trophy slideshow-left slideshow-right chevron-right chevron-light chevron-light play play-outline external-arrow pointer hodinkee-shop hodinkee-shop share-arrow share show-more-arrow watch101-hotspot instagram nav dropdown-arrow full-article-view read-more-arrow close close email facebook h image-centric-view newletter-icon pinterest search-light search thumbnail-view twitter view-image checkmark triangle-down chevron-right-circle chevron-right-circle-white lock shop live events conversation watch plus plus-circle camera comments download x heart comment default-watch-avatar overflow check-circle right-white right-black comment-bubble instagram speech-bubble shopping-bag

Four + One 自分ルールで時計を収集する香港の女性時計コレクター

彼女はホットな時計と熱い情熱を持ち合わせている。

香港を拠点とする32歳の金融家ランラン・チュン(Lung Lung Thun)氏が、時計の世界で有名人になったときにはすでに遅かった。彼女はすでに「女性コレクター」の代表格とされ、ニューヨーク・タイムズ紙の女性コレクター特集でも紹介されている。彼女は、時計業界に変化をもたらす存在として、型にはめられてしまったのだが自分ではそのようには考えていない。「いつも、ほかの女の子がInstagramに登場して、私の負担を減らしてくれればいいのに、と思っていました。時計に集中したいですから」と彼女は言う。

ADVERTISEMENT

 彼女は、時計シーンで名前が知られるようになるずっと前から、10年ほど前から時計に注目してきた。時計の世界をカバーするポッドキャスト「The Waiting List」の5人のメンバーのうちのひとりで、共演者のジャクリン・リー、アレックス・ラウ、チェスター・パン、ダニエル・サムらとともに、「中国人コレクターの声を代弁しています」と語った。

 ランラン・チュン氏はシンガポールで育ち、イギリスのウォーリック大学を卒業後、香港に渡り中国本土の顧客を主な対象とした証券会社を経営している。父はマレーシア人、母は台湾人で香港とシンガポールを行き来している。

 「私の家族は、ハイブランドには興味がありませんでした」と彼女は言う。「マレーシアや台湾は、シンガポールや香港に比べて、アジア文化のなかでは派手さに欠けるんです。そのため、私は比較的コンサバに育ちました。両親が持っていたのはスタンダードな金無垢のロレックスで、若い頃を思い返すと私はよい時計が欲しいなと思っていました」。彼女は雑誌でリシャール・ミルやウブロの広告を見ては、反抗的にこれらの派手な時計に憧れを抱いていた。社会人になってからは、それまでの保守的な教育に反発して、J12とウブロのビッグ・バンを購入。それが彼女の時計への最初の一歩であり、それからの長い道のりのはじまりだった。

 「振り返ってみると、急いで物事を進めたり、自分に合わない時計を買ったりしてきました。初期の頃、2012年から2014年にかけては、人生の喜びを見つけようと、いろいろなものにお金を使っていましたね」。彼女は大学を卒業したばかりの20代前半だった。「当時の私はなんにでも『これはきれい! これはいいわ!』という感じでした」と語る。「そして、販売員たちには私に似合わないものを盲目的に買わせてしまったこと、そして教育しなかったことへの罪悪感が0.001mmでもあることを願っています」。

 それはずいぶん昔のこと。それ以来、彼女の趣味は劇的に進化した。彼女は今、時計の世界に身を置いているが、ブランドが彼女に買うべきだと考えるものや、時計の世界が彼女を表現すべきだと考えるものには、単純に関心がない。「私は、ある時計ブランドが『女性向けの新作はこれだ』と言って、それを気に入らなかったとしても、それが私への個人的な攻撃だとは思わないタイプなのです。ただ、彼らが十分に努力していないことを残念に思います」。チュン氏と話していると、彼女が自分のコレクションに新しいアイテムを追加する際に、非常に明確な視点を持っていることがわかる。彼女は、ブランドが女性コレクターをどのように見ているかに不満を抱くのではなく、ブランドがどのようなストーリーを押し付けようとも、自分が引かれるものを買う。つまり、時計を作っているメーカーではなく、彼女に力があるのだ。

 そして、彼女の戦略は成功したようだ。チュン氏のコレクションから、彼女のグラマラスなスタイルにぴったりの4つの時計をご紹介しよう。


彼女の4本
オーデマ ピゲ ロイヤル オーク デイデイト ムーンフェイズ 25594

 チュン氏は、商業銀行での勤務を経て、2014年に香港で独立した。彼女には、確固たるルールがあった。ビジネスが安定するまで、自分のために余計な贅沢品を絶対に買わないというものだ。2018年のある日、彼女のクライアントが香港のAPハウスで打ち合わせをしたいと言ってきた。彼はシンガポールから時計を取りに来ていたため、時計を取りに行くついでに打ち合わせができると考えたのだ。この時点で、チュン氏はまだビジネスを構築中だったが、ようやく安定と成長の兆しが見えてきたところだった。

