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Photo Report オーデマ ピゲ ロイヤル オーク オフショア30周年記念プレストリップでわかった成功の鍵

失敗を恐れずに挑戦すること。それはロイヤル オーク、そしてロイヤル オーク オフショアにも脈々と流れるオーデマ ピゲのDNAだ。

5月某日。筆者はオーデマ ピゲのロイヤル オーク オフショア誕生30周年を祝うプレストリップに参加するためにイタリアにいた。そう、今年はロイヤル オーク オフショアが誕生してから30年というアニバーサリーイヤーなのだ。訪れたのはコモ湖。イタリア北部、ロンバルディア州にある逆Y字形(なじみのある表現でいえば漢字の“人”のようなカタチだ)の湖で、湖畔はヨーロッパきっての避暑地として知られる。ヨーロッパの各王室や富豪たちが建てた豪奢なヴィラが立ち並び、多くのホテルも軒を連ねる。筆者が取材中に滞在したイル セレーノ ラーゴ ディ コモ(Il Sereno Lago di Como)も、そんな湖畔に建つホテルだ(ここはコモ湖の景色を望む全室スイートルームの贅を尽くした5つ星ホテル。こうした機会でもなければなかなか縁のないホテルである。オーデマ ピゲの皆様、ありがとう!)

イル セレーノ ラーゴ ディ コモからのコモ湖の眺望。天気にも恵まれ、最高の気分だった。

 もちろん遊びに行ったわけではない。今回のプレストリップではロイヤル オーク オフショア誕生30周年を記念してオフショアコレクションに関するプレゼンテーションが行われたほか、アーカイブピースの展示、そして先日発表されたばかりのオフショアの新作もいち早く披露。プレゼンテーションでは主にこれまで明かされてきたオフショアにまつわるさまざまなストーリーが改めて紹介された。一方で今回の取材ではあまり声高に語られなかったオフショアにまつわるエピソードを聞くことができたほか、今年限りで勇退を決めたブランドCEO、フランソワ-アンリ・ベナミアス(François-Henry Bennahmias)氏の本音を交えたコメントも得ることができた。本稿では、そんなロイヤル オーク オフショアの舞台裏をほんの少しではあるが紹介しよう。


ロイヤル オーク オフショア30周年記念プレゼンテーション

プレゼンテーションが行われたボートメーカー、トゥリオ・アバーテ(Tullio Abbate)のシップヤードからの眺め。コモ湖の湖畔から30分ほどクルマを走らせた山のなかにある。

ロイヤル オーク オフショアがどのようにして誕生したのか。もちろんそれはプレゼンテーションでも語られたが、オフショア誕生の経緯や現在に至るまでのおおまかなヒストリーについては割愛する。というのも、先日公開された記事「To the Offshore オーデマ ピゲが⽣んだもうひとつのイコノクラスム」のなかで、そのあたりの情報がわかりやすく解説されているからだ。1度(と言わず何度でも)前述の記事を読んでもらえると、一層ロイヤル オーク オフショアへの理解が深まるはずだ。

 ロイヤル オーク オフショアに関して、ずっと疑問に思っていたことがある。それはなぜ最初のモデルがクロノグラフであったのかということと、なぜ発表されたのが1993年だったのかということだ。初代ロイヤル オークは2針のシンプルな機能のモデルであったし、生まれたのは1972年だ。せっかくならロイヤル オーク誕生20周年となる1992年に発表したほうがプロモーションをする上でもよかったのではないかと思うのは、何も筆者だけではないだろう。この2点についてはプレゼンテーションの内容をもとにもう少し詳しく解説したい。

1989年に描かれたロイヤル オーク オフショアのデザイン。Photo ©️Audemars Piguet

コンパスが描かれたロイヤル オーク オフショアのダイヤルスケッチ(1989年頃)。極めて大胆なスタイルだ。Photo ©️Audemars Piguet

 当時のCEO、ステファン・アークハート(Stephen Urquhart)氏から“オフショア”という名称からのインスピレーションをもとにデザインを描くように託されたのは、オーデマ ピゲに入社してまだ2年足らずのデザイナー、エマニュエル・ギュエ(Emmanuel Gueit)氏だった。彼は1989年4月に最初の図面を発表する。数字こそ記載されていないものの、それは当時の時計にはないサイズと厚みが見て取れるものだった。ちなみに最初に描かれた図面には文字盤がない。これはどんな機能、キャリバーを載せるべきか、まだ決まっていなかったからだという。ゆえに当初のアイデアのひとつにはボートで使う時計にはいい機能だろうと、コンパスを搭載したらどうかという案もあった。だが、機械式ムーブメントと相性がよくないという理由で立ち消えとなった。

