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11月の第1週は、スイス時計製造の歴史にとってとても重要な週だ。最初の7日ほどでフィリップス、クリスティーズ、サザビーズ、アンティコルムといった、最も多くの人が参加する最大規模の商業オークションが連続して開催され、今年は開催が延期されたものの隔年にはOnly Watchチャリティーオークションもある。また、高級時計財団(Fondation de la Haute Horlogerie's、FHH)の文化評議会、いくつかのブランドイベント、そして目玉となるジュネーブ時計グランプリ(GPHG)の投票・授賞式など、間違いなく2023年秋のジュネーブカレンダーがピークを迎えた時期だ。ご存じのように、GPHGは、我々の業界で言うところのアカデミー賞に最も近い。完璧ではないものの、業界が誇る最高のものであり、より広いコミュニティにとっては貴重なイベントである。私は今年、4回目となるGPHG審査員に選ばれ、1週間ジュネーブに滞在した。そしてそれは旧友に会ういい機会だった。というわけで、ジュネーブで過ごした時間(の一部)を、非公式な日記として少し紹介しようと思う。
日曜日: マンダリン オリエンタルでオークション&ウォッチトーク
午前9時頃、ジュネーブに到着した私はホテルへと向かい、チェックインを終え、シャワーを浴びて身支度を整えた。その日曜日、私が特に見たいと思っていた数点を、サザビーズが出品していたのだ。当初気づかなかったが、オークションのためにマンダリンまで足を運んだことで、何年も会っていなかったコレクターコミュニティの中枢へと足を踏み入れることになる。マンダリンのメインエントランスからバーまでのわずか15フィート(約4.5m)のあいだに、マイケル・サフディ(Michael Safdie)、ダビデ・パルメジャーニ(Davide Parmegiani)、そして友人のウェンディとアモス(ふたりはシンガポールにいる素晴らしいランゲコレクターだ)と出会った。
彼らに挨拶をしたのちセキュリティーを通過すると、唯一無二の存在であるクロード・スフェール(Claude Sfeir)がいた。クロードは伝説的なコレクターで、オークション界の中心人物である。彼は体調を崩したり、その前にはCOVIDが集まりを妨害していたため、お互いに会うのは何年かぶりだったが、彼は相変わらずとても親切で思いやりのあるコレクターだった。クロードと十分に挨拶を交わしたあと、私はオークション会場に向かった。すると会場の奥にいたロジャー・スミス(Roger Smith)を見つけた。彼が手掛けるプラチナ製のダニエルズアニバーサリーウォッチが、この後のオークションに出品される予定だったのだ。ロジャーは私の大好きな時計関係者のひとりなので、私は彼のところに行ってみた。すると彼は、何か違うものを身につけていることに気づく。プラチナ製のランゲ ダトグラフのファーストシリーズだ! これが“ダトー”(貴族に相当する称号)のお墨付きでなくて何なのか。
アニバーサリーウォッチセールの前にまだいくつかのロットが残っていたので、我々はロビーのバーにあるテーブルを囲んだ。そのグループにはロジャー、クロード・スフェール、私、ハムダン・ビン・ハマド(Hamdan Bin Humaid)というとても素敵な男性(私はすぐに、ネットで見た中東の独立時計に関する素晴らしいプロジェクトの仕掛け人だと気づいた)、偉大なアメリカ人コレクターのマイク・S、HODINKEEのマライカ・クロフォード、そしてときにほかの数人がいた。テーブルを囲んだ時計をいくつか紹介しよう。
上の画像はクリックして拡大できる
そう、こんな感じだった。しばらくしてから我々は皆、ロジャーの時計を見るためにオークションルームに戻った。これもまた、彼が2008年に工房設立のために売却した私物の時計だった。このロットは極端なスタイルで行われた。スフェールを含む4人の入札者と2人の電話入札者(そのうちのひとりはアメリカからのものと思われる)により、210万スイスフラン(日本円で約3億5580万円)以上で落札されたのだ。ほんの数年前ならむしろ誤解していたであろう時計にとっては、信じられない結果だと思う。
オークションのあと、何人かはロビーのバーに戻って昼食をとり、数時間話し込んだ。とても楽しい人たちとの素敵なソフトランディングで週のスタートを切れたことをうれしく思う。
月曜日: ラート美術館にてGPHG審査員として投票
前述したように、ジュネーブ時計グランプリ(GPHG)は、“時計界のアカデミー賞”のようなものだ。10年前、私に初めて審査員の依頼が来た。それ以来状況は大きく変わったが、最終的にGPHGは、毎年完璧ではないにもかかわらず(すべてのトップブランドが参加するわけではない)、高級時計製造のための絶対的に優れた賞であり、非常に高い評価を得ている。私は審査員として、事前に選ばれた候補の時計が並んだ部屋に12時間近く座り、議論し、無数のカテゴリの勝者に投票した。世界の偉大な専門家たちに囲まれながら、すべての時計を手にして詳細に見られた素晴らしい日である。しかしGPHGを特別なものにしているのは、審査員の質だ。私の朝のテーブルはマックス・ブッサー(Max Büsser)とヴィアネイ・ハルター(Vianney Halter)とモハメド・セディキ(Mohammed Seddiqi)だった。この3人は時計に詳しいと言えるだろう。
