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Four + One 時計コンシャスなファッションポッドキャスターが構築したコレクション

「私は熱狂的なファンというわけではありません」ブラモ(Blamo)のジェレミー・カークランド(Jeremy Kirkland)氏はそう言う。「でも、自分にとって特別なものを持っています。時計の世界で自分にぴったりのものを見つけたのです」

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今となっては、ジェレミー・カークランドも認めることができる。

 「最初は、間違った理由で時計にのめり込んでしまったんです」と彼は言う。「自分を差別化し、なりたい自分のステータスを伝える方法を探していたのです。私が時計に夢中になったのは、自分が思っている以上に、世間に私のことを知って欲しかったからです」

 カークランド氏は、服や文化に関するポッドキャストであるブラモのホストで、彼の時計との関係は長く、深いものである。

 37歳のカークランド氏は、いつ頃からか、自分の気に入った時計を買うようになった。すなわち、楽しくて、手に入れやすく、手頃な価格のものだ。そして、彼は「時計に隠されたストーリーや、時計にまつわるストーリー」といった、時計そのものに引かれて好きになっていった。

 「私は熱狂的なファンというわけではありません」自分の時計コレクションについて、彼はこう言う。「自分にとって特別なものを持っています。時計の世界で自分にぴったりのものを見つけたのです」10年以上前にフリーランスのライターだった頃、カークランド氏は『エスクァイア(Esquire)』などの雑誌にも時計について書いていたことがある。時計の型番やムーブメントを間違えていたら、『ホディンキー(Hodinkee)』という小さなブログの創始者が彼に連絡を取り、親切に訂正してくれたというエピソードについても彼は語る。

 しかし、ブラモを立ち上げる前は紳士服店のアーモリー(The Armoury)で働いていたファッションマンとして、カークランド氏は自分のことをよく知っている。カシオのデジタル時計を買って以来、彼は他の愛好家にとってなじみのある多くのステップを踏んできた。カシオ、セイコー(セイコーについては多数)、ロレックスと恋に落ちたり落ちなかったり。しかし、ほとんどの場合、自分がハッピーになれるものを購入した。


 さあ、彼のコレクションを覗いてみよう。

Blamo Podcast Jeremy Kirkland Rolex

The Four
カシオのデジタル時計

 カークランド氏が時計に出会ったのは、故郷のセントルイスからニューヨークへ引っ越した際に、デジタル式のカシオを購入したのがきっかけだった。

Vintage Casio Digital Watch

 「私の祖父が持っていた時計でした。」とカークランド氏は言う。「ミレニアル世代なら、祖父の多くは常に最新のテクノロジーを求めていて、70年代や80年代はデジタルかクォーツだったんです」。2006年当時はスマートフォン以前の時代で、彼はただ機能的で素敵な時計が欲しかったという。

 「20ドルだったと思います。その当時、自分が購入できる金額でした。でも、本当にシンプルで美しいんです。こういう時計はありのままを好きになれるので、かっこよく見えました」。当時はまだ、利便性を重視して時計を購入する人が多く、カークランド氏もその一人だった。

 「この時計はもう16年以上も所有しています。ニューヨークに行ったとき、バンドを組んでいて音楽を演奏していたので、ライブをするときには実にコンパクトで、小さなボタンを押してライトを発光させ、時間を確認するのにぴったりでした」

 「ずっと私のそばにあります。価値という点では、それに代わるものはありません。小さな部屋の床にマットレスを敷いて寝ていて、牛乳箱には服を入れ、隅にはギターが置いてあった、その当時の私の人生を象徴しているものなので、かけがえのないものです。何も必要なく、何もかもが揃っていた、ただのそんな甘い人生の時間でした」

セイコー クロノグラフ Ref. 6139 ポーグ

 やがてカークランド氏は時計に注目するようになった。ロレックスやオメガをつけている人が彼のカシオを褒めてくれるのだった。そして、彼も最終的にロレックスが欲しくなった。

 「ニューヨークには、自分が何者であるかということを誰も気にしないし、誰も自分のことを知らないので、何にでもなれるという美しさがあります」。ロレックスを所有することはその一部であり(もしくは、そうであると彼は考えた)、ニューヨークで成長し、インディー・レコード・レーベル(indie record label)での仕事、ファッション界でのさまざまなプロジェクト、そして『エスクァイア(Esquire)』の時計コラムの執筆をこなすなかで、自分の立場を高める方法だった。そこで、彼は数個ほど時計を購入したが、あまり喜びはなかった。彼が言うように、間違った理由で時計にのめり込んでいったのだ。

 しかし、カークランド氏は、自分にとって特別な時計を手に入れるという達成感や興奮から喜びをついに感じることになる。彼はムーブメントや歴史、モノの作り方を学び始め、そして、セイコーに出会ったのである。

Seiko Chronograph 6139 Pogue

 「セイコーは、私にとってすべての条件を満たしていたんです。クールで、手頃な価格で、手に入れやすく、情報も豊富で、それでセイコーに夢中になったんです」カークランドのヴィンテージセイコーの旅の最初の目的地のひとつは、セイコー 6139 クロノグラフだった。このファンキーな1970年代のクロノグラフは、ウィリアム・ポーグ(William Pogue)大佐がアメリカ初の宇宙ステーションに搭乗するために、宇宙に飛び立ったときに着用したことで最も知られている。

 「ポーグ大佐の話もいろいろ好きですが、正直なところ、それはただクールなヴィンテージ時計でした」とカークランド氏は言う。「黄色い時計というのも気に入りましたし、私はずっと黄色が好きでしたから(編集部注:下の黄色い帽子を参照)。だから、この時計になったんです」

