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まだ独立時計師アカデミー(Académie Horlogère Des Créateurs Indépendants/AHCI)が組織される以前から活躍を続けてきたスイスを代表する独立時計師であり、独立時計師という存在に日が当たるようになった立役者のひとりでもあるアントワーヌ・プレジウソ氏。現在は息子であるフロリアン氏とともにアントワーヌ プレジウソブランドの運営をしている。そんなプレジウソ親子が5年ぶりに来日を果たした。しかも、ブランドのルーツともいえるコレクションの復刻版を引っ提げて。
アントワーヌ プレジウソといえば、トゥールビヨンをはじめとするコンプリケーションウォッチがよく知られているが、実はアントワーヌ プレジウソ銘で発表された最初の時計はシンプルな自動巻きウォッチだった。それが1986年に初めて自身の名を冠して発表したシエナコレクションだ。
そんなデビューコレクションであるシエナが30年以上の時を経て復刻。今回は、その復刻版の発売に合わせて久々の来日となった。そもそもシエナとはどんなコレクションだったのか? アントワーヌ本人の口からコレクション誕生の経緯、そしてどんな思いを込めた時計だったのかを聞くことができた。
シエナはもともと、彼がイタリア・トスカーナ地方にある古都シエナへ旅行で訪れた際に、世界一美しい広場と称されるカンポ広場で見た“マンジャの塔”の時計にインスピレーションを得て作られた腕時計だ。複雑な造形を持つ時・分針は、塔の時計に見られる1本針を参考にしたもので、ラグのない真円のケースは時計盤面のイメージを崩さないために取り入れたアイデアだ。アントワーヌ氏は次のように当時の思い出を語る。
「シエナを訪れたのは“マンジャの塔”の時計があったからというわけではなく、たまたまでした。そこで偶然目にした時計塔に感銘を受けて腕時計にしたいと思ったのです。腕時計として形になり販売できたときは、自分の芸術性が理解されたのだと、とてもうれしかったことをよく覚えています。シエナの復刻版を今回発表したのは、これまでのスタイルを保持しながらも、このコレクションがこの先もずっと続いて欲しいという思いがあったからです」
復刻されたシエナは、一見すると30年以上前のオリジナルとほぼ同じように見える。だが、決して何も変わっていないわけではない。イエローゴールドだったケースは、オリジナルにはなかったSSケースへと変わり、大理石だったダイヤルはマザー・オブ・パールへと変更された。そしてできる限りケース形状に合わせてデザインされたリューズは、爪を痛めないようにと、エルゴノミクス的観点から使いやすさを意識して少し大きくなった。
ムーブメントはETAベースからセリタベースとなり、デザインは変わったものの、ブランドロゴをデザインした自動巻きローターを持つ。ムーブメントこそ汎用品だが、針やダイヤルは自身が認めたビエンヌにあるサプライヤーによるものを使用。針の造形が複雑なため、パーツの段階に加えて、アッセンブリの段階でもクオリティコントロールしているとのこと。これは量よりも質を重視したい、クオリティに目の届く範囲で時計を作りたいという彼らの思いからだ。
ディテールはアップデートされているが、アントワーヌ氏が心動かされた時計塔をほうふつとさせる優美なダイヤルデザインや装飾性に富んだ針はそのまま。ラグのないシリンダー型ケースや、34.5mmというサイズもオリジナルとほぼ変わっておらず、男性・女性問わずジェンダーレスにつけることができる。
アントワーヌ・プレジウソといえば“神の手を持つ男”と呼ばれ、フランク・ミュラー(ちなみにふたりはジュネーブ時計学校で時計づくりを学んだ)とともに早くからトゥールビヨンウォッチなどの複雑時計製作に取り組んできた独立時計師である。コンプリケーションウォッチを手がけることと、シエナのようなシンプルな腕時計(複雑時計に比べたら、であるが)をつくることに対してどんな思いを持っているのだろう? 彼は言う。「私の“プレジウソ”という名字はイタリア語でプレシャス、つまり“貴重な”という意味を持っています。だから自分が作るものは常にプレシャスなものでありたい。そういうものしか作りたくない。シエナコレクションにおいてもそれは変わりません」