 そろそろ時計を買おうかな? APハウスでの出会いをきっかけに興味を持った彼女は、数日に一度、九龍の中古時計店の前を通り、ショーウィンドウに飾られたオーデマ ピゲの時計を何気なく見ていたが、なかに入ることはなかった。彼女は、ビジネスを立ち上げるために4年間活動を休止したあと、再び時計の世界に戻ろうとしていたのだ。ある日、お店のオーナーが外に出てきて、「おいおい、毎日見ているんだったら、入ってみなよ?」と話しかけられた。

 そうして始まった。彼女は最初のオーデマ ピゲを持って外に出たのだった。

オーデマ ピゲ ロイヤル オーク ダブル バランス オープンワーク フロステッドホワイトゴールド 15466BC.GG.1259BC.01

 チュン氏との会話のなかで、いくつかのテーマが浮かび上がってきた(私は彼女のポッドキャストにはここここで登場しているし、たまに時計の話をしている)。ひとつは、彼女がオーデマ ピゲが大好きであるということ。これは明らかだ。また、彼女は時計についてシリアスになりすぎないということ。それに加えて、彼女には「棍棒を携え、穏やかに話す」というやり方で、何も言わずに尊敬を求めるのだ。そして、この場合の棍棒とはハイエンドなロイヤル オークのこと。思わず目を奪われてしまうようなAPだ。

 この時計は、実際には彼女のためとして作られたものではないが、彼女がこの時計を手にした経緯を聞くと、何か運命的なものを感じる。

 アジアのVIP顧客のための工場ツアーに招かれたチュン氏は、ツアーの途中でコンプリケーションの工房に立ち寄り、ガイドが同氏にユニークな作品を開発するとしたら何を依頼するかと尋ねた。彼女は冗談めかして「37mmくらいで、ホワイトゴールド、フロステッドの仕上げで...、それにメンズのオープンワークが好き」と答えた。

 彼女は、自分がオーデマ ピゲの次の大作について語っているのだとは夢にも思わなかった。

 その2週間後、彼女に最初の1本が提供された。いくら売れっ子の金融マンといえども、これは大きなものだった。しかし、彼女にとっては、すべてのことが集約された結果でもあったのだ。家族や友人もいないコネクションのない香港への引っ越しの苦労、時計について調べた時間、共有できるコミュニティのない時計への抑えきれない情熱、最初は自分に合わない時計を購入し、時間をかけて自分の好みを磨いていった時計の旅。37mmのフロステッドホワイトゴールドのオープンワークの初代モデルを購入するという機会が訪れたのは、彼女の努力の結晶と言えるだろう。

 そして、今では彼女のコレクションの中心となっている。

オーデマ ピゲ ロイヤル オーク・フロステッドゴールド キャロリーナ・ブッチ限定モデル

 チュン氏はある日の夜おそく、ふと思い立ってオーデマ ピゲのブティックに立ち寄った。そこで彼女が目にしたのは、フォトショップで加工された近日発売予定の新作時計の写真だった。鏡のような文字盤が特徴的で、時間が経てば文字盤が黒くなるかもしれないと考えたのだ。「これは私が受け継いでいきたいと思う時計です」。

 まだ試作品も見ていないのに、そのデザインに深く共感し、オーダーを依頼した。「この時計は、ジュエリーと重ねて身につけることを想定していることがわかりました。また、この時計をデザインした女性の姿を想像することができたのです。私は彼女の顔を知りませんでしたが、彼女がどのようにすべてのものを身につけているかを想像することができました」。

 数ヵ月後、APブティックから電話があった。なんと、チュン氏の時計はアジアで最初に納品されたものだったのだ。その時計を受け取ってから数ヵ月後、彼女はディナーでブッチ氏に会った。ブッチ氏は「ようやくこの時計を本来の方法で身につけている人が現れたわ!」と叫んだそうだ。チュン氏はこの時計をジュエリーと重ね付けしていたのだ。

 チュン氏にとって、この時計は優れたデザインを象徴している「世界のどこかで、私とはバックグラウンドも文化もまったく異なる誰かが紙に何かを描き、それがデザインによってうまく翻訳され、世界のどこかで誰かがそれを手に取って、どのように使われ、身につけられるのかを理解することができる」。