クロノグラフの搭載はフレデリック・ピゲのアイデアであったため、初期のデザインスケッチはフレデリック・ピゲのフラッグシップである横3カウンターのCal.1185の使用が想定されていた。これも1989年のデザインスケッチだ。Photo ©️Audemars Piguet

 そして1989年秋、クロノグラフを搭載したオフショアの最初の図面が描かれた。クロノグラフ搭載のアイデアはフレデリック・ピゲによるものであることはすでに明らかになっているが、今回のプレストリップの最後に催されたガラディナーのゲストとして参加したギュエ氏は「当初はクロノグラフなしでデザインをしていた」と語った。最終的にクロノグラフの搭載も決まり、そしてアークハート氏も当初は「大きい」と面食らっていたがデザインを気に入っていたというロイヤル オーク オフショア。しかしローンチに至るまで決して順風満帆ではなかった。

 「半年ごとに試作品を作り、本社に行っては見せるということを3年間繰り返しました。3年が経ち、当時の試作品を取締役会のメンバーの前で見せることになり会議室に呼ばれたのですが、試作品を見せると反応はイマイチでした。ここが小さいなど、あれこれ意見は挙がりましたが、会議は和やかに終わりました」。ギュエ氏は、そう当時の様子を振り返る。

 ロイヤル オーク オフショアは1992年のロイヤル オーク20周年に向けたプロジェクトであったが、100m防水と耐磁性を確保するケースの構造が困難を極め、1993年にバーゼルフェアで発表されることとなった。その後のストーリーは、前述の記事にもあるとおり。当初は多くの批判にさらされたものの、イタリア市場から火が付き徐々に評価を獲得、アーノルド・シュワルツェネッガーとのコラボレーションの成功をきっかけにその評価は確固たるものとなった。以下の写真は、シップヤードに展示されていたアーカイブピースの一部だ。

初代ロイヤル オーク オフショア Ref.25721ST(1997年)

レディス ロイヤル オーク オフショア Ref.79290ST(1997年)

ロイヤル オーク オフショア エンド オブ デイズ Ref.25770SN(1999年)

ロイヤルオーク オフショア ファン・パブロ・モントーヤ Ref.26030PO(2004年)

レディス ロイヤル オーク オフショア Ref.25986CK(2010年)


ロイヤル オーク オフショア30周年モデル

歴史を振り返るプレゼンテーションが終わると、ロイヤル オーク オフショア30周年を記念して今年発表された新作の実機も披露された。いくつかはすでに発表済みのものだが、このプレストリップが世界初お披露目となるモデルも用意されていた。

ロイヤル オーク オフショア フライング トゥールビヨン クロノグラフ

Ref.26622CE.OO.D062CA.01。価格は要問い合わせ。

2021年に登場した限定モデルのオフショアにインスピレーションを得たモデル。アルマイト仕上げのグリーンインナーベゼルと、文字盤とムーブメントの構造を支えるブリッジにグリーンアルマイト仕上げのインナーリングを備えた最新鋭のセラミックケースを採用。世界限定100本。

紹介記事はこちら

ロイヤル オーク オフショア クロノグラフ

Ref.26420CE.OO.A005VE.01。748万円(税込)

1999年に発売されたアーノルド・シュワルツェネッガーとのコラボレーション、ロイヤル オーク オフショア エンド オブ デイズ(Ref.25770SN)へトリビュートを捧げるブラックセラミックモデル。世界限定500本。

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ロイヤル オーク オフショア クロノグラフ 

Ref.26238CE.OO.1300CE.01。1045万円(税込)

初めてブラックセラミックのケースとブレスレットを採用したモデル。縦3つの目のインダイヤル、プチタペストリーダイヤルは初代モデルから着想を得たもの。ブティック限定。