今回の来日の目的は、主に新しいシエナコレクションお披露目のためであったが、やはりアントワーヌ・プレジウソはコンプリケーションウォッチの存在抜きには語れない。
1978年にジュネーブ時計学校を首席で卒業後、パテック フィリップに採用され早くから複雑時計の技術を磨いていくことになるが、彼の名が時計業界で広く知られるようになるのは90年代に入ってからだ。ブレゲからの依頼で世界で最も複雑な腕時計(当時)、ミニッツリピーターパーペチュアルカレンダーウォッチを開発・製作させ、92年には自身の名でトゥールビヨンウォッチを発表するとともに、ユニバーサル・ジュネーブ(92年)やハリー・ウィンストン(93年)のためにトゥールビヨンウォッチを製作。以降もさまざまなブランドのために独創的な腕時計を製作したが、2002年にはハリー・ウィンストンによる「オーパス2」プロジェクトに参加。時・分表示付きのトゥールビヨンを13本、パーペチュアルカレンダー付きトゥールビヨンを13本(ダイヤモンドをあしらったものを含めて)製作したことで、一躍その名を業界に知らしめた。ブランドの輝かしい歴史は以下のリンクにまとまっているので、詳しく知りたい方はぜひ一度確認してみて欲しい。
さて、アントワーヌ プレジウソにとってコンプリケーションは欠かせない存在であるのは間違いないが、実はそれと同じくらい非常に重要なものがある。それがメテオライト(隕石)を用いた腕時計だ。1989年に世界で初めてダイヤルにメテオライトを用いた腕時計を発表し、オーパス2プロジェクトで名を上げた2002年には、世界初のメテオライトケースを採用した腕時計も発表。以来、その存在は、同ブランドにおける象徴のひとつになっており、筆者が今回のインタビューでどうしても聞きたかったのが、このメテオライトについてだった。今でこそメテオライトダイヤルを持つ時計は、さまざまなブランドで見られるようになったが、なぜアントワーヌ・プレジウソ氏は時計にこの素材を使用しようと思ったのだろうか? 彼は気さくにその理由を語ってくれた。
「毎年、家族で山にある別荘に行っていたのですが、そこで寝転がって流れ星をよく見かけました。それがきっかけとなってメテオライトに関心を持つようになったのです。当時はまだ今ほどインターネットなどが発達している時代ではありませんでしたから、さまざま書物を頼りに調べ、メテオハンターと呼ばれる人にコンタクトを取りました」
「メテオライトは、私にとって時の概念が変えたもので、同時に夢を見させてくれるものとなりました」。実はメテオライトの年代測定を行うとほとんどが約46億歳を示し、太陽系の年齢も約46億歳であることがわかっている。メテオライトは46億年にわたる太陽系の進化に取り残された、今でも46億年前の生まれたままの姿を保った不思議な存在で、太陽系の形成と同時に生まれた惑星の卵の破片とも言えるものなのだ。
「いち早くメテオライトを時計づくりに取り入れたこともあって、私たちにはノウハウがあります。そのため他ブランドからの依頼でメテオライトに関する講演も行ったりもしています。ノウハウがコピーされるかもしれないことは重々承知していますが、それだけすごいものを自分たちが作っているのだと自負しています。メテオライトに同じものはひとつもなく、本当の1点モノなのです」
2015年に発表されたトゥールビヨン オブ トゥールビヨンズ。これはひとつのムーブメントのなかに正三角形を描くようにダイヤルの中心から等距離に3つのトゥールビヨンを配置し、3つのキャリッジがそれぞれ1分間に1回転、 さらに全体のプレートが10分間に1回転して共振する。それぞれがムーブメント中央の独自のトリプルディファレンシャルギアとつながり、香箱からのエネルギーを均等に分配。振動変化があった場合には自動補正などが行われるなど、安定した周波数を生み出すことで正確な時間を刻むという超複雑なトゥールビヨンだ。その独創性が高く評価され、この複雑機構は2015年にGPHG(ジュネーブ時計グランプリ)でイノベーションウォッチ賞とパブリック賞のふたつの賞を受賞した。