A.ランゲ&ゾーネ ダトグラフ Ref. 403.031

 チュン氏のダトグラフへの愛は険しいスタートを切った。フィリップス(オークション)のプレビューディナーで、男女別にわけられた2つのトレイが運ばれてきた。レディス用のトレイには、彼女の好みに合うものがなかったため(ピンクの色のものやふわふわした感じが少し強すぎた)、彼女は席を立ち、メンズ用のトレイの前を通り過ぎた。そして目にとまったのは、ランゲのダトグラフだった。今まで見たこともないような、ずっしりとしたラウンドシェイプの時計。チュン氏は販売員にそれを取り置きしてもらい、家に帰ってからはその時計について徹底的に調べた。多言語で書かれた記事を片っ端から読み漁ったのだ。イカロスと太陽のように、その場で購入する寸前まで行ったが、それが彼女を破滅させた。彼女はオーデマ ピゲの知識を集めることに(そしてオーデマ ピゲを集めることに)多くのエネルギーと感情を費やしていたため、ランゲも同じような形で沼に落ちることはできなかったのだ。彼女はオークションハウスに、残念だがパスしなければならないと言った。

 もし、またこの時計が自分のところに来たら、考え直そうと思っていた。そうでなければ、それは運命ではなかったのだと「でも、それは私を虜にしてしまったんです。歴史的意義、デザイン、そのすべてが」。そこで、彼女はある行動に出た。2018年のこと、彼女はシンガポールに行ってその1本を探した。

 その際、彼女はリシャール・ミルとロレックスのデイトナを扱う時計店の前を通った。シンガポールの富裕層が愛用している、定番の、ちょっと奇抜な時計店だ。「置いてあるはずがないと思っていたら、なんと置いてあったのです」。彼女は金を手に入れたのだ。それも文字通りの金を。彼女が見つけたのは、通称"デュフォーグラフ" Ref. 403.031"だった。店員は無礼だったが親友のように振る舞った。彼女はその時計を確保するために必要なことは何でもしたのだ。このダトグラフは、この店が得意とするタイプのものではなかったため、長い間放置されていたものだった。そして交渉の末、彼女はその時計を持って店を出たのである。

 それ以来、彼女はダトグラフのエキスパートとなった。2020年にHODINKEEに掲載されたダトグラフに関する詳細な記事「A.ランゲ&ゾーネ 初代ダトグラフを知る」のために、私は彼女に連絡を取った。


もうひとつ
カルティエ LOVE ブレスレット

 スタック式のブレスレットは、チュン氏のスタイルの特徴的な要素となっている。「このブレスレットで時計の側面に傷をつけるのは馬鹿げている、リセールバリューが下がると言われましたが、私は気にしません」と彼女は言う「このブレスレットを10年間もつけ続けていますし、これからもやめるつもりはないです。それに私は時計を売るつもりもないですから」。

 このブレスレットには、スタイルという要素だけでなく、彼女にとって特別な意味がある。「今まで話したことはありませんでしたが、このブレスレットの物語は幸せなものではありませんでした」。20代前半の頃、彼女にはギャンブル好きなボーイフレンドがいた。彼女はあまりギャンブルが好きではなく、「私はそういう性格ではありません。中毒になるようなことはないし、規律正しくいることができますから」。しかし、彼女は彼との時間を大切にしたいと考え、二人はシンガポールの高級カジノのひとつであるマリーナベイ・サンズで、日の光を浴びることなく、何日もギャンブルに明け暮れていた。

 「何かがおかしいと思ったけど、この人と一緒にいられないことが怖くて私は受け入れていました」。マリーナベイ・サンズでは、大金を賭けると、負けた分の一部がカードに蓄えられ、使った時間をクレジットとして計上することで、カジノに入って消費し続けることができる。そのカードは、会場内のショップでも使用することができ、彼女はカルティエでそのクレジットを使ってLOVEブレスレットを購入したのだった。 それは、彼女が自分自身を取り戻すきっかけとなった。ブレスレットを購入したときに「この人とは縁を切るわ」と決意した。「それにもう二度とあんなギャンブルはしないわ」とも思ったそうだ。

 彼女は、このブレスレットを苦しい時代の思い出の品としてではなく、力の源として捉えている。「あのときは帰るのが怖くて、ただ我慢していました。でも今、このブレスレットを見ると、二度とあんな悪い状況に陥らないようにと思うんです」。

Photography by @patpatchu86