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 世界初お披露目となったモデル。それがベゼルにダイヤモンド、およびカラージェムストーンをセットした新しい37mmのロイヤル オーク オフショア クロノグラフ ジェムセット バージョンだ。18Kピンクゴールドケースが2種、イエローゴールドケース、ステンレススティールケースで各1種ずつの計4モデルを揃える。これらは2021年登場した新しいデザインとディテールを備えた43mmモデルをベースにした新デザインコレクションだ。

 37mmのロイヤル オーク オフショア クロノグラフは以前からあったが、それと比較すると新作はダイヤルのレディタペストリーのピラミッドモチーフがこれまでよりやや大きくなっている。さらに以前の37 mmダイヤルにあったダイヤル外周のスネイル仕上げがなくなりすっきりとした印象に。そして印刷のオーデマ ピゲのシグネチャーロゴではなくAP モノグラムロゴを採用。アワーマーカーを強調したデザインとなった。

 新デザインのハイライトはジェムセットベゼルだ。4モデルのうちふたつは鮮やかなバゲットカットジェムストーンを、残る2モデルではブリリアントカットダイヤモンドをセットする。ダイヤルはブラック、ロイヤルブルー、ライトブルー、サーモンの4色。以前に増してスポーティかつ色彩豊かなモデルとなった。ただし防水性能は変わらず50mだ。

 そしてすべてのモデルにインターチェンジャブルストラップシステムを採用。ただしバックルの仕様は若干異なり、ダイヤモンドセットモデルにはピンバックル、バゲットセットモデルにはAPフォールディングバックルが付属する。またムーブメントについては以前のモデルと同様、自社製の自動巻きクロノグラフCal.2385を搭載しており、30分積算計(3時位置)と12時間積算計(9時位置)を持つ3カウンタークロノグラフに加え、時・分表示、スモールセコンド(6時位置)、デイト表示(4時半位置)を備える。

26236OR.YY.D002CA.01 1375万円(税込)

18KPGケースにブラックのダイヤルとラバーストラップを合わせる。ベゼルには32個のバゲットカットのルビー、ツァボライト、トパーズ、タンザナイト、アメジスト、そしてオレンジ、イエロー、グリーン、ブルー、パープル、ピンクのサファイア(約2.33カラット)をセット。

Ref.26236BA.YY.D346CA.01 1375万円(税込)

18KYGケースにロイヤルブルーのダイヤルとラバーストラップを合わせる。ベゼルには32個のバゲットカットのツァヴォライト、ブルーとイエローのサファイア(約2.33カラット)をセット。

Ref.26231OR.ZZ.A085CA.01 715万円(税込)

18KPGケースにライトブルーダイヤルとベージュラバーストラップを合わせる。ベゼルには32個のブリリアントカット ダイヤモンド(約1.02カラット)をセット。

Ref.26231ST.ZZ.A178CA.01 500万5000円(税込)

SSケースにサーモンカラーダイヤルとグレーラバーストラップを合わせる。ベゼルには32個のブリリアントカット ダイヤモンド(約1.02カラット)をセット。

 プレゼンテーションの締め括りはコモ湖でのレーシングボートアクティビティだ。ロイヤル オーク オフショアがもともとレーシングボートのイメージに起因するコレクションであり、その世界観を体験して欲しいというオーデマ ピゲの計らいである。

 それぞれ6艘のレーシングボートに乗り込み1時間ほどコモ湖を周回したが、かなりのスピードが出る。トップスピードに乗ったレーシングボートは船底が水面を打って飛びあがり、身体が大きな振動にさらされる。そしてボートの周りには大量の水しぶきが飛び、乗っている位置によっては相当水を浴びることになる。そんななかで思い出していたのが、ロイヤル オーク オフショアがわざわざ発表年を後ろ倒しにしてまで堅牢なケースと100mの防水性を確保することにこだわっていたという事実だ。初めは単なるイベントのひとつくらいに考えていたのだが、確かにレーシングボートの乗る際に身につけるなら、サイズが大きく堅牢で高い防水性を備えた時計は必須であろう。そんなロイヤル オーク オフショアが生まれた背景が、このレーシングボートアクティビティを通してスッと腹落ちしたのを感じていた。


