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Culture Of Time モントレー・カー・ウィークに登場した5台のクルマとそのストーリー

…そして、時計収集との驚くべきつながりもある。


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自動車愛好家にとって最大のイベントといえば、モントレー・カー・ウィーク(=MCW)だ。MCWは、主にヴィンテージカーやヒストリックカーに焦点を当てたイベント群で、何億ドルもの価値をもつ数百台のクルマが、誇らしげなオーナーによって、幅広い愛好家(ほかの誇らしげなオーナーも含む)に披露される。

 ロレックスは、この週開催されるビッグ3イベントのスポンサーである。すなわち、クエイルロッジ&ゴルフクラブのフェアウェイで開催される「クエイル」、ウェザーテック・レースウェイ・ラグナ・セカで開催される「ロレックス・モントレー・モータースポーツ・リユニオン」、そして大本命の「ペブルビーチ・コンクール・デレガンス」だ。特に大本命のイベントは、1950年に開催されたペブルビーチ・ロードレースの余興として、レース後に参加者が自身のクルマを披露するために始まったものだ。

ペブルビーチで、ペブル・ベスト・オブ・ショー受賞車と再会。Rolex/Tom O'Neal

 当初は数十台のクルマが集まって親睦を深めるものだったが(競技車両はレーシングカーではなく乗用車)、時代を経て、200台以上が参加する、至高のクルマ -つまり想像を絶するハイオクカー - の祭典へと発展していった。実際のレースは、1956年にドライバーのアーニー・マカフィーが運転するフェラーリがコース沿いの木に致命的な接触をしたことで終了したが、ペブルビーチ・コンクール・デレガンスは、兄弟イベントであるクエイルやリユニオンとともに存続している。

ペブルでの最高の夏。Rolex/Tom O'Neal

 ショーを歩くことは、圧倒されることにほかならない。すべてを見ることができないのは仕方ないが、その代わり、誰もが楽しめるものがあるのだ。今年のペブルビーチとクエイルでは、1901年製の初期の電気自動車(テスラさん、そういうわけだから、つべこべ言っても無駄だ)から、ランボルギーニの最新ハイブリッドカーの発表まで、あらゆるものが用意されている。和気あいあいとした雰囲気だが競争は激しく、外観や仕上げ、機能性などの些細な欠陥のために部門賞を逃すこともある。憧れの「ロレックス・ベスト・オブ・ショー」アワードは言うまでもない。時計コレクターは特に? カーマニアは、我々をゆるいアナーキストのように見せてしまうが、ハイエンドでディテールにこだわる時計コレクターの多くがクルマにも興味をもっているのは、偶然ではないと思う。

ロレックス・モントレー・モータースポーツ・リユニオンでは、今年の注目ブランドを紹介している。フォード・イン・トランザム  ポニーカーウォーズ55周年記念。Rolex/Tom O'Neal

ポルシェ917 スペシャルクラス、ペブルビーチで。Rolex/Tom O'Neal

1896年モデルのライカー・エレクトリック  Rolex/Tom O'Neal

 私は絶対に何かを見逃すだろうと決めつけていたが(200台以上のクルマがあるのだから、すべてを把握しようと試みることがいかに無意味か理解できるだろう)、ここでは私の目を引いた、そしてあなたの目を引くかもしれない5台のクルマを紹介する。そのなかには、時計製造との興味深いつながりをもつものもある。時計マニアが夢中になるものには、クルマの世界にも対応するものがあることがわかったのだ。確率的にはどうだろうか?

ベントレー ブロワー・コンティニュエーション“カー・ゼロ”

このプロジェクトが進行中であるというメモを見逃していた自分に、あまり腹を立てるべきではないと思うが、今週最も注目されているクルマかもしれない(おそらく)。ベントレーのブロワーは、1927年から1931年にかけて製造された4.5リッターのベントレーのレースカーモデル群で、720台の4.5リッター車のうち、55台のモデルにスーパーチャージャーが搭載されていた。スーパーチャージャーとは、基本的にはエンジン内に余分な空気を送り込み、内部の空気圧を高めて燃焼に必要な酸素をより多く供給するためのポンプのことだ。面白いことに、ベントレーの創業者であるウィリアム・オーウェン・ベントレーはこれを嫌っており、エンジンにスーパーチャージャーを使用することは「デザインを変え、性能を損なう」と言っていた。しかし、ブロワーが登場したころには、彼はもはやベントレーの財政面での主導権を握っていなかった。