この時計も、実は宇宙や惑星にインスピレーションを受けたものだ。2005年に開発された3つのトゥールビヨンが備わる腕時計のプロトタイプを発展させたものだということだが、3つのトゥールビヨンがそれぞれ回転しながら全体のプレートも回転する動きは、惑星の自転と公転運動がヒントになっている。加えて、同機構では3つのトゥールビヨンが2万1600振動/時(3Hz)で振動し、トリプルディファレンシャルギアに連結。ゴールドまたはメテオライト(隕石)製の3つのマスロットによって隔てられ、コート・ド・ジュネーブ装飾が施された裏側には3つの石を6時位置に、それより小さな3つの石を12時位置に配置。過去・現在・未来、そして3つの国際特許を持つことなど、“3”というシンボリックな数字を芸術的に表現しているのだ。
とかく父であるアントワーヌ氏にばかり注目が集まるが、このトゥールビヨン オブ トゥールビヨンズは息子のフロリアン氏との3年にわたる精力的な共同作業から生まれたもので、彼なくして同機構の完成はなかった。
フロリアン・プレジウソ氏も非常に才能豊かな人物で、バイクレースの大会などに出るなどスポーツ選手としても活躍したのち、彼もまた自然と時計の世界へと入っていった。ジュネーブの時計学校で勉強に打ち込み、2001年には実技試験で首席の成績を収めて卒業。その後数年間、フランク ミュラーなど他の時計ブランドで働き、複雑なトゥールビヨン脱進機のデザインで高い評価を得る。トゥールビヨン オブ トゥールビヨンズはまさに彼の代表作とも言える。父と同じく時計業界に身を置くことについて、自身はどのように思っているのだろう?
「子どもの頃から身近な存在でしたし、とても健全な仕事だと思っています。自分にとって、とても地に足がついた感じがするのです」
父であるアントワーヌ氏のサポートをしているようなイメージがあるかもしれないが、フロリアン氏はアントワーヌ プレジウの運営に積極的に関わっており、前述のトゥールビヨン オブ トゥールビヨンズはその象徴と言える。彼は時計学校の教師として後進の指導にあたるほか、同ブランドとは別に自身の会社も所有しており、時計に限らずデザインや隕石素材(隕石パウダーに関する特許を取得している)加工なども手がけている。今回のインタビューで判明したのだが、実はHONDAスイスとのコラボレーションにより、トップブリッジ(スピードメーター付近にあるフロントフォークを支えるための部品)にメテオライトプレートを用いた世界限定15台のエクスクルーシブなバイク、CB1000R スターダストの製作にも関わったという。時計師としての枠に収まらない多彩な活躍を見せている。
2002年にNHKで放送された『独立時計師たちの小宇宙〜スイス・超複雑時計の世界〜』という番組のなかで、かつてアントワーヌ氏は「時計が動き出す瞬間ほど美しいものはない」と答えていた。インタビューの時間も終わりに近づき、筆者はふたりにこんな質問を投げかけてみた。時計づくりをしていて、いちばん興奮する瞬間はどんな時ですか、と。
「歯車が動き出すとき、テンプが動き出すとき。その瞬間がいちばん興奮するね」と答えるのはアントワーヌ氏。対するフロリアン氏は「プロジェクトの最終段階が最も楽しいですね。トゥールビヨン オブ トゥールビヨンズにおいては2年間、24時間、寝ているあいだもプロジェクトのことを考えてしまいあまり眠れませんでした。でも、動力を入れて動くかどうかの瞬間がいちばん楽しいですね。冷たい水に飛び込む瞬間のような、とても怖いけれど、びっくりするような、でもとても刺激的な感覚を覚えるのです」
言葉は違えど、ふたりは時計に命が宿るその瞬間に、時計づくりの喜びを見いだしているようだ。同じような感覚を共有し、ともに独創的な時計づくりを続けるアントワーヌ プレジウソ。今後も唯一無二のユニークな作品で、我々時計好きを楽しませてくれるに違いない。
その他、時計の詳細はアントワーヌ プレジウソの公式サイトをご覧ください。
Photographs by Keita Takahashi
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