挑戦こそオーデマ ピゲのアイデンティティ

レーシングボートアクティビティを終えてホテルへと戻ると、今回のプレストリップもあっという間。残すは最後のガラディナーだ。宿泊先のホテルではなく再びボート(今度は荒々しいレーシングボートではない)に乗り込み20分ほど揺られ、対岸の5つ星ホテル、ムーサ ラーゴ ディ コモ(Musa Lago Di Como)にあるレストラン、ロテオ(Roteo)へと向かった。最後においしい食事を楽しんで終わり、ではない。実はこのガラディナーには特別ゲストとしてロイヤル オーク オフショアのデザイナー、エマニュエル・ギュエ氏も招かれており、さまざまな話を聞くことができた。そしてフランソワ-アンリ・ベナミアスCEOの貴重な本音も。挨拶に立ったベナミアス氏にどこからともなく声がかかった。

 「CEOとしての役を、アイコニックなアニバーサリーイヤーに終えようと考えたのはなぜ?」。彼は答える。

 「オフショアの30周年だからとか、昨年がロイヤル オークの50周年だったからという理由でオーデマ ピゲでのキャリアを終えることを決めたわけではありません。自分が次のステップに進むべきだと感じたタイミングは大事にしなくてはいけない。私はブランドの成功を見ることができたと感じています。それはいろいろな人々の情熱やコミットメントがあってこそ。(参加者を見渡して)皆さんがブランドを後押ししてくれたことも大きい。過去を振り返り、決断したのが今年のこのタイミングだったというだけなのです。自分が役職にあるあいだは、多くを求めすぎる(要求が高すぎる)という声もあったかと思いますが、人々に支えられてやってくることができました」

 さらに質問が飛ぶ。「オーデマ ピゲでのキャリアのなかで、いちばん大きな失敗だったと思うことは?」

 「何もありません。有名なバスケットボール選手が、NBAのセミファイナルでチームが敗退した時のインタビューで、同じような質問をされていました。何か失敗があったと思うか? と尋ねたインタビュアーに対し、その選手は激しい口調でこう言いました。“自分は失敗という言葉は絶対に使わない。負けた、ミスをしたというのは、成功へと続く人生の途中に起こることに過ぎないからだ”と。オーデマ ピゲは1875年の創業以来、毎年時計を生産し続けてきました。時計の生産が止まったことは1度もありません。1929年に始まった大恐慌に見舞われた1932年には年間の生産本数が2本だったことはありますが、戦争や大恐慌の渦中にあってもなお、1875年から時計をつくり続け、そして現在に至ります」

 「ミステイクだったと思う時計はあるか? 誇りに思えない時計はあるか? もちろん、これからそういう時計をつくる可能性がゼロとはいえませんし、たくさんの時計を開発してきたなかで皆無だったともいいません。ただ、それはミステイク(Mistake)ではありますが、失敗(Failure)でありません。それはいいことか? もちろんです。ミスをするのはいいことです。なぜなら人はそこから学ぶのだから。これは私がアメリカで勤務していた時に学んだことでもあります。アメリカの人々のメンタリティは、ヨーロッパの人々のメンタリティとは違います。自分が生まれ育ったフランスではミスをすると“あーあ”、というリアクションになる。ミスをした者、失敗した者は立ち去れという対応です。でもアメリカではまったくアプローチが異なる。例えば、ひどい成績だった生徒が少しマシな成績を取ったとしましょう。教師は“前より進歩しているよ”と声をかける。機会を奪うのではなく、よりよくなるための機会を与える。それを知り自分も考えを改めました。それまでの自分は人に対して厳しかった。それこそ失敗だったと言えるでしょう。人に対して厳し過ぎた。これはダメとしか言ってこなかった。そこを改めました」

 「少し話は変わりますが、“プロダクトローンチのタイミングと場所がいつも完璧だが、どうやってそれを行なっているのか?”と質問されたことがあります。オーデマ ピゲはしっかりと話し合いを行い、多くの商品を発表してきました。準備ももちろん重要ですが、運という要素も大きい。正確には“時に完璧なこともあったし、そしてそれは偶然の産物でもあった”というのが正しいといえます」