4 1/2リッター ブロワー・コンティニュエーション プロトタイプ。

 2人の有名なブロワーのオーナーを紹介する。1人はフィクション。イアン・フレミングは、3本の小説のなかでジェームズ・ボンドに1931年製のブロワーを運転させた。もう一人は実在の人物で、故ジョージ・ダニエルズだ。彼は少なくとも、時計業界ではボンドよりも有名な唯一の時計製作者かもしれない。彼は生涯を時計製造に捧げたが、余暇にはクルマでリラックスし、愛用の1931年製バーキン・ブロワーを改造することをプロジェクトの一つとしていた。2012年のオークションで、そのクルマは当時最高額の504万1500ポンド(約7億5620万円)で落札された。

ベントレー 4 1/2リッター コンチネンタルカーのコックピット。画像、ベントレー

 もしあなたが時計に興味があるなら、ベントレーの最近の開発で最も興味深いものの1つは、ブロワーのコンティニュエーションカーだろう。ベントレーは、1930年製のオリジナル・ブロワー(その年のル・マンに出場)を分解し、各パーツを3Dスキャンして、ゼロから新しいブロワーを作った。その全体像は、オメガのCal.321のリメイクを彷彿とさせる。新型321と同様に、「Car & Driver」が昨年4月にロードテストを行った新型ブロワーはレプリカではなく、オリジナルシリーズの生産終了から90年が経過したとはいえ、本物の4.5リッターのベントレーなのだ。ベントレーは今週のクエイルで、プロトタイプである“カー・ゼロ”を公開したが、今後12台の公開が予定されている。すべてがすでに売約済みだという。

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デューセンバーグ モルモン・メテオ

それは、まさに“最高=doozy”だ(doozyはデューセンバーグに由来すると考える人もいるが、この言葉が初めて記録されたのは1916年で、同社が乗用車の製造を開始する4年前のことだ) 。モルモン・メテオはバナナイエローの巨大なモンスターカーで、スキーができるほど広いフェンダーをもち、ボンネットにはDUESENBERGと数センチの高さのデコ調のクローム文字で綴られている。このクルマは作った人にちなんでモルモン・メテオと呼ばれている。ソルトレイクシティの市長であり、マルコム・キャンベル卿とともにボンネビル・ソルトフラッツを陸上速度記録の拠点としたデビッド・アボット・“アブ”・ジェンキンスだ。

 現在、モルモン・メテオには標準的なデューセンバーグ スペシャルエンジンが搭載されているが、陸上速度記録に挑戦するために、アブ・ジェンキンスはデューセンバーグに26リッターのカーティス V12航空機エンジンを搭載させた(本や映画のモチーフとなったレースカー『チキ・チキ・バン・バン』には、もともとツェッペリン用に設計されたマイバッハの23リッター航空エンジンが搭載されていた。そういう時代だったのだ)。 クルマというよりは車輪のついた機関車のような外観で、カウキャッチャーのような鋭利なプラウに、低く伸びたヘッドライトが1つ付いている。1935年には、1961年まで続く24時間の陸上速度記録135.57mph(時速約217km)を打ち立てた。

Rolex/Tom O'Neal

 4.5リッターのベントレーとは対照的なクルマだが、チキータのステッカーがサイドに貼ってあるような半ブロックもありそうな長さのクルマ、そしてボンネットに飛行機のエンジンを搭載したクルマは、おそらくすべてのものと対照的だ。これに相対する時計は神のみぞ知る、である。派手な色、卓越した力強さ、そしてリスクを恐れず細かく管理する完璧主義のコントロールフリークに最も適した時計は、おそらくどこかに当てはまるだろうが、残念ながら私には思いつかない。

ベスト・オブ・ショーを受賞した2台のメルセデス・ベンツ 540K

戦前のベンツがペブルやクエイルで優勝することは、特に不思議なことではない。例えば、1993年にぺブルでベスト・オブ・ショーを受賞したSSK “Count Trossi(カウント・トロッシ)”は、広いボンネットに後付けのパッセンジャーコンパートメントをもち、非常に魅惑的なアール・デコとダース・ベイダーをミックスしたような雰囲気を備えている。