 カークランド氏は現在「15本のヴィンテージセイコー」を所有していることを認めており、なぜこれだけの時計を持っているのか自分でも常に不思議に思っているという。でも、本当はヴィンテージセイコーが「楽しい」だけなのだ。

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ブラッドレイ ミッキーマウス 時計

 「セイコーに夢中になったとき、ロレックスやオメガではない歴史や文化と深い繋がりのあるヴィンテージウォッチの世界が広がっていることに気づいたんです」と言う。「それで、まったく世に知られていないマニアックなものを探すようになりました。ミッキーマウスのグッズがずっと好きで、今も古いミッキーのシャツを着ています」

Bradley Mickey Mouse Watch

 2012年に親友の助けにより、カークランドはこのブラッドレイ ミッキーマウスの時計を箱、書類、証明書原本を含めて数百ドルで手に入れた。時計としてだけでなく、1970年代につくられた何十年にもわたるディズニーの歴史的な逸品である。

 「私は古い、古典的なディズニーのものが大好きです。これは単に小さな楽しい時計です。高価なものでもないし、買い換えるようなものでもないのですが、私にとっては特別なものなのです」たとえ最も実用的な腕時計でなかったとしても、彼にとっては特別なものだった。

「つけられるときはそうしますが、手首に爆弾があるみたいに、カチカチと音がとても大きいので普段はつけられません」

ロレックス GMTマスター II ペプシ

 ロレックスは、カークランド氏に新しい形で時計に興味を持たせ、やがてジワジワとそれが高まっていく。現在、彼には2人の小さな子供がいるが、それぞれに最新のロレックス GMT マスターIIを購入した。娘にはRef.126710BLNR「バットマン」、そして息子にはこのRef. 126710BLROのペプシを購入し、それぞれの誕生日につけたのだった。

Rolex GMT-Master II Pepsi

 「若い頃、バート・レイノルズ(Burt Reynolds)になりたかったんです」とカークランド氏が言うのは、数々の映画でレイノルズの腕に大きくフィーチャーされているGMTマスターのことで、特に『フーパー(Hooper)』のオープニングシーンが有名だ。

 当然、ここで「でも、ジェレミー、どうやって最新のステンレススティール製ロレックスを小売価格で手に入れたんだ?」と疑問に思うだろう。

 カークランド氏は、地元の正規販売店に正直に話したという。子供が生まれるので、その日までにGMTマスター IIを購入したいと。信じられないかもしれないが、それはうまくいった。出産予定日が近づいたころには、GMTマスター IIは彼のものとなっていた。ある出来事を除いて、すべてが計画通りに進んでいた。妻の陣痛が始まった日、彼はロレックスを腕につけ忘れたのだ。

「妻の陣痛が始まり、家を出る準備をしていたんですが、車道に出て破水したとき、自分が時計をつけていないことに気づいたんです。この子が生まれるときにつけたいと思っていました」

 「それで車を止めて車道を引き返すと、彼女がどうしたのか聞いてきました。大事なものを忘れてきたとだけ言いました。すると、時計を手に戻ってきてつけると、彼女は『私の陣痛の最中に時計を取りにいったの?』と」

 もちろん、まさにその通りだった。しかし、その頃にはカークランドは腕時計を持って、息子の出産に向けて身につけることができた。

「今はこれらの時計をつけ続けますが、子どもたちが18歳になったときか大学を卒業するかしたときに、2人にGMTをプレゼントする予定です。正直なところ、彼らが大人になる頃には欲しがらないかもしれないですが、そんなことは気にしません」


The One
テッド ドリューズ(Ted Drewes)のハット

 10年くらい前に、カークランド氏は頭が薄くなってきていることに気づき、頭を剃り始めた。しかし、そのむき出しの頭皮を覆うための帽子が必要になり、彼は探し始めたという。

 「ちょっと楽しくて、ちょっと変わった帽子が欲しかったんです。僕の弟のトレバー(Trevor)は、当時セントルイスのテッド・ドリュウズ(Ted Drewes)で働いていて、ニューヨークにいる私にとって、テッド・ドリュウズはごく一部の人しか知らないような小さな存在でした」とカークランド氏は言う。トレバーはテッド・ドリューズの帽子を手に入れ、ニューヨークにいる兄にかぶらせた。

Ted Drewes Frozen Custard Hat

 ここで口を挟みたい。私はセントルイスの大学に通っていたのだが、テッド・ドリューズは地元の名店だ。どこの町にも1つや2つはあり、セントルイスでは、1929年からアメリカの古いルート66にあるこの小さなフローズンカスタード(アイスクリームではない)のお店が有名だ。他にも伝説があり、セントルイス出身のダニー・マイヤー(Danny Meyer)が、テッド・ドリューズを倒し、シェイク・シャックのカスタードを発売した。

「この帽子は、完璧に醜く、同時に完璧にデザインされています。ニューヨークにいるとき、自分がどこから来たのか思い出すためのものでした」パンデミックのあいだ、カークランド氏は自分の帰る道を見つけ、セントルイスに移った。

「この帽子は、私のすべてです。そしてこの帽子はただの帽子だからこそ、面白いのです」

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Hodinkee Shopは、カシオセイコーの正規販売店です。また、ロレックスの様々な中古時計も取り扱っています。カシオ、ロレックス、セイコーの詳細については、それぞれのウェブサイトをご覧ください。