 「例えば2011年、オフショアの売上が好調でロイヤル オークの売上を上回っていました。ある時はオーデマ ピゲは“ジャンボ”の生産を中止することを真剣に検討し始めました。そのときふたつのマーケットがジャンボを救ったのです。イタリアとドイツです。イタリアとドイツのマーケットが“ジャンボをなくすな”という声を上げたのです。当時、オーデマ ピゲは年間150本のジャンボを生産していました。世界の全市場分で150本。今とは違い入手も容易でした。ふたつのマーケットから経営陣に対し、ジャンボの生産中止について再検討してほしいという多数の申し入れがあったのです。これに対して50ものインタビューに答え、ジャンボがまだ必要とされる理由を皆が語ったのです。そしてロイヤル オークが40周年を迎えてすぐにジャンボの生産続行が決まり現在に至ります。こうした市場の声がなければ、今のコレクションにジャンボの姿はなかったでしょう」

 「すべてが計画されたとおりに正しく進んでいると思われるかもしれませんが、決してそうではないのです。そしてもうひとつ伝えたいメッセージがあります。オフショアは若年層に向けた商品でしたが、Apple Watchが発売されたのは…、たしか初代の発売は2015年ですね。その時に多くのメディアが時計ブランドは廃れていくだろうと言いました。その頃に受けたインタビューはよく覚えていて、毎年言われ続けたのはスマートウォッチが普及し、時計ブランドは衰退していくだろうということでした。彼らは若い人々は時計をつけなくなっている、つけたとしてもこれからはスマートウォッチに取って代わられるだろうと言ったのです。それを受けて我々が若い顧客を獲得するために何をしたと思いますか?」

 「答えは何もしなかったのです。これはただ運がよかっただけです。スイス業界全体にも同じことがいえます。どのブランドも何かスマートウォッチに対して対策をとったわけではありません(一部スマートウォッチに注力したブランドはある)。ある時点から突然、若者のほうがクラフトマンシップ、レアリティ、ラグジュアリー、ウォッチメイキングなどを理解し始めたのです。今、10代・20代の若い世代が、彼らの親に対してオーデマ ピゲやほかのブランドのウォッチメイキングについて紹介しています。ブランド側が想定していたのとは完全に逆の方向です。子から親へと。それは今も続いています。もしどこかの時計ブランドが、今日の若年層での成功は計画どおりのものだと主張していたら…それは本当でしょうか? 私は今日の成功は運によるところが大きいと思っています」

 他を圧倒する大成功を収めるブランドのCEOをして、その成功は運が大きいというコメントに筆者はいささか驚きを隠せなかった。保守的な印象が強かったオーデマ ピゲをヒップホップやストリートカルチャーと結び付け、新しいCODE 11.59コレクションを発表するなど、彼がブランドで行ったすべての決断は初めから手放しに賞賛を受けたわけではない。それこそオフショアが発表されたときと同じように否定的な意見も決して少なくはなかった。しかし彼が指揮をした10年間でオーデマ ピゲが前例のない成長と成功を収めたのは紛れもない事実だ。果たして本当に運だけが成功の理由だろうか? 今日の成功は、オーデマ ピゲが、そして彼が失敗を恐れずに挑戦し続けてきたからこそ実現できたものだと筆者は思っている。

2013年に発表されたロイヤル オーク オフショア クロノグラフ レブロン・ジェームズモデル。写真は当時のHODINKEEの記事より。Photo ©️Audemars Piguet

 少し話が堅苦しくなってしまったが、最後は同じくディナー中にあったこんな質問と回答で終わろう。「あなた(ベナミアス氏)が携わったなかで、いちばん好きなオフショアはどのモデル?」

 「…いちばん好きなモデルはレブロン・ジェームズかな。理由は誰にも好かれなかったモデルだから。レブロンとデザインについて話し合って軽いレザーストラップにして…でも、評判はあまりよくなかったですね。カッコわるいと言った人はたくさんいましたよ。でも、自分は正しかったと思っています。だからあれがいちばん好きなモデルですね。レブロン・ジェームズモデルは成功作だったのかって? もちろん!」

オーデマ ピゲ、および時計の詳細は、公式サイトへ。

クレジット表記のない画像はすべて、photos:Kyosuke Sato(HODINKEE Japan)