1938年 メルセデス・ベンツ 540K スペツィアル、クエイルにて。

 540KはSSKの流れを汲み、同じ設計思想で作られている。細長いボンネットに直列8気筒エンジンを搭載し、2人分のスペースを確保し、車幅方向に伸びたフェンダーを備え、静止していても時速100マイル(約160km)で走っているかのように見えるのだ。彼らのオーナーは、ドン・コルレオーネが言うところの「90口径の本物のpezzonovante(大物)」だった。一例を挙げると、ジャック・ワーナーは1937年にベルリン・オートショーから帰ってきたばかりの540K スペシャルロードスターを購入した。

 ただ不思議なのは、2021年のモントレー・カー・ウィークには、注目すべきメルセデス 540Kが2台あって、どちらもベスト・オブ・ショーを受賞していたことだ。1台はクエイル、もう1台はぺブルで。

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 クエイルの優勝車は、戦前のハイパフォーマンス・ラグジュアリーの頂点を極めた540K スペシャル(スペツィアル)ロードスターだ。スーパーチャージャーつきの直列8気筒エンジンから排出される煙を、2本の逞しいエキゾーストパイプで排気し、ボディは貴族のような後姿に向かって優雅に先細りしている。このクルマは1938年製で、現在はK.ハインツ・ケラー氏の所有だ。

ペブルのメルセデス・ベンツ 540K アウトバーン・キュリエ。Rolex/Tom O'Neal

 ペブルでの勝者は、540K アウトバーン・キュリエだ。メルセデスは2台製造したが、これ1台が現存する。ハードトップで、スペツィアルと同じようにゴージャスなラインと各ディテールの完璧な配置が特徴で、クエイルの受賞車と同様に1938年に製造されたものだ。アルトゥーロ・ケラー氏がオーナーで、このクルマはケラー・コレクションの一部だ。

ロレックスUSAのCEOルカ・ベルナスコーニ氏がペブルビーチでのベスト・オブ・ショーを発表。Image, Rolex

ロレックスUSAのルカ・ベルナスコーニCEOがクエイルでのベスト・オブ・ショーを発表。Image, Rolex

 ここで面白いことがある。クエイルとペブルのベスト・オブ・ショーはどちらもメルセデスのもので、どちらも540K、どちらも1938年製、そして奇妙なことに、どちらもオーナーはケラーという名前だった。偶然の一致? そうかもしれないし、そうでないかもしれない。どうやら、モントレー・カー・ウィークで優勝を狙うなら、衝撃的な美しさを誇るスーパーチャージャーを搭載した戦前の2シーター(ブラックを選択)で、オーシャンライナーのように長いボンネットのクルマで登場するのが良いようだ。ケラーと言う名前だったらチャンスもあるかもしれない。

メルセデス・ベンツ 300SL ガルウイング、プリザベーション・クラス

時計についてオリジナルの状態からどの程度の変更を許容すべきかというのは、現在のところ、愛好家の間では明白だ。オリジナルが良いだけでなく、オリジナルの状態を変更することは、良くても疑わしい、最悪の場合は神への冒涜となる。クルマの世界では、この問題はもっと緩く、新車時の状態を尊重している限り(それがどういう意味であれ)、修復は長い間受け入れられてきたことで日常茶飯事なのだ。

 しかし、少なくともある状況下では、オリジナルの状態で発見されたクルマはそのままにしておくべきだという考え方もある。例えば、グレン・ラドナー氏が所有する1955年式のメルセデス 300SL ガルウイングがそうだ。

 ペブルのガイドによると、このクルマは“文字通り納屋で見つけたもの”だそうだ。内装や室内の張り地、純正の塗装などは、2019年にラドナー氏が2人めのオーナーから買ったときのままだ。エンジンとドライブトレインは整備されているので走行可能だが、しかしまあ、1955年からずっと現役のクルマのように見える。

 ペブルの会場で彼の300SL(ちなみに300SLは1954年から1957年まで生産された、戦後のメルセデスのなかで最も象徴的なクルマの一つ)を見たときは極めて衝撃的だった。多くの場合、クエイルもぺブルも、古さを全く感じさせないほとんど完璧な状態のクルマで占められていている。実際、ほとんどのクルマは、工場の製造フロアから時代を超えるワームホールを通ってそのままぺブルの芝生の上に出てきたかのようだ。

