわる話は本記事では説明しきれないほど複雑だが、この時計が製造された当時、そしてその後何年にもわたって、それまで最も複雑な時計であったこと、そしてこの時計とそれに触発された復刻版は、現存する時計の中で最も美しい時計の一つであり続けていることに触れれば十分だろう。

 前述したように、展覧会は2016年1月10日までリージョン・オブ・オーナー美術館で開催され、何とか都合をつけて、見に行ってほしい(注記:本記事公開時点では開催終了している) - それは時計製造の歴史の中で最も独創的な頭脳が生み出した物理的、機械的なモニュメントを目の当りにする一生に一度のチャンスなのだ。展示会とオープニング・ナイト・セレモニーの様子をライブ写真で紹介する。

ブレゲとリージョン・オブ・オーナー展のオープニング。時計製作のデモンストレーション。

ブレゲとリージョン・オブ・オーナー展のオープニング。カメオ彫刻のデモンストレーション。

ブレゲ“スースクリプション”ウォッチ、1797年からカタログで販売:当時としては比較的手頃な高級時計であった。

触れることで時間を知らせる“モントレタクト”がボナパルト夫人(後のジョセフィーヌ皇后)に販売された(1800年)。

エマニュエル・ブレゲ、パリのブレゲ美術館学芸員。

1812年にナポリ王妃キャロライン・ミュラに売却されたハーフクォーターリピーターカレンダー置時計。

ブレゲ馬車時計、カレンダー付き、1813年、フリック・コレクション美術館。

  上の写真は、ブレゲの“ガルド・タン”レゾナンス クロノメーターである。ブレゲのレゾナンス クロノメーターは、2つのテンプで制御された2つの独立した時方輪列をもっていた。この時計は、2つのテンプがお互いの周波数に “同期”して一体となって振動し、より安定した速度を生み出すように設計されている。この時計、No.2667は、2012年にクリスティーズのオークションでブレゲ美術館が手に入れたもので、468万2165ドル(予想落札価格の約4倍)で落札された。我々は当時、販売前のこの時計を実際にハンズオンし、記事「世界が知らなかったブレゲのレゾナンスウォッチが時計製造の歴史を書き換える」の中で紹介した。 

 ブレゲはレゾナンス クロノメーターの原理を用いていくつかの実験を行ったが、彼自身もテンプが地板を介した機械的な結合によって同期しているのか、それとも他の効果によるものかを疑問視し、ある時には次のように書き残している。「私はその2つの機能が同期するのは、空気による影響が大きいと考えていた…、しかし、互いのムーブメントの振動共鳴による出力に比べれば空気の影響が遥かに小さいと分かり非常に驚いた」 彼はまた、空気力学的な乱流を排除するために、時計を真空チャンバー内に置く実験を行い、次のように記した。「これらデュアルウォッチの最初の作品(No.2788)は、互いの秒針が1秒たりともずれることなく、M.M.ブヴァール氏とアラゴ氏の元で3ヶ月間使用された;真空中に2度入れられ、24時間“絶対的な空”の中で精度が維持されただけでなく、着用され、平らに置かれ、静止することなくチェーンからぶら下がっていた」 ブレゲ自身もこの効果が信じられないようなものであることを認識していたようで、彼はノートに次のように書き残している。 「これは馬鹿げたことのように思えるが、実験では1000回繰り返しても結果は同じだった」

ブレゲ マリンクロノメーター、1827年、アーンショー型スプリング・デテント脱進機。

旅行中に使用するためにデザインされたブレゲの“馬車時計”。

 上の画像は、ブレゲ“シンパティック”の置時計と懐中時計だ。このシステムは、懐中時計をクレードルにセットすると、置時計の高精度ムーブメントによって自動的に正しい時刻にセットされるように設計されている。この個体では、懐中時計はルビーシリンダー脱進機、置時計はクロノメーター・デテント脱進機を採用している。もともとこの時計はフランス国王ルイ・フィリップ1世が所有していたもので、1836年に購入されたものだ。

ダイアン・ウィルシー、評議員会会長。

左、ブレゲ北米社長マイク・ネルソン。

ケリー・ラザフォードとエマニュエル・ブレゲ、ガラのオープニングナイト。

2015年9月19日~2016年1月10日まで開催された「ブレゲ:時計製作の芸術と革新」展の詳細はこちら