5つのカテゴリのあと、テーブルが入れ替わる。私の次のグループには、審査委員長のニコラス・フォルケス(Nick Foulkes)や、私が以前から会いたいと思っていた、東京に拠点を置く彼の名を冠したウォッチブランドを手掛ける飛田直哉がいた。情熱は言うに及ばず、その知識量には本当に感心させられた。ジョージ・バンフォード(George Bamford)、マーク・チョー(Mark Cho)、ダニエラ・デュフォー(Daniella Dufour)、クリスティアン・ハーゲン(Kristian Haagen)、Dimepieceのブリン(Brynn)など、昔からの友人たちにも会うことができた。ここでは、2023年のGPHGで候補に挙がっていたいくつかの時計を紹介しよう。
この日たくさんのことを考えていたが、12時間にもおよぶ審査はいつも驚きを与えてくれる。例えば、ジェブデ・レジェピ(Xvedet Rexhepi)の時計の美しさとか。今年の初めに完成予想図が公開されて以来、実機が見たくてたまらなかったこの時計は、想像していた以上に素敵だった。長いラグ(ある意味では、弟のレジェップがJPハグマンとともに製作したものに似ている)、細身の輪郭、そして考え抜かれた複雑機構は期待以上だ。しかし、これはまだ本来の機能を果たしていないプロトタイプだったため、今年のGPHGの投票では候補から外された。しかし、若いレジェピの未来は明るいと言えるし、この時計のために予約をした人たちは今後の展開に自信を持つべきだ。そして来年のGPHGで彼と再会できると確信している。
そのほかの感想としては、スタジオ・アンダードッグによるシーガル社製クロノグラフの解釈が素晴らしかったことだろうか。この非常に魅力的なレイモンド・ウェイル(同部門で優勝)もそう。私は至って真剣だ。下の写真は、この時計を正当に評価しているわけではないが、ケースと文字盤は非常によく考えられていて完成度が高く、チャレンジカテゴリでこの時計以外を考えるのは難しかった。
もうひとつの傑出した時計は、ペテルマン・ベダのスプリットセコンド クロノグラフだ。クロノグラフウォッチ部門を受賞したが当然の結果だろう。正直言って、この時計のケースや文字盤は好みではなかったのだが、とにかく素晴らしいムーブメントを載せていた。このふたりは若くて才能があり、今後も目が離せない。
事前に選ばれた時計の審査と投票が終わったあと、我々は昼食のために休憩をした。私は飛田直哉、マーク・チョー、ステファン・クドケ(Stefan Kudoke)、ヴィアネイ・ハルター、ピエトロ・トマジェ(Pietro Tomajer、The Limited Editionの共同創設者)、ドミニク・ルノー(Dominique Renaud)と同席し、話が尽きることはなかった。しかしここで交わされた会話は、審査員の知識が驚くほど豊富で視点も実に多様であり、GPHGがいかに特別なものであるかを再認識させてくれた。
ランチのあと我々はラート美術館に再び集まり、ある意味、何でもありで最も激しい争いが繰り広げられるカテゴリへと移った。ただこのエギュイユ・ドール(金の針)と呼ばれる最高賞は、個人投票ではどちらに転ぶかはわからなかったが最も決定しやすい賞だったかもしれない。私はAPのユニヴェルセル RD#4が受賞に値すると確信していたが、ここで言及されたほかの名前は、サイモン・ブレット(今最も話題の独立時計ブランドであり、その夜、権威ある時計界のレベレーション賞を受賞した)、ペテルマン・ベダ、そしてボヴェである。ただ私にとってのRD4は、真の芸術性、革新性、熟慮したデザイン、そして時計製造に関する優れた思考など、エギュイユ・ドールが象徴するすべてのものを備えていた。それに加えて、防水性、工具風用でセット可能であるだけでなく、自動巻きも可能というメガコンプリケーションを備えている。以下に簡単な画像を載せておく。
もうひとつ、熱い議論が交わされた賞は、意味のある方法でより大きな景観に貢献したと思われる人物や団体に贈られる審査員特別賞だ。この件に関しては、この日記のセレモニー編に入るときに触れよう。これはこの1週間のうち、最も素晴らしい瞬間のひとつになったと思う。
飛田直哉の時計を少しだけ体験する
ジュネーブで過ごした1週間のうち、際立った経験のひとつは、飛田直哉と一緒に過ごせたことだ。もちろん、彼の時計も一緒に。我々は2019年のHODINKEE Japan立ち上げ時のごく短い時間に会ったことがあり、飛田はTalking Watches(見てない人はこちらから!)のゲストでもあったが、彼の時計コレクションについてはそれほど詳しくはなかった。しかし、私が見た多くのものを気に入っていたので、何カ月か前の抽選が始まった際、未見で彼の作品を注文した。実のところ、実物を見ずに時計を注文したのはこれが初めてであり唯一のことだったため、多少のリスクはあった。ただ見たときそれに圧倒し、チャンスを掴めたことに感謝している。
飛田直哉という人物についてまず知っておくべきは、彼はこの業界で育ってきたということ。マックス・ブッサーとは24年来の付き合いだという。飛田は世界で最も象徴的なブランドのいくつかで働いており、ラルフ・ローレンとF.P.ジュルヌの日本立ち上げにも携わった。特に後者のジュルヌの歴史は、彼がどれだけ真面目で来歴が素晴らしいかを知るためにも知る必要がある。彼は何十年もこれらのブランドで自分のテイストを生かそうとしたが、54歳のときに自分の好きなように時計を作れる、自身のブランドを立ち上げることにした。その結果は、まさに神業だ。
その週のほとんど、彼の手首には4Aが巻かれていた。これは彼にとって初めての36mmケースであり、また初めてのブラック(ダークグレー)ダイヤルを持つ時計でもある。手巻きで、美しいアラビア数字と革新的で使いやすいDバックルを備えている。もう片方の手首につけていた1Dは、9時位置のスモールセコンドとイエローゴールド製ベゼルを持つクロノメータースタイルの時計だった。2023年から2024年のあいだに製造されるのは、1Dが10本、4Aが15本だけ。彼にとって生産はそのようなもので、昔ながらの手作業で細部まで仕上げられるのだ。彼のブランドは4人で構成されている。総勢、4名だ。
時計について議論するのが好きな人たちのあいだで、飛田の時計の価値について議論があった。これらの時計の価格は2万ドル前半から半ばであり、搭載されるムーブメントは自社製ではなくかなり改良が施されたバルジューキャリバーのため、高価に見えるかもしれない。ただ私がみんなに言いたいのは、1)究極のクロノメーターウォッチもまたバルジューキャリバーをベースにしていたこと、2)何度も言っているように、ベースとなるキャリバーが時計になるわけではない、ということだ。飛田の時計のディテールの高さには目を見張るものがある。見事なプロポーションとデザインで、品質も極めて高い。
私の個人的なお気に入りで、実際数カ月前にサイトを見ずに注文したのは3Bだ。ジャーマンシルバーの文字盤、日本の漆で埋められた手彫りの美しいローマ数字、そしてロレックスの8171以来、私が見たなかで最高と言えるムーンフェイズディスク。もちろんこれも手彫りで、18金のYG製だ。手首に装着したのはスティール製の3Bで、6062のように感じる。それが何を意味するか理解しているなら、私がこの時計に惚れ込んでいる理由もわかるだろう。
ナオヤ ヒダアンドコーというブランド、そして彼のいいところは言い尽くせない。彼は時計と同じように繊細で上品だが、興味深くもあり複雑でもある。年産する時計の数が少ないことを考えると、彼の予約システムがどのように機能しているかを事前に調べておくことを強くおすすめする。実際、最近1、2本が小売価格程度で流通市場に出回っているのを見たが、とてもお買い得だった。金属製の時計を見た瞬間、あるいはブランドの背後にいる男性に会った瞬間、あなたは生涯その虜になるだろう。彼についての詳細はこちらから、我々の取材記事はこちらからチェックを。さらに彼は、この先何年後かに、信じられないほどエキサイティングなことを成し遂げようとしている。
火曜日: レジェップ・レジェピを訪ねる
ジュネーブでの1週間が私に与えてくれたのは、月曜の夕方に飛田と、火曜の朝にはレジェップ・レジェピと一緒に過ごせるという、熱烈な時計愛好家にとってはありがたいことだった。ちょうど1カ月ほど前にルイ・ヴィトンとの新しいコラボレーションビデオを撮影したときレジェップを見かけたが、そのときはその時計の話ばかりだった。今日は彼自身の時計についての話を尋ねたかった。そこで私は川を渡ってジュネーブの旧市街に向かい、美しいアクリヴィアのスタジオを訪れた。
私がまだ見たことのない時計は、彼がOnly Watch 2023(今は、おそらくOnly Watch 2024)のために開発した時計、クロノメーター アンチマグネティック(RRCA)だった。この時計には魅力的な点がいくつかある。というのもレジェップのCCシリーズで初めてSSケースに収められた時計であり、一見CC1やCC2をほうふつとさせるムーブメントは、あらゆる面でまったく新しいのだ。建築様式を思い起こさせるかもしれないが、それは伝統の美的継続性のためであり、あくまでも派生したものではない。
RRCAの詳細についてはトニーの紹介記事を読んでいただきたい。この写真に写っている時計にはプロトタイプの風防が使われていて、完成品のようにはっきりとは見えなかったが、文字どおり誰もが驚くほどこの上なく素晴らしい。卓越性を追求し続けるレジェップにより、RRCAはRRCC2よりも1歩前進したものであり、私見だとそのRRCC1よりも飛躍的に進化していた。
ケースに限って言えば、CC1のケースは3個のコンポーネントで構成されていた。CC2のケースは15個のコンポーネントで構成されており、すべては偉大なJPハグマンによってつくられた。非常に複雑でおもしろいCCAのケースは30個のコンポーネントで構成され、これもハグマンによって製作されたものだ。RRCAのリリースには当初、SS製クローズドバックは工具で取り外せると記載されていたが、カチッという音を立てて手で取り外せると私が身をもって証明する。古いスクリューバック式のタウベルト社製ケースの裏蓋を開けようとしたことがある人ならおわかりいただけるだろうが、この裏蓋を外す方法もそうだ。本当に素敵な感覚になれる。
今は皆が意見を持っていて、私もそのひとりであることは間違いない。私にとって、3つのCCウォッチのなかで最も魅力的なのは2だ。CC1は新発見であり、もしそれがレジェップ唯一の伝統的な形の時計であったなら、それは最高のひとつとして際立っていただろう。ただCC2の隣に置くと輝きが失われ始めるのだ。CC2のほうが劇的に解像度が高く、同じコンセプトを微妙に進化させたように感じられ、さらにケースははるかにシャープで精密だ。文字盤もそうだがムーブメントもそれに倣い、より複雑でより魅力的なパッケージに仕上がっている。とは言ってもRRCC1は製造本数が半分であり、間違いなく、レジェップ初の腕時計として語り継がれるだろう。
CCAはプロトタイプの形で1度しか見たことないが、CC2と同様私の手首にはフィットしなかった。このような高品質の時計は、貴金属製であってほしいと思う。また私はCCAのようなテクニカルなキャリバーよりも、CC2のようなロマンチックな構造のほうが好みだ。また、CCAはOnly Watchのプロトタイプであり、製品版になった際どのようになるかは正確にはわからないので、CC1とCC2が完成版として発表された際、それを実際に判断するのは難しいと言わざるを得ない。そしてそれはどれも素晴らしく、本当の意味で判断するのは難しいと思うのだ。
それでも私はここまで来た。お気に入りはレジェップ・レジェピ クロノメーター コンテンポランIIだ。圧倒的にね。針、ケース、文字盤、ムーブメント、ネットで写真を見て想像するよりも、すべてが素晴らしかった。手に持ったときの感覚は、10年以上前に初めてシンプリシティを手にして以来経験したことのないものだった。
特にケースはネット上で見たときにはラグ部分が少し長すぎるように見えたが、おそらくこの時計の最も優れた点のひとつだった。長いステップドラグは手首にぴったりと収まり、初期の2499やほかのヴォーシェ社製ケースに見られるような、往年のパテックケースをほうふつとさせる。
プラチナ50本、ローズゴールド50本で生産されるRRCC2は現在、限られた正規販売店およびジュネーブにあるアクリヴィアスタジオを通じて直接、クライアントに届けられ始めている。このニュースを聞いたときワクワクした。偉大な時計のInstagram界ではひとつかふたつ、じわじわと人気が出始めているものがあり、これほど熱く期待されているものは久しぶりだと言えよう。レジェップがCCシリーズで行っていることは、多くの点でヴィンテージウォッチであるかのように感じられる時計をつくることである。ヴィンテージパテックと言っても過言ではない。繊細でエレガントだが、細部まで手作業で仕上げられたケースや、柔らかく精密なエナメル文字盤を使用している。そしてクロノメーター級のムーブメントは、最高級のものを除いて、ヴィンテージ時代に作られたものをはるかに凌駕している。この記事ですでに名を挙げた時計について言及すると、レジェップ・レジェピはJBチャンピオンと同じくらい特別な時計をシリーズで作っている。今のところ、彼の周囲にはハイプが多すぎると言う人がいるかもしれないが、私は十分ではないと主張したい。
そう、ハイプという言葉は適切ではないかもしれないが、“刺激的”という言葉はぴったりだ。というのも彼がやっていることや実行しているレベルは、私からすると単に流れを変えているにすぎない。デュフォーやジュルヌが(プロバスケットボール選手の)ステファン・カリーだとしたら、レジェップは独立時計業界のウェンバンヤマのようなキャラクター(もちろん、ウェンバンヤマが彼の能力を世間に示すことができればの話だが)であり、ゲームを完璧に変えてしまうのだ。ジュネーブで彼と同席し、最近も何度か顔を合わせたが、私は自信を持って彼はまだスタートを切ったばかりだと言える。そして、それはコレクターが彼と彼の時計をどのように見ているかという大きな文脈の中で、レジェップについてのもうひとつの興味深い点だと思う。RRCC1、RRCC2、RRCA、そして今後数年のあいだに登場するいくつかのモデルについては、生産を減速させる計画はない。例えばCC1を所有している場合、理論的にはCC2を購入する対象にはならないという、興味深い、しかし賞賛に値するポリシーを持っている(人によってはイライラする)。彼の目標は、自分の時計をできるだけ多くの人と共有することである。彼は小さな独立時計師たちの時計が、ごく一部のコレクターの“懐”に入ってしまい、後々疑わしい決断につながるという恐ろしい話をたくさん見てきた。そこをレジェップ・レジェピは打ち破っていくのだ。
日常では見られないものもある
彼のスタジオを出る前に、私はそうしなければならなかった。写真が撮れるからといって単に撮ることもあるのだが、これもそのひとつだろう。私のデイトナの隣に、RRCC2を並べてみた。ふたつの時計のコレクションも悪くない。
そういえば、レジェップは一部の顧客に、ダイヤモンドインデックス付きのプラチナ製RRCC2を手に入れる機会があると密かに伝えていた。SJXがこの超特別な時計の写真を掲載している。これ以上の時計はないと思っていた矢先...ヴィンテージパテックのような雰囲気を持っている!
火曜日の夜から水曜日にかけて: ル・ブラッシュへの旅&いくつかの極秘会議
午前中にレジェップと過ごしたあと、私は友人であるタグ・ホイヤーのニックと昼食をとり、その後クルマに乗ってル・ブラッシュへと向かった。ル・ブラッシュはジュウ渓谷にある小さな町で、オーデマ ピゲという最も有名なブランドが住んでいることで知られている。そこで何をしたかを話すつもりはないが、写真を1、2枚紹介しよう。
私の水曜日は会議に出たり入ったりして過ごしていたが、ハイライトはWristcheckのオースティンとジーン(別名@watchfalcon)と一緒にコーヒーを飲んだことだ。もちろん、彼らは真面目な服装に身を包んでいた。
そして水曜日のもうひとつのハイライトは、このウェブサイトで見覚えのある人たちとのディナーだった。彼らは全員、今はスイスに住んでいる! そう、我々の古い友人であり元Hエディターの、アーサー・トゥーショー、ローガン・ベイカー、コール・ペニントンだ。現在アーサーとローガンはフィリップスに、コールはチューダーにいて、今日の若者の言葉を借りるならば彼らは最高の人生を送っている。彼らに会えて本当にうれしかった。
ああそれから、ジュネーブがどれだけ小さいか、特に今週はわかってもらえたと思うが、夕食の席で誰に会ったと思う? そう、クリス・ダブール(Chris Daaboul)や数人のコレクターとディナーに出かけたレジェップ・レジェピたちだ。
木曜日: FHH文化評議会&GPHG授賞式
木曜日の前半は、FHHの文化評議会の年次総会に出席をした。これはシンクタンクや諮問委員会のようなものとして、FHHを支援することを仕事とする、業界各界の著名人からなる素晴らしいグループである。いわば“オートオルロジュリー”(高級時計)の管理団体のようなものだ。長年にわたり多くの役割を果たしてきたが、現在は過渡期を迎えている。しかしその目的は変わらない。さまざまなトレーニングツールや教育的な機会、イベントを通じて、できるだけ多くの人に優れた時計づくりを理解してもらう。例えば彼らは先週、ジュネーブでFHHフォーラムを開催し、非常に印象的なスピーカーたちを招いた。彼らの近況についてはまた後日詳しくお伝えするとして、今回のハイライトは文化評議会メンバーがつけていた、この素晴らしいパテック 130である。この1週間はこのような時計を目にする機会が多かったが、これ間違いなく今週見たなかで最も魅力的な時計のひとつだった。
数時間にわたる文化評議会の大部分は、FHHのいくつかの新しい試みについての議論に費やされたが、ここで議論するには時期尚早であるため、今のところはこのままにしておく。私はインターコンチネンタルホテルを出発し、湖のほとりに戻り、今週のメインイベントに備えた。
私はその夜行われるイベントの予行演習のために劇場へと向かう。審査員全員が、ステージで賞を発表するのだ。私はすぐにWatch Anishのアニッシュ(・バット)とジョージ・バンフォードに会った。なかに入ってから数枚の写真を撮り、何をすべきか、何をすべきでないかについての指示を受けた。イベント前の“レッドカーペット”は、時計業界にいるほぼすべての人々が一堂に会する瞬間であり、間違いなく1週間で最も楽しい時間のひとつだった。例えば、以下のスナップを見て欲しい。
フランス人俳優でコメディアンのエドゥアール・ベール(Edouard Baer)が司会を務めたこの式典は長いが、長丁場ではあるが、過不足はない。長年司会を務める彼は、物事を軽やかに進めながら、適切なタイミングでシリアスさを加えるのが上手い。彼は私が関わっている限り、つまり10年以上前からGPHGのMCをしている。そして賞そのものについては? ほぼ予想どおりであり、ところどころ驚きもあった。率直に言って、私にとっての最大のサプライズは、偉大なダリン・シュニッパー(ヘンリー・グレーブスのスーパーコンプリケーションを2度売却した女性としても知られる)と一緒に発表をした“アイコニックウォッチ賞”であった。このカテゴリでは誕生30周年を迎えたAP オフショア、IWC インヂュニア、ブライトリング ナビタイマー、新しく(そして見事に)デザインされたタグ・ホイヤー カレラなどが挙げられていた。封筒を開けてみると、受賞者はUNのフリークだった!
フリークは間違いなく時計製造におけるアイコンであり、考えてみればそれが審査員の解釈だったと思う。コレクション性や社会的な場という意味ではほかのモデルのほうが該当するかもしれないが、審査員の多くは時計職人や業界関係者で構成されており、フリークがこの20年のあいだに高級時計の世界で重要な役割を果たしてきたことに疑いの余地はない。それでも、GPHGの審査員でさえ、いかに多様な視点を持っているかがわかるだろう。
その夜の注目すべき賞を挙げると、スポーツウォッチ部門でチューダーが(再びの)優勝し、チャレンジウォッチ部門ではレイモンド・ウェイルが、クロノグラフウォッチ部門ではペテルマン・ベダが、トゥールビヨンウォッチ部門では意外(トゥールビヨン自体が新しいものではなかった)にもローラン・フェリエが、そしてクロノメトリー部門ではフェルディナント・ベルトゥーという当然の勝利などがあった。この夜“最大の”勝者は、サイモン・ブレット クロノメーター アルティザンのレヴェレイション部門であった。
いまだ若いブランドにとって、これは信じられないほど意味のある勝利だった。この賞の獲得は当然だったと言う人もいるかもしれないが、私はそうではなかったと思う。彼の時計が公に発表された時点で、GPHGでの賞の獲得は事前に決まっていたという噂がいくつか流れていた。私は確信を持って、それはなかったと言える。そして多岐にわたる審査員たちは、アーティスティックな時計に対するこの新しい試みを大いに支持していたのだが、私はここでの勝利が必然であるという認識が、もしかしたら彼に不利に働くかもしれないとも思った。私はこの賞の獲得についてよろこんだし、このイベントの翌朝、早くも彼のスタジオを訪れたので、サイモンについてはこのあと追って話すことにしよう。
この夜のグランドフィナーレは、その年の時計製造における絶対的な頂点を極めた時計に贈られる、エギュイユ・ドール(金の針)の発表だ。オーデマ ピゲとそのRD#4 ユニヴェルセル グランド コンプリケーションが受賞したことは驚くに値しない。率直に言ってもしほかにノミネートされていた時計が受賞していたら、それは大きな悲劇になるだろう。なぜならユニヴェルセルは絶対的にユニークで、今年最も印象的な時計だったからだ。私的な面では、APの最高経営責任者(CEO)としての任期があと1カ月に迫っていた、フランソワ・ベナミアスにとっても素晴らしい瞬間だった。APは少し前まで無名だった彼が文字どおり築き上げたブランドである。APでの29年間を経て、仲間の前でこの賞を受賞したことは、彼にとって意味のあることだったに違いない。彼のスピーチは思慮深く、感謝に満ちており、すでに何カ月も一緒に仕事をしている次期CEOのイラリア・レスタ(Ilaria Resta)に感銘を受けていることについて、何度か言及していた。またCODE 11.59ファミリーの時計が、時計業界最高賞を受賞したことは、過去5年間のうちにビッグブランドが発表したもののなかで最も批判を浴びた時計への報いでもあっただろう。全体をとおして、フランソワ、AP、そして業界全体にとって素晴らしい瞬間であった。
AHCIの創設者であるスヴェン・アンデルセンとヴィンセント・カラブレーゼにスペシャルジュリープライス(審査員特別賞)が授与されたことも、このアワードの素晴らしい出来事のひとつだった。レジェップ、F.P.、デュフォーのように、コレクターが舌を巻くような名前ではないが、インディペンデントムーブメントにおけるふたりの役割計り知れない。彼らは1985年にAHCIを設立。それ以降善戦を続けており、独立時計製造への関心がいかに高まっているかを思い知らされる。彼らのスピーチは心がこもっていて誠実だった。そして彼らの勝利は、業界にいる偏屈な識者でさえも心を温める瞬間のひとつであった。
GPHGの受賞者はすべてこちらから見ることができる。上で述べたように、審査員としては、今年はほぼ正しいことをしたと思う。授賞式が終わると、何人かは帰って行き、ある人たちはそれぞれ夕食に出かけ、またある人たちは2階に行き夕食会のようなものを楽しんだ。余計なことは省くが、そのときのハイライトは、レジェップ(ヴィアネイ・ハルター、アルフレッド・パラミコ、ジャン・アルノーと一緒に私のテーブルにいた)が自分の時計と飛田の時計を見比べていたことだ。その瞬間まで出会わなかったふたりのあいだには、感謝の気持ちがあふれていた。
金曜日: サイモン・ブレットを訪ね、ジュネーブをぶらつく
ジュネーブと時計製造の世界が小さなものであることを、散々主張してきたが、金曜日にサイモン・ブレットの小さな工房を訪問したことで、それが再び証明された。ウーバー(タクシー)に住所を入力し、目的地に近づいていることをスマートフォンが教えてくれたので上を見上げると、ロレックスの看板が掲げられた緑色の巨大な建物が目に入った。間違った住所を入力したに違いないと思ったが、実際はそうではなかった。サイモンの小さな工房は、彼がシェアオフィスから借りているもので、文字どおりロレックス本社の裏手にある。道を挟んだ向かい側だ。このふたつの時計メーカーは、地理的なこと以外ではこれ以上ないほど離れている。
私自身の考えに入る前に、今年発売されたサイモン・ブレット クロノメーター アルティザンについて、マークの素晴らしい記事を読んで欲しい。...さて、裏話はもうお分かりだろうから、説明する必要はないだろう。私がこのミーティングをずっと楽しみにしていたのは、彼がGPHGを受賞するかもしれないと思ったからではない。サイモンのことを世界的に高く評価した、信頼できる友人がたくさんいたからである。実際、それらのいくつかはInstagramで見たことがあるかもしれないが、彼の12ピースしかない“スースクリプションシリーズ”の一部だった。彼らが持つ実機を1、2回ほど見たことはあったのだが、今回サイモンから直接話を聞いたことで、私の心は確実に変わった。
この物語は、物事を正しい方法で行うという信念のひとつであり、彼のようなプロジェクトに頼っている職人たちの、小さいながらも重要な連鎖を支えることを明確に示している。彼は技術的にはフィリップ・デュフォーのような時計職人ではなく、アイデアを思いつき、それを実現するための適切な人材を見つける生来の能力を持つエンジニアだ。そしてサイモン・ブレットの目標は、彼の製品を完成させるのにサポートしてくれた職人の名前を公表し、支援することだ(それはここですべてを見ることができる)。これはマックス・ブッサーが初期のころから行ってきたことに似ている(MB&Fの“&F”は“and friends”を意味するのだ)。実際そのとおりで、サイモンはキャリアの数年間をMB&Fのマックスの下で働いていたのである。この世界には、見習うべきもっとたちの悪い人間がいる。
クロノメーター アルティザンについてもうひと言伝えよう。例えばレジェップ、デュフォー、カリの時計のように、なにかで頭を殴られるような衝撃はないということだ。ムーブメントの構造は一見シンプルで、精緻な仕上げははるかに繊細だ。誤解を恐れずに言えばそれは非常に魅力的であるが、サイモンの作品に見られるクオリティの詳細は、率直に言ってルーペと説明が必要である。
例えば、上の画像はサイモンのスタジオにて顕微鏡をとおして撮影したものだ。左側のネジが未加工の未完成品であるのに対して、右側のネジは完成品である。具体的には、凹型で黒く鏡面仕上げされている。右のネジに見えるリングは、実は顕微鏡の上にある光で、肉眼だと次の写真のように見える。
文字盤もクロノメーター アルティザンのストーリーの大きな部分を占めている。12本のスースクリプションウォッチには、デュフォーなど優れた独立時計師のために彫刻を行う、ヤスミナ・アンティ(Yasmina Anti)という女性による手彫りの“ドラゴンスクリュー”がある。肉眼でも幻想的で素晴らしいが、ルーペで見ると、信じられないほどのディテールを見ることができる。
ジルコニウムケースと“ドラゴンスクリュー”パターンは、12本のスースクリプションウォッチを定義するふたつの属性であり、それらは常に固有のものになる。チタン製ケースに入ったオープンシリーズウォッチは、遠くから見るとそれに似ているように見えるかもしれないが、ルーペで見ると非常に繊細で、特別なものだ。そして生産については...