  彼の300SLは、1960年代のレストアされていないサブやGMTマスターに感じる魅力とは対照的に、古さのなかに魅力がある。時の流れや歴史とのつながりを感じるのだ。クルマ(と時計)は、過去との直感的なつながりなのだ。完璧にレストアされた540Kの夢のような、ほとんど超現実的な美しさに酔いしれることもできるが、彼の保存された300SLは、違ったやりかたで感情的につながれるのだ。

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メルセデス・ベンツ 230SL ピニンファリーナ

時計のコレクターであれば、希少性はエンジンの回転を上げてくれるようなものだし、希少性がクールとすればば、ユニークさは絶対的にゼロだ。クルマ愛好家も同様だ。この230SLは、ぺブルで最も目を引くクルマではなかった。540Kのダークロード、宮殿のようなピアスアローやパッカード、ソフィア・ローレンのようにセクシーなフェラーリやアルファ・ロメオの列に目を奪われているうちに、見逃してしまうだろう。

 しかし、それでは面白いものを逃してしまう。1963年から1967年まで製造された230SLには、パゴダというニックネームがついている(これも時計と自動車のクロスオーバー;良いニックネームだ)。“パゴダ”とは、通常の230SLのわずかに凹んだルーフのことで、ちょっと変わった外観だが、ほかのものと間違えることはないはずだ。

 この230SLは違う。230SLがデビューして2ヵ月後、ピニンファリーナ(車体製造者、カスタムボディデザインのメーカー。ピニンファリーナはその代表格)はメルセデスから230SLのシャシーにボディを載せる許可を得た。デザインを担当したのは、1963年にトリノに渡り、ピニンファリーナで働いていたアメリカ人のトム・ジャルダ氏だった。ボディは幅広に、ルーフは凹型から凸型になり、グリルはよりシャープなレーキになった。パゴダではないパゴダの誕生である。

 当初のアイデアではこのクルマを小規模なシリーズで販売する予定だったが、結局一回限りとなり、何人かのオーナーと何度かの塗装(そのうちのひとつはフェラーリ・レッドというかなり不似合いな色だった)を経て、現在のオーナーが工場出荷時のオリジナル仕様に戻すことになった。トゥール・デレガンスでは、このクルマはかなりの観客を集めた。「こんなクルマがあるなんて知らなかった」という声が聞こえてきそうだが、展示台数の多さを考えれば、長年のクルマ好きでも、この1週間ほど何度もその声を聞く機会はないだろう。

内なる燃焼のエンド・ゲーム

モントレー・カー・ウィークは、爽快感と疲労感が同居するイベントだ。100年以上の歴史をもつコレクターズカーが圧倒的に多いが、時には現代のクルマも登場する。自動車にどれだけの技術的な工夫やデザインの知性が注ぎ込まれているかを実感できるのは、このイベントならではだ。

 大手メーカーが化石燃料から電気への地殻変動に向けて準備を進めているなか、自動車業界にもクォーツ危機に相当するものが登場するのではないかと考えてしまう。自動車の歴史のなかでも特異な時だ。もしかしたら1、2世代後には、Apple Watchのオーナーがラトラパンテ・クロノグラフの機能を知っているのかと同じように、一般の自動車愛好家がキャブレターの機能を知らなくなるかもしれない。

1931年製のピアスアロー 41 レバロン。最初のオーナーは、1955年のベスト・オブ・ショーを受賞したフィル・ヒル。彼はこのクルマで運転を学び、大学への通学にも使用した後、アメリカ人として初めてF1ドライバーのワールドチャンピオンになった。

 しかし、時代のロマンは、テクノロジーの変化をはるかに凌ぐものであると感じている。戦前のアール・デコ時代の豪華絢爛なクルマから、戦後の無駄のないマッスルスポーツカー、そして低くて角ばった現代のスーパーカーの誕生まで、モントレーでは何十年にもわたる機械的な、そしてスタイリングのトレンドを実機で(我々時計マニアはこう言う)時系列に追うことができる。時計愛好家にとっては、時計に影響するデザインがどのような背景をもつのかを知ることができ、また、時計デザインの傾向が自動車の世界と類似していることを知ることができる。そして、その大きさに関わらず、素晴らしい機械に共通する魅力を体験することができるのだ。

トップ画像はRolex/Tom O'Neal。手前に写るクルマは1969年製の911S(オッシブルー)。写真はすべてライカQ2で撮影したもの。