来月正式に発表される“オープンシリーズ”のクロノメーター アルティザンは、チタン製で、約6万5000スイスフラン(日本円で約1105万円)で販売される。2024年に製造されるのはわずか12本だ。2024年後半には新しいモデルを発表する予定であり、また2025年にはそのうちの12本しか生産されず、2025年のサイモン・ブレットの総生産数は24本となる。彼は2026年までに36本の時計を生産できるようにしたいと考えているそうだが、特定の時計は年産12本しかできない。2027年までには年間48本の生産を目指している。おわかりいただけただろうか。彼は新しい作品を加えながら、年産12本しかできないようにしたいと考えているのだ。
サイモンと時計の感想は? サイモンは優しく、温かい人であり謙虚だ。彼がGPHGで賞を獲得した翌朝、彼のスタジオで彼と一緒に過ごせたことは大きなよろこびであり、感謝の気持ちというか、信じられないという気持ちが心から伝わってきた。彼は新たな気づきを格闘しているのだと思う。それは誰もが生まれながらにして慣れない限り、率直に言って難しいものである。数年前までは時計製造に携わる一介のエンジニアだった彼が、今ではジェイ・Z(Jay-Z)の親友や、(シャーク・タンクの“ミスター・ワンダフル”こと)ケビン・オレアリー(Kevin O’Leary)自身から名前を呼ばれるようになった。とても大きな変化である。彼の周りでは本当に騒がれていて、SJXのような友人からは多少の批判もあるが、客観的に見ても非常に高品質で、ある意味では、同じような仕上げをする他社の少量生産の時計の価格と比較しても、価値があるとさえ言える。私はサイモンと彼の仕事を信じている。クロノメーター アルティザンについて何か批判をするとしたら、それは非常に主観的なものになるが、ジルコニウムもチタンも、彼が作ったような特別なムーブメントや文字盤を適切に表現するには素材が軽すぎると思うことだろうか。ゴールドやプラチナのケースに入っていて、文字盤のコントラストがもう少し高ければ、この時計は本当に素晴らしいものになると思う。レジェップのSS製RRCAについても基本的に同じことを言ったので、もしかしたら私は軽金属製の細かい仕上げの時計が好きではないのかもしれない。今日まで自分のことを知らなかったが、今はそう思う。
興奮とインスピレーションに包まれながらサイモンのスタジオをあとにし、今後サイモンに時計を頼むことを正当化できるかどうか、自分の経済的なことを徹底的に考えた。昔のベンなら自分の腕時計が欲しくてたまらなかっただろうが、今では2児の父親だ。だから高価な腕時計を買うときは少しでもリーズナブルなものにしようとしている。でも、この時計はまだ買うかもしれない。まあ、いずれわかるだろう。ロレックス本社が数分おきに12本の時計を製造している影で、これらの時計が年にちょうど12本、つまり月に1本ペースで作られているのも、とても楽しいことだと思う。サイモンのコメントはこちらからチェックできる。
サイモンの工房を出たあと、私は旧友であるマイケル・フリードマン(Michael Friedman)と合流してランチをした。マイケルはもうAPには所属していないが、代わりにコンサルティングをしたり自分でいくつかの仕事をしている。まだそこまでで報告することはないが、彼とは長い付き合いだし、単なる時計友達としてではなく本当の友達として会えてうれしかった。我々のランチはすぐに、パテック フィリップの歴史あるサロンとAPの美しいブティックという、町で最高のふたつのブティックの小さなツアーに変わった。
その日はたまたま、パテック フィリップがフィリップ・スターン(Philippe Stern)に敬意を表して製作した、新しいミニット・リピーター・アラーム 1938Pを発表した日であり、我々はその実機を見ることができた。写真撮影は禁止されていたが、現代のパテックと同じように、実物を見てその素晴らしさを実感した。わずか30本しか製造されず、スターンの親しい友人やビジネスパートナーにのみ提供されると聞いている。きっともう全部売れてしまっただろう。帰り際、F.P.ジュルヌ本人が新しいパテックを見に来ているのに遭遇した。繰り返して言うが、ここは小さな町である。
そこから我々は、マイケルのかつての仕事場であるAPブティックへと向かった。そしてブティックでは信じられないようなモデルを見せてくれた。私にとっての目玉は、CODE 11.59 オニキス トゥールビヨンだ。この時計の実機がどれほど素晴らしいか、言い表すのは難しい。
とても素晴らしくて欲しくなってきた。私がもっと余裕のある人物だったら、間違いなくリストに入っていただろう。11.59のRD#4 ユニヴェルセルが時計界で最も権威ある賞を受賞した翌日、APがCODE 11.59 でどれほど進歩していたか、またひとつ思い知らされるものだった。
ジュネーブでの7日間の最後の出会いは、偶然にもサイモン・ブレット スースクリプションウォッチのオーナーであるふたりのアメリカ人の友人と、そしてこの1週間で私が見たなかでおそらく最もクールなもの(レベルソの指輪だ!)を購入した、イタリア人の新しい友人だった。我々はこの町での特別に忙しい1週間の締めくくりにふさわしいディナーをともにした。
終わりに
このような1週間を過ごしたのは久しぶりだった。時計づくりの中心に完全に身を投じた、それは素晴らしいものだった。これをある程度の年数やっていると、価格に関する憶測や誇大広告、文字どおりあらゆるものを取り巻く絶え間ないインスタコメンタリー、業界全体のダイナミクスの変化にうんざりしてしまうものだ。ただこのような1週間を過ごすと、そこにはまだ善戦している人たち、正しい方法で物事を進めている人たちがいることに気づく。そして時計にはまだまだ愛すべき魅力がたくさんあり、それは何も流通価格とは関係がないのだ。
ジュネーブでの私の7日間について、この小さな記録を楽しんでいただけたなら幸いだ。もし楽しんでいただけたなら教えて欲しい。また近いうちに必ずやろう。それまでは、ドバイでの各チームからのレポートをお楽